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日本を代表するジャズピアニスト大西順子。人気も、掛け値なしの実力もある。そう評価されながら、自らはプロの演奏家としての資質に幾度も疑問を抱き、シーンから長く姿を消してきた。そんな大西がデビュー25年目の昨年11月、2枚のアルバムを同時発表して本格的な復帰を果たした。 リリースされたのは、オリジナル曲が中心のトリオ作品『GLAMOROUS LIFE』と、バラード曲を集めた『VERY SPECIAL』。2枚同時というのも驚きだったが、とりわけバラードアルバムに驚かされた。ジャケットには愛犬・銀次郎(本宮ひろ志の漫画に由来)を抱いた晴れやかな笑顔。これまでの作品にはなかった明るさだ。それに、バラードにはずっと慎重な姿勢だったのでは――? ここに至るまでの、彼女の心境の変化を聞いた。 2枚の新譜は「CDショップ大賞」のジャズ賞を受賞。売り場の“目利き”たちも完全復活を祝福した 1990年代初め、米
BY RACHEL CORBETT, PHOTOGRAPHES BY DEAN KAUFMAN, TRANSLATED BY G. KAZUO PEÑA(RENDEZVOUS) ジュディス・バーンスタイン。ニューヨークにある自身のスタジオにて 2017年夏、ジュディス・バーンスタインは、ロサンゼルスのボイルハイツにあるヴィーナス・ギャラリーの180フィートにも及ぶ外壁に、毛深い男性器のように見えるネジの絵を描いた。2017年10月には、ニューヨークのクイーンズにあるMoMA PS1で、下着姿の男女が生魚をたがいの身体に擦りつける、キャロリー・シュニーマンのビデオ作品が上映された。そしてロンドンのフリーズ・アートフェアでは、レナーテ・ベールトマンの、ピンク色をした双頭の男性器を花のように咲かせたサボテンの彫刻が展示されていた。 性的な表現を含んだ、いわゆる“X指定”のアートは、もちろん今に始
火山の噴火で積もった堆積物の頂高くに位置するいにしえの町、チヴィタ・ディ・バニョレージョの息をのむような絶景。今もこの町に住む数少ない住民たちが、過ぎ去った昔のイタリアの名残を継承している イタリア全土で、際立って美しく、かつてはにぎわっていた数千もの村や町が、ほぼ廃虚と化している。貧困と開発によって人々が都会へ移り住むことを余儀なくされ、村の人口が急激に減るとともに、また別のもの――この国でもっとも大切な職人たちの伝統も――絶滅の危機に瀕している。そんな中、町長と住民が、自分たちの故郷と伝統ある遺産を救おうと立ち上がった。 ローマとフィレンツェから2時間の距離にある古都チヴィタ・ディ・バニョレージョを語るとき、最初に言及すべきはその美しさだろう。遠くから眺めると、それは文字どおりこの世のものとは思えない絶景だ。崩れかけた火山岩が危険なまでに切り立った山頂
韓国、坡州(パジュ)にある混み合った麺料理店で、パク・チャヌクは2台のカメラとデジタル音楽プレーヤーをカバンから取り出してテーブルにのせた。「これは私の腕の延長なんだ」と彼は言う。 この秋、54歳になるパクは、おそらく韓国で最も有名な映画監督だ。2002年から2005年にかけて製作した復讐三部作――『復讐者に憐れみを』(’02年)、『オールド・ボーイ』(’03年)、『親切なクムジャさん』(’05年)によって、国内外でその名を知られている。この3作品は、韓国映画が世界の舞台へと進出するのにひと役買い、同時に、人々の心に潜む暴力性をつぶさに暴き出す、怖いもの知らずの監督としてパクの名を知れ渡らせた。クエンティン・タランティーノは彼をお気に入りの監督として挙げ、スパイク・リーはパクの名を国際的に知らしめたヒット作『オールド・ボーイ』に心酔するあまり、2013年にそのリメイク作品を製作している。
気鋭の芸術家がある場所に招かれて制作に専念する制度を、アーティスト・イン・レジデンスという。その代表格といえば、ニューハンプシャー州の森の中にあるマクダウェル・コロニーや、メイン州のスカウヒーガン・スクールだろう。ローマのアメリカン・アカデミーに滞在する「ローマ賞奨学金制度」や、チナティ財団が運営するプログラムもある。チナティ財団は、評論家としても活躍した美術家のドナルド・ジャッドがテキサス州マーファに創設したものだ。アーティスト・イン・レジデンスになると、たいていは日常の喧騒や営みから解放されて制作に没頭することができる。滞在先が風光明媚な場所であることも多い。 ところがかつて、アーティスト・イン・レジデンスの意味合いが今とはまったく違う時代があった。まず、プログラムに参加してもふだんの生活から切り離されることはない。参加者に期待される役割は、ほかの芸術家たちにインスピレーションを与えた
「撮影に使ったカンペをもらってスケッチしたり、セットの小道具のPCで描いたり。場所も画材も選ばない。描きたいときが描きどき。いつでも描けるのが僕なりのスタイル」という香取。<後編>では、アーティストとしての“作品との向き合い方”を語る。 『TANK 100』のために制作した作品、アートとの向き合い方について語る ©T JAPAN 香取は絵を描く感覚をまるで“ゲームのよう”と表現する。まずは白いキャンバスを用意し、トランクの中に大量にストックしてある絵の具の中から、色を確認せずにひとつをつかみ出す。そして、自然と思いついた線やモチーフを描き進めて、「なんで、この色がここでくる?」「いやいや、この色のとなりに、この色はないでしょ」「色がこうくるなら、ここは塗らないでおこう」と自問自答しながらルールづくりをするのだと打ち明けてくれた。このルールは無限大の組み合わせがあり、毎回違った着地点になる。
会社設立からわずか3年で、新製品が軒並みヒットを続ける“異端”の化粧品会社「FLOWFUSHI」。創業者2人が語る、その躍進の秘密とは 「必ず売れる」には理由あり。女心をとりこにする人気アイテム (写真左より) モテマスカラ 女性たちの「なりたいまつ毛」と「欲しいマスカラ」の、微妙なギャップに潜む心理に着目。長さやボリュームがかなうのはもちろん、ベースやグロス&トップコートも揃い、誰でも存在感のあるまつ毛が手に入る。 モテマスカラ ナチュラル 1・同 2・同 3、インパクト 1・同 2・同 3、テクニカル 1・同 2・同 3 各¥1,800(テクニカル 1・2のみ¥1,600) LIP38℃ 発売から2週間で計30万個売れたという大人気のリップトリートメント。唇の色温度を操り、理想的な血色感をかなえる新発想。 LIP38℃-2℃・同±0℃・同+1℃・同+3℃・同+5℃ 各¥1,600 モテ
日本美術ライターの橋本麻里が長年憧れの地であった南米へ。南北4,000kmにわたってナスカ、モチェなど多種多様な文化が盛衰を繰り返した古代アンデス文明。その謎に包まれた遺跡を旅した 橋本麻里 日本美術をおもな領域とするライター、エディター。公益財団法人永青文庫副館長。新聞、雑誌等への寄稿のほか、NHKの美術番組を中心に、日本美術の楽しく、わかりやすい解説に定評がある。著書に『美術でたどる日本の歴史』全3巻(汐文社)、『京都で日本美術をみる [京都国立博物館] 』(集英社クリエイティブ)ほか 時折だが、日本美術を生業にしている者には畑違いの、しかしひどく魅力的なお誘いが舞い込むことがある。久しぶりのそれは、夏の初めに、ペルーからボリビアにかけて点在する古代遺跡を取材がてら観に行かないか、というものだった。この秋、東京の国立科学博物館で開催される『古代アンデス文明展』に先立つプレスツアーの一環
BY MICHINO OGURA, PHOTOGRAPHS BY TAKEMI YABUKI(W), HAIR & MAKEUP BY JUNKO KANEDA 香取のアトリエには所狭しと自分の作品が並べられている。伸びやかな筆致と目に鮮やかな色彩感覚に驚かされる。写真中央のイーゼルに飾ってあるのが、彼の永遠のモチーフである“黒うさぎ”。10年前に描かれたこの作品が大切に飾られていた アトリエの床にはキャンバス、ダンボール、ウッドパネルなどがびっしりと立てかけられ、壁一面には香取慎吾が描いた作品が飾られている。鮮やかな色彩のペインティングで埋め尽くされた空間はその部屋自体がコラージュ作品のようでもあり、圧倒される。「絵を描くときの作業机や場所などは決めていません。下描きもしない。そこにキャンバスがあるから、描き始めるんです」と香取は話しながら、小さな作業机に真っ白なキャンバスを立てかけ、普
映画『おクジラさま ふたつの正義の物語』のキービジュアル © “OKUJIRA-SAMA” PROJECT TEAM 現代アートのコレクションに没頭するNYの老夫婦の人生を描いたドキュメンタリー映画『ハーブ&ドロシー』シリーズで知られる映画監督・佐々木芽生。彼女の最新作『おクジラさま ふたつの正義の物語』が9月9日(土)に公開になる。前作の、個人的でハートフルな内容と打って変わって、テーマは国際的、政治的問題でもある「捕鯨」だ。 これまでにも捕鯨問題を扱ったドキュメンタリー映画はあった。あえて例を挙げれば、日本のクジラ漁を糾弾したアカデミー賞受賞作『ザ・コーヴ』。佐々木監督はこの映画を「ドキュメンタリーにもストーリーテリングは重要。その意味で良くできた映画」と話すが、NYの映画館で初めて観たとき、心の奥が深くえぐられるような感覚を覚えたという。自身も非難の対象になった日本人だからではない。
PHOTOGRAPHS BY YASUTOMO EBISU, STYLED BY NAOKO SHIINA, EDITED BY JUN ISHIDA ディオール初の女性アーティスティック ディレクター、マリア・グラツィア・キウリによるバージャケット。 「黒はよほどいいものを着ないと地味になってしまうのですが、さすがディオール、ラインも美しい」と中室さん。 ジャケット ¥430,000、Tシャツ ¥97,000、パンツ ¥170,000、イヤリング ¥48,000 クリスチャン ディオール (ディオール) フリーダイヤル: 0120-02-1947 HAIR BY KOTARO AT SENSE OF HUMOUR, MAKEUP BY FUSAKO AT OTA OFFICE 教育に経済学の手法を持ち込み、世の中で“定石”とされる教育方法に対して、データ
宿泊券、ファッション、ビューティ、グルメなど選りすぐりの豪華プレゼントやイベントへのご招待など、T JAPANの最新情報をお届けします。 ART 荒木経惟、終わらない旅 To Live Photography 2017年は荒木経惟の年だ。一年を通して多くの写真展が開催される。1963年のデビュー以来、半世紀を超えた荒木の写真の旅はどこに向かうのか 桜が満開になった4月初旬、インタビューが行われることになった原宿のギャラリーに、荒木経惟は約束の30分前に現れた。自宅からタクシーでふらりと一人。「片眼になってからは眼が疲れるから、タクシーに乗ってるときは休憩って決めたんだけど、ダメだね。今、ここに来るまでもクルマド(荒木は自動車の窓から撮影することを〝クルマド〞と呼んでいる)。写真展が一つできるぐらい撮っちゃった」と笑う。 ここ数年、体調のすぐれな
摂氏45度近い気温の中での試合。フェデラーは時折「カモン!」と雄叫びを上げる以外、言葉を発さず、感情を顔に出さない。「いかに効率よく勝つかを常に考えている」と語る彼の試合運びはアングルの深いショットの連続で、圧倒的に速い CLIVE BRUNSKILL / GETTYIMAGES SPORT カリフォルニア州、砂漠地帯のインディアンウェルズ。灼熱の太陽の下、ロジャー・フェデラーがコートに姿を現した。「ロジャー、俺と結婚して!」。野太い声の男性ファンが叫ぶと約2万人の観客がどっと笑った。対戦相手と最初の一球を打ち合う前から、フェデラーは会場をすでに自分の「庭」に変えていた。 四大大会に次ぐ規模のテニストーナメントである、マスターズ1000のインディアンウェルズ大会。毎年3月に開催されるこの大会のオーナーは、世界でも10本の指に入る億万長者で、IT企業オラクルの創設者のラリー・エリソンだ。彼は
同じ考えをもったビジネスパートナー、マルタン・マルジェラとジェニー・メイレンス。メイレンスの誕生日のサプライズパーティで抱き合うふたり(1995年) PHOTOGRAPH BY ANDERS EDSTROM ブランド=ステータスシンボルという概念が覆された瞬間があったとすれば、それは「メゾン マルタン マルジェラ」という何も書かれていない白いタグがついたブランドが誕生したときだろう。タグのアイデアは1988年のある晩、イタリアのマントヴァにある小さなバーで生まれた。当時は自分のステータスをアピールする「パワードレス」がもてはやされていた。その服にどんな価値があるのか、そもそも「ブランドもの」なのか、わかる人にしかわからなかった。赤いマニキュアを塗った指でテーブルをタップするのはいったいなんの合図を送っているのか、誰もがわかるわけ
人生をシアターと見なして最終章を演じ切ったデヴィッド・ボウイ PHOTOGRAPH BY MASAYOSHI SUKITA ロンドンのニュー・ボンド・ストリートに面するサザビーズ。世界で最も長い歴史を誇るこのオークションハウスの前を通りすぎたことは何度もあるが、そこに足を踏み入れるのは初めてだった。きっかけを与えてくれたのはウィンドウに掲げられたポスターに写る人物――ほかでもなく、今年1月10日に急逝したデヴィッド・ボウイである。11月に開催される彼のアート・コレクションのオークション『Bowie/Collector』を前に、プレビューが行われていたのだ。 美術学校で学んだボウイは画家として個展を開いたこともあり、1990年代には権威ある美術雑誌『モダン・ペインターズ』の編集委員を務め、多数の評論を寄稿。アートに造詣が深いことは有名だった。だが彼が熱心なコレクターだったこと、そしてコレクシ
Discovering Local Treasures in Japan--Sado Island, Niigata
坂本龍一という名前の隣に、音楽家、という3文字の肩書がついているのを見るにつけ、何かうまく表現できない、ちょっとした違和感を感じてきた。確かに音楽を作る人である。けれど坂本(以下敬称略)がスタジオで録音したり、ライブ演奏をしている以外の時間の活動が、肩書に入らないことにはなんとなく釈然としなかったからだ。けれど仕方がない。肩書とは、きっと最大公約数の人々がもつその人物への認識を表現するものなのだろうから。 2014年7月にがんを患ったことを発表し、1年間の闘病生活を経て仕事に復帰した坂本に、最後に話を聞いたのは、自分の音楽レーベル〈commmons〉の10周年を記念して開催したイベント〈健康音楽〉の前後だった。病気をしたことで、「自分に残された時間」について考えるようになったという坂本は、「40年の活動期間で作れていない『人生の宿題』になっているような、音楽がある。これぞ坂本だというような
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