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坂本龍一の検索結果1 - 40 件 / 221件

坂本龍一に関するエントリは221件あります。 音楽music人生 などが関連タグです。 人気エントリには 『坂本龍一さん死去、71歳 「YMO」「世界のサカモト」がん闘病力尽く ラストエンペラーで日本人初快挙 - スポニチ Sponichi Annex 芸能』などがあります。
  • 坂本龍一さん死去、71歳 「YMO」「世界のサカモト」がん闘病力尽く ラストエンペラーで日本人初快挙 - スポニチ Sponichi Annex 芸能

    坂本龍一さん死去、71歳 「YMO」「世界のサカモト」がん闘病力尽く ラストエンペラーで日本人初快挙

      坂本龍一さん死去、71歳 「YMO」「世界のサカモト」がん闘病力尽く ラストエンペラーで日本人初快挙 - スポニチ Sponichi Annex 芸能
    • 「音楽を聴くこと」坂本龍一 | ブルータス| BRUTUS.jp

      聴くことの意味を考えると、耳が受動的な器官であるということを押さえた上で、本でも、映画でも、言えることなんだけど……、新しい体験をしたり、新しい風景を見たり、新しい考えに触れたりするのって、好きじゃない、人間って。自分じゃない誰かの考えとか、体験とか、感覚とかを疑似体験するために本を読んだり、映画を見たりする。それと似た様なことなのかな……、もしかしたら同じと言ってもいいのかも。 ただやっぱり器官として、感覚器としてやはり視覚で認識できるようなものとは違うから、共有しているものは多いんだけど、実は音楽でしか与えられない感情とか、風景の感覚とか、時間の感覚とか、というのもあるんだと思う。それは映像とか、言葉に置き換えることができなくて、なかなか難しいんだけど、音楽でしか得られないものは確実にある。僕の経験から言うと、例えば、中学2年生の時にドビュッシーと出会って、ハマっちゃった。ドビュッシー

        「音楽を聴くこと」坂本龍一 | ブルータス| BRUTUS.jp
      • 坂本龍一の「ダウンタウン理論」は正しかったのか|Toru Sano

        坂本龍一の訃報を伝える記事が各紙誌に掲載されるなか、インターネット上で目にしたいくつかの記事が、坂本氏とダウンタウンとの関わりについて書いていた。 かつてのフジテレビの人気番組「ダウンタウンのごっつええ感じ」における「アホアホマン」や「野生の王国」といったコントでの共演、ラップユニット〈GEISHA GIRLS〉のプロデュースなどである。 それらの記事を読んで、筆者は、坂本氏が小説家の天童荒太との対談集『少年とアフリカ』(文藝春秋、2001年)で語っていたことを思い起こし、ツイッターに以下のツイートを投稿した。 ダウンタウンとのコントでの共演や音楽プロデュースについて書いている追悼記事をいくつか見かけたが、天童荒太との対談集『少年とアフリカ』を読むと、坂本龍一はある時期以降、ダウンタウンに(より正確には、ダウンタウンが受容される時代の空気に)はっきり批判的になっている。 — 佐野亨 Tor

          坂本龍一の「ダウンタウン理論」は正しかったのか|Toru Sano
        • 坂本龍一が自身の葬儀のために用意した「最後のプレイリスト」公開 - amass

          坂本龍一が自分の葬儀で流すために個人的にまとめていた「最後のプレイリスト」が、坂本龍一のマネージメントチームによって公開されています。 以下、坂本龍一のマネージメントチームより 「Ryuichi’s Last Playlist. 龍一が自身の葬儀で流すために個人的にまとめていたプレイリストを、逝去に伴って共有したいと思います。彼は本当に最後の最後まで音楽とともにあったのです - skmtマネジメント」 全33曲のコレクションで、坂本龍一とアルヴァ・ノト(Alva Noto)によるコラボレーション作品で始まります。このコレクションには、バッハ、ドビュッシー、ラヴェルのクラシック作品が含まれており、またエンニオ・モリコーネ(Ennio Morricone)やニーノ・ロータ(Nino Rota)のサウンドトラック作品や、デヴィッド・シルヴィアン(David Sylvian)やビル・エヴァンス・ト

            坂本龍一が自身の葬儀のために用意した「最後のプレイリスト」公開 - amass
          • 坂本龍一が山形から取り寄せた酒井製麺所の「こんにゃくそば」がうまい

            大阪在住のフリーライター。酒場めぐりと平日昼間の散歩が趣味。1,000円以内で楽しめることはだいたい大好きです。テクノラップバンド「チミドロ」のリーダーとしても活動しています。(動画インタビュー) 前の記事:知らない部屋の台所に立ってしゃぶしゃぶを食べた夜 坂本龍一がきっかけで知った「こんにゃくそば」 2023年の3月に坂本龍一氏が亡くなって、すごく寂しかった。自分でも「こんなに好きだったのか!?」と驚くぐらい落ち込んで、半年ほど経った今もその寂しさは尾を引いている。 訃報があってから、坂本龍一のアルバムを聴き直したり、持っていないアルバムがあったら探して聴いたり、書いた本を買ったり、追悼特集が組まれた音楽雑誌を買ったり、テレビの特番を見たり、色々して、改めて坂本龍一って魅力的な人だなと思った。普通の感想ですみません。 これからも坂本龍一のことを折に触れて考えていくと思うのだが、そうやって

              坂本龍一が山形から取り寄せた酒井製麺所の「こんにゃくそば」がうまい
            • 特別公開:坂本龍一さん3万字インタビュー前編「音楽の大きなテーマは、亡くなった者を悼むということ」|じんぶん堂

              記事:平凡社 坂本龍一さん(2013年5月撮影) 撮影:榎本佳嗣 書籍情報はこちら バッハの「マタイ受難曲」を聴くと、まさに「音楽に救われる」という感じがする ――東日本大震災と原発事故はだれしもにとってたいへんショッキングなできごとだったと思います。坂本さんはどうお過ごしでしたか。 坂本龍一:うーん……、直後はやっぱり、音楽を聴く気になれませんでした。 ――音楽家の方でも、音楽が聴けなくなるんですか。 坂本:ええ、(音楽家には)きっとそういう人は多いと思いますよ。それで、ずいぶんと経ってから……、ひと月ほど経ってからかな、やっと聴いてみようかなと思ったのは。 ――そのときに、慰めや励ましになったもの、あらためて立ちかえったものってありますか。 坂本:それは、やっぱりどうしてもバッハの「マタイ受難曲」です。僕のまわりの音楽好きでも同じようにいう人は多いけれど、やっぱり特別な曲ですね。「また

                特別公開:坂本龍一さん3万字インタビュー前編「音楽の大きなテーマは、亡くなった者を悼むということ」|じんぶん堂
              • 【訃報】坂本龍一「付き人は容赦なく殴ったし蹴った。みんな暴力に耐えきれず辞めちゃった」

                1: ホスピー(やわらか銀行) [US] 2023/04/03(月) 20:06:13.48 ID:oxL5ltRS0 BE:928380653-2BP(3276).net 坂本「売れっ子で調子に乗っていた、若い頃の私は、気にくわないことがあると、運転手に対し容赦なく殴る蹴るの暴行を加えた 。私からの、理不尽な暴力に耐えかねて辞めていった、お付きの人たち、ゴメンね」 https://love-all.jp/7462.html

                  【訃報】坂本龍一「付き人は容赦なく殴ったし蹴った。みんな暴力に耐えきれず辞めちゃった」
                • 「レストランでジャズを流すのはステレオタイプすぎる」 坂本龍一の楽曲で構成された1時間のミックス音源公開 - amass

                  坂本龍一はかつて、米ニューヨークにある日本食レストランが大好きで、しょっちゅう通っていましたが、ある日、シェフに「お客のために流す音楽に耐えられない。気持ちよく食事ができるように、自分に選曲させてほしい」と提案し、作成しました。ニューヨーク・タイムズ紙によると、選曲の際、坂本龍一は「レストランでジャズを流すのは、ステレオタイプすぎる」と考えたという。ロンドン拠点のIKR. IMPRINTは、このフレーズにインスピレーションを受けた、坂本龍一の楽曲で構成された1時間のミックス音源を制作。英ロンドン拠点のネットラジオ局NTS Radioで放送されています。番組の音源はmixcloudにてアーカイブ公開されています。 <TRACKLIST> MEREDITH MONK (RYUICHI SAKAMOTO mix) Astronaut Anthem (Ryuichi Sakamoto Remix)

                    「レストランでジャズを流すのはステレオタイプすぎる」 坂本龍一の楽曲で構成された1時間のミックス音源公開 - amass
                  • 坂本龍一が許されるんだから小山田圭吾も許せ

                    「オリンピックみたいな公共性の高いイベントをやるのに小山田は相応しくない」ってみんな言うけど 坂本龍一のエピソードなんてもっとめちゃくちゃだぞ。 そんなだから小山田もウマが合ってYMOのサポートメンバーとかやってるのかもしれんけど。 坂本龍一 1992年 バルセロナオリンピック開会式の音楽を作曲 ■雑誌のインタビューで運転手への度重なる暴行を告白 『遅刻やすっぽかしもしょっちゅうでしたし、運転手が気に入らないとすぐに殴ったり蹴ったり。 今思えばとんでもないことですし、私の理不尽な暴行に耐え切れず辞めていった運転手の人たちには申し訳ないと思っています。』 https://anond.hatelabo.jp/20200629225527 ■テレビのバラエティ番組で万引きを告白 坂本龍一『新宿高校は新宿南口。東口は紀伊国屋書店で 万引して捕まった』 浜田雅㓛『万引してたん?』 坂本『ええ、ピアノ

                      坂本龍一が許されるんだから小山田圭吾も許せ
                    • 同じニューヨークで暮らした大江千里が、坂本龍一への追悼文を緊急寄稿「教授、また会う日まで」

                      ニューヨークで演奏する坂本(左、1998年2月)と大江(右、2016年7月)。80年代から縁が続いた PND RECORDS & MUSIC PUBLISHING INC., EBET ROBERTS/GETTY IMAGES <「教授」が愛車のボルボで迎えに来てくれた思い出から、3時間に及ぶLINEでの会話まで、大江千里が坂本との思い出をつづった> インスタグラムを開くと、よく知っているアメリカのレコード会社の女性とヨーロッパのミュージシャンが哀悼の意を示していた。投稿には1952年1月17日―2023年3月28日とある。嫌な予感がして僕は画面を閉じた。ずっと心の隅で恐れていた。必死で目をそらそうとした。 この日、春の嵐の強い風が吹くニューヨーク・ブルックリンの屋外へスリッパのまま飛び出ると、少し日が長くなった空に白く丸い月が浮かぶ。目の縁がにわかに熱くなり、鼓動が激しくなる。 それは熱

                        同じニューヨークで暮らした大江千里が、坂本龍一への追悼文を緊急寄稿「教授、また会う日まで」
                      • 坂本龍一さん「神宮外苑の再開発、見直すべき」と手紙で訴えたが…小池知事「事業者にも送ったら」:東京新聞 TOKYO Web

                        音楽家の坂本龍一さんが、明治神宮外苑地区の再開発の見直しを求める手紙を東京都の小池百合子知事らに送った。都は再開発事業を許認可する立場にあり、「知事のリーダーシップに期待します」などとつづったが、小池氏は17日の記者会見で「(再開発の意義などが)坂本さんや都民の方に伝わるよう(職員に)情報発信をあらためて指示した」と述べ、取り合わなかった。再開発は3月下旬に神宮第2球場の解体から始まる計画だ。(森本智之、三宅千智) 外苑再開発は、三井不動産など民間事業者が中心で、小池氏は従来「明治神宮の私有地をめぐる開発の話」(3月3日の会見)と民間開発であることを強調してきた。17日の会見でもこうした姿勢を踏襲したとみられ、「事業者の明治神宮にも手紙を送られた方がいいんじゃないでしょうか」とも述べた。

                          坂本龍一さん「神宮外苑の再開発、見直すべき」と手紙で訴えたが…小池知事「事業者にも送ったら」:東京新聞 TOKYO Web
                        • 1981年に坂本龍一が選んだ140冊の本

                          先日TwitterのTLを眺めていたら、1981年に当時29歳の坂本龍一がおすすめの本140冊を選出しているチラシの画像を見つけました。どうやら紀伊國屋書店による企画だったようです。 「坂本龍一が選んだ。坂本龍一の世界が見えた。The 龍一 BOOK HUNTING」と題されたこのチラシは、残念ながら誤字脱字があったり、分野別に整理されておらず見にくかったり、40年後の今日から見ると書誌情報の追加が必要だったりと難点があるので、これらの不備を補完してみました。 案外に詩集が多いことと数学書が含まれていることが興味深いですね。 「坂本龍一が選んだ。坂本龍一の世界が見えた。The 龍一 BOOK HUNTING」 【音楽】 柴田南雄『楽のない話——柴田南雄自選著作集』、全音楽譜出版社、1976年。 柴田南雄『音楽の骸骨のはなし——日本民謡と12音音楽の理論』、音楽之友社、1978年。 高橋悠治

                            1981年に坂本龍一が選んだ140冊の本
                          • YMOが世界に拡散したオリエンタリズムと、テクノ先進国としての栄光と衰退。いま日本文化の選ぶべき道は | CINRA

                            いまから45年前、1978年にデビューしたYellow Magic Orchestra(YMO)は、翌1979年にアメリカの大手レーベル「A&M Records」から1stアルバムをリリースした。このUS版1stアルバムには、国内版1stアルバム(1978年)とは異なるミックスが施されたことに加え、独自の、非常に象徴的なアートワークも作成された。 扇子を手に、顔の半分を覆うほど大きなサングラスをかけ、頭からはメデューサを想起させるカラフルなケーブルが伸びた芸者……ジャケットに描かれた鮮烈なモチーフ「エレクトロニック・ファン・ガール」(通称・電線芸者)とともに、YMOは世界に広まっていくことになる。 そのエレクトロニック・ファン・ガールがあしらわれた金屏風が今年3月、音楽レーベル「U/M/A/A Inc.」の設立20周年プロジェクト『TechnoByobu』の第1弾プロダクト「Electro

                              YMOが世界に拡散したオリエンタリズムと、テクノ先進国としての栄光と衰退。いま日本文化の選ぶべき道は | CINRA
                            • 大学3年生で初めての結婚、美輪明宏の伴奏をするバイトで生活費を稼いだ日々…若き音楽家・坂本龍一を驚かせたのは“はっぴいえんどのベーシスト”だった | 文春オンライン

                              45年にわたり日本の音楽シーンをリードし続けた坂本龍一。71歳を迎え、記念発売される『坂本龍一 音楽の歴史』より彼の足跡を一部抜粋。三島由紀夫の担当編集者でもあった父・坂本一亀の長男として生まれ1970年代、東京藝大に入学した日々を辿る。(全2回の1回目/後編を読む) ◆◆◆ 「学校の外の路上では何十万人規模のデモ隊と機動隊がぶつかりあっているのに…」 藝大に入学した坂本龍一は音楽学部の雰囲気に猛烈な違和感を感じたそうだ。とくにクラシックを学ぶ同級生たちは品の良いお嬢さん、お坊ちゃん的な空気を纏まとう学生が多く、自分のようなタイプの人間はそこでは異質な存在と思えた。

                                大学3年生で初めての結婚、美輪明宏の伴奏をするバイトで生活費を稼いだ日々…若き音楽家・坂本龍一を驚かせたのは“はっぴいえんどのベーシスト”だった | 文春オンライン
                              • 「たかが電気のために」⇒「たかがライブハウスのために」坂本龍一が投げたブーメランが8年後に音楽業界に帰ってくる - Togetter

                                ハフポスト日本版 / 会話を生み出す国際メディア @HuffPostJapan ライブハウスや劇場に助成金交付を。署名運動「#SaveOurSpace」に20万筆が集まっています。 坂本龍一さんや水原希子さん、後藤正文さんなど、多くのアーティストが賛同者に。 署名はあす31日13時まで受け付けています。 huffp.st/GcEjulJ 2020-03-30 20:30:40 坂本龍一がブーメランを投げたのは 2012/7/6 「命あっての経済なんで、命を蔑ろにする経済は、間違っているんですね」 2012/7/16 「言ってみれば、たかが電気です。たかが電気のためになぜ命を危険に晒されなければいけないのでしょうか?たかが電気のために、この美しい日本、そして、国の未来である子供の命を、危険に晒すようなことをすべきではありません」

                                  「たかが電気のために」⇒「たかがライブハウスのために」坂本龍一が投げたブーメランが8年後に音楽業界に帰ってくる - Togetter
                                • 坂本龍一が制作したNokia 8800の着信音やアラートをまとめたビデオが話題に - amass

                                  坂本龍一は携帯電話『Nokia 8800』の着信音やアラートを数多く制作しました。Twitterアカウント「Tech Product Bangers」は、亡くなった坂本龍一に敬意を表して、Nokia 8800の着信音とアラートをまとめたビデオをYouTubeで公開しています。

                                    坂本龍一が制作したNokia 8800の着信音やアラートをまとめたビデオが話題に - amass
                                  • 坂本龍一さん 政府の原発回帰に「なぜ」「なぜ」「なぜ」 本紙に寄せたメッセージ全文:東京新聞 TOKYO Web

                                    音楽家・アーティストの坂本龍一さん(71)が、東日本大震災と東京電力福島第一原発事故から12年となったことに合わせ、本紙にメッセージを寄せた。政府が原発回帰の方針を示していることに関して「なぜこの国を運営する人たちはこれほどまでに原発に固執するのだろう」と批判。コンクリートが劣化し、テロやミサイル攻撃の標的になりかねないとして「むしろ時間が経(た)てば経つほど危険性は増す」と指摘している。(小椋由紀子)

                                      坂本龍一さん 政府の原発回帰に「なぜ」「なぜ」「なぜ」 本紙に寄せたメッセージ全文:東京新聞 TOKYO Web
                                    • FILT NO SMOKING NO LIFE 細野晴臣

                                      失われかけているものの中にこそ、かけがえのないものがある。ミュージシャン・細野晴臣が、今後も「遺したいもの」や、関心を持っている「伝えたいこと」を語る連載の第11回。一つ一つの言葉から、その価値観や生き方が見えてくる。 消えないスピリット。 最後に会った日。 2023年になってから、本当にいろいろなことがあったね。幸宏、鮎川誠くん、岡田徹くん、そして教授。みんな立て続けだったから、気持ちが追いつかなかった。落ち着いてひとりひとりにさよならも言えない、仲間が戦死していくときの気持ちってこういうことなのかな、と。 幸宏の印象はいまも2019年当時のまま、その後の4年のあいだ止まってる。僕がロサンゼルスでライブをしたとき、幸宏が観にきてくれて、そのあと呼ばれたDJパーティにも幸宏が来た。ちょうど幸宏の誕生日だった。だからバースデー・パーティになってね。そのときの元気な印象が強く残ってる。それから

                                        FILT NO SMOKING NO LIFE 細野晴臣
                                      • リベラルに心が折れた

                                        リベラルって一言でいう自称もどうかと思うが、とにかく社会的な構造から見ていく、差別を許さない、そういう意見に共感して今までやってきた。 労働環境や非正規雇用問題などもっと各論に立ち入ってほしいと思うこともあったけど、総論として扱われる反原発とかにもなるべく理解を示してきたつもりだった。 今、世間では坂本龍一が亡くなって氏の芸術や経歴についていろいろ語られている。その裏の全く関係ないところで、私のリベラルに対する期待が、折れた。 https://twitter.com/kawai_kanyu/status/1642718374965968896 私もuber配達員をやっている。非正規だけでは稼げず一年半ぐらい前から。もう1500配達くらいになる。uber配達員にはさまざまな背景がある。uber配達員をやるネトウヨ もいるだろう。だがこの言い草はなんだろうか。まるでuberで働くことが何かの罰

                                          リベラルに心が折れた
                                        • なぜ人は音楽を演奏し、歌うのか。坂本龍一にも影響を与えた、民族音楽の“巨人”小泉文夫 | ブルータス| BRUTUS.jp

                                          世界を聴いた男、小泉文夫 『世界を聴いた男』──これは、世界のあらゆる地域、あらゆる人々の間で綿々と受け継がれてきた「音」を求めて、取り憑かれたように世界中を駆け巡り、その収集/研究/紹介にすべてを賭した男の生涯を綴った評伝のタイトルである。 「民族音楽の巨人」、故・小泉文夫が日本の音楽界に残した膨大な業績は、その死後20年近くが経とうとする現在においても、まさに空前絶後と呼ぶほかない。彼の残した資料や音源の多くは現在、かつて教鞭をとった東京藝術大学音楽学部の「小泉文夫記念資料室」に収蔵されている。 今回、その資料室を十数年ぶりに訪れたミュージシャンの早川大地さんは、まさに「YMOから小泉さんに入った世代」。小泉と同じく東京大学の文学部で美学芸術学を学んだという早川さんは中学生の頃、図書館で小泉の編集したCDを手にし、初めて民族音楽の世界に触れたという。 「最初に聴いたのがギリシャのキプロ

                                            なぜ人は音楽を演奏し、歌うのか。坂本龍一にも影響を与えた、民族音楽の“巨人”小泉文夫 | ブルータス| BRUTUS.jp
                                          • 第1回 はじめに――「坂本龍一」と私|「教授」と呼ばれた男――坂本龍一とその時代 |佐々木 敦|webちくま

                                            比類なき輝きを放つ作品群を遺すとともに、「脱原発」など社会運動にも積極的に取り組んだ無二の音楽家、坂本龍一。その多面的な軌跡を「時代精神」とともに描き出す佐々木敦さんの新連載、始まります。 2023年4月2日日曜日の夜9時過ぎ、私は新宿某所で夕食を摂っていた。 ふとスマートフォンに目をやると、契約しているニュース・アプリから通知が届いていた。そこには「坂本龍一の死」が報じられていた。私はスマホから一瞬目を逸らし、小さく深呼吸をしてからもう一度、その画面を凝視した。 見間違いではなかった。坂本龍一が、坂本さんが、逝ってしまった。記事には数日前の3月28日に亡くなったとあった。享年71。がんとの闘病が伝えられていたとはいえ、早過ぎる死というほかない。私は突然の訃報に接した動揺と、ずいぶん前から覚悟していた時がいよいよ訪れたのだという、どこか穏やかでさえある気持ちの両方を感じていた。不思議なほど

                                              第1回 はじめに――「坂本龍一」と私|「教授」と呼ばれた男――坂本龍一とその時代 |佐々木 敦|webちくま
                                            • 山下達郎 坂本龍一との出会いを語る

                                              山下達郎さんが2023年5月4日放送のNHK FM『今日は一日“山下達郎”三昧 レコード特集2023』の中で『IT’S A POPPIN’ TIME』についてトーク。坂本龍一さんとの出会いなどについて話していました。 (杉浦友紀)続いては1978年リリースのライブアルバム『IT’S A POPPIN’ TIME』。初期作品の中でももう……(笑)。珠玉のライブアルバムですね。 (山下達郎)そうですか(笑)。 (杉浦友紀)ソロになって、一時、ライブ自体、演奏する機会が少なくなって。で、この時期ぐらいから復活してきたということですよね? (山下達郎)まあ、そうですけど。でもこの『IT’S A POPPIN’ TIME』のメンバーは皆、スタジオミュージシャンで。当時は本当に忙しい人たちで。ギャラが高いんですよね。ただ、ライブハウスだともっと安いギャラでやってくれるんですよ。なぜかというと、彼らもセ

                                                山下達郎 坂本龍一との出会いを語る
                                              • 【坂本龍一】ご報告 | エイベックス・ポータル - avex portal

                                                わたくしども所属の音楽家/アーティスト 坂本龍一が去る2023年3月28日71歳にて永眠いたしました。謹んでご報告申し上げます。 2020年6月に見つかった癌の治療を受けながらも、体調の良い日は自宅内のスタジオで創作活動をつづけ、最期まで音楽と共にある日々でした。 これまで坂本の活動を応援してくださったファンのみなさま、関係者のみなさま、そして病気治癒を目指し最善を尽くしてくださった日米の医療従事者のみなさまに、あらためて深く御礼申し上げます。 坂本自身の強い遺志により、葬儀は近親者のみで済ませておりますことをご報告いたします。また、弔問、ご香典、ご供花につきましても謹んで辞退申し上げます。 最後に、坂本が好んだ一節をご紹介します。 Ars longa, vita brevis. 芸術は長く、人生は短し 報道関係のみなさま、取材等はお控えくださいますよう心よりお願い申し上げます。 2023

                                                  【坂本龍一】ご報告 | エイベックス・ポータル - avex portal
                                                • 西武新宿駅前ミラノ座跡地に映画鑑賞4500円の富裕層向けシネコン「109シネマズプレミアム新宿」が誕生

                                                  109シネマズプレミアム新宿 ご家庭にホームシアターを持っている富裕層の人が、一家4人で1回約2万円の映画鑑賞をするのかどうか プレミアム上映規格 [IMAX]無・[ドルビーシネマ]無・[4DX]無・[SCREEN X]1スクリーン・[ドルビーアトモス]1スクリーン https://www.jiji.com/jc/article?k=000000451.000001956&g=prt

                                                    西武新宿駅前ミラノ座跡地に映画鑑賞4500円の富裕層向けシネコン「109シネマズプレミアム新宿」が誕生
                                                  • Ryuichi Sakamoto | 12

                                                    2023年2月12日に放送された「関ジャム 完全燃SHOW」坂本龍一特集のために本人が回答したアンケートを未公開分もふくめ公開します。 Q:「関ジャム 完全燃SHOW」はご覧になった事はありますか?また、番組の印象はいかがでしょうか? ありません。 ずっとアメリカに住んでいますし。 だけど、評判は聞いたことがあります。 今回も番組で扱っていただけるということで関係者が番組のことを熱く語ってくれました。 それから関ジャニ∞は知っています。 この何年か、治療で入退院を繰り返していてすっかり世間にうとくなってしまって・・・あまり世間で起こっていることはフォローしていないのです。 ごめんなさい。 ▼作品作りをする上で最新の機材、技術に関する質問 Q:普段見えない電磁波を音や光にしたり、曲の1音1音をNFTにしたり昔も今も新しい技術を積極的に取り入れられていると思うのですが、いま気になる技術(演奏機

                                                      Ryuichi Sakamoto | 12
                                                    • 【同窓生シリーズ】坂本龍一

                                                      坂本龍一(さかもとりゅういち):22回生 1952年東京生まれ。東京藝術大学音楽学部作曲家卒、同大学院修士課程修了。 78年「千のナイフ」でソロデビュー。同年、 細野晴臣、高橋幸宏とイエロー・マジック・オーケストラを結成、日本発のテクノポップサウンドで世界を席巻。84年、映画「戦場のメリークリスマス」で英国アカデミー賞作曲賞を、88年には「ラストエンペラー」で米国アカデミー賞作曲賞を日本人として初めて受賞。音楽活動の傍ら平和問題・環境問題に関わる社会への提言も多く、地雷撤去運動、脱原発運動を始め、森林保全団体「モア・トゥリーズ」、東日本大震災で被災した学校を支援する「こども音楽再生基金」の設立に携わるなど、数多くの運動を率いている。 ―新宿高校と聞いて最初に思い出すのは? 昔の古い校舎ですね、もう跡形もないんでしょうねえ。何とかの鐘ってのがあって、鐘の塔が残っていましたね。そう、戦艦三笠の

                                                      • 坂本龍一が当時あきれたシティ・ポップブーム「売れた奴らが牛丼じゃなく六本木のステーキ屋の話をしている…」 瀕死状態のロフトを救ったパンクイベント『DRIVE TO 80’s』とは | 集英社オンライン | ニュースを本気で噛み砕け

                                                        坂本龍一が当時あきれたシティ・ポップブーム「売れた奴らが牛丼じゃなく六本木のステーキ屋の話をしている…」 瀕死状態のロフトを救ったパンクイベント『DRIVE TO 80’s』とは メジャー化していくシティ・ポップに対抗して、当時、瀕死の状態にあったライブハウス「ロフト」が仕掛けたパンクイベントとは? 「ロフト」の創設者、平野悠が回顧する『1976年の新宿ロフト』(星海社新書)より、一部抜粋・再構成してお届けする。

                                                          坂本龍一が当時あきれたシティ・ポップブーム「売れた奴らが牛丼じゃなく六本木のステーキ屋の話をしている…」 瀕死状態のロフトを救ったパンクイベント『DRIVE TO 80’s』とは | 集英社オンライン | ニュースを本気で噛み砕け
                                                        • 坂本龍一さん死去、71歳 「YMO」「世界のサカモト」がん闘病力尽く ラストエンペラーで日本人初快挙(スポニチアネックス) - Yahoo!ニュース

                                                          「世界のサカモト」と評された音楽家の坂本龍一(さかもと・りゅういち)さんが3月28日、死去した。71歳。東京都出身。葬儀は近親者のみで営まれた。 【写真】1979年ワールドツアーを行っていた頃のYMO(左から)坂本龍一さん、高橋幸宏さん、細野晴臣 スポニチ本紙の取材では都内の病院で亡くなった。日本における坂本さんのマネジメント会社「キャブ」も「坂本龍一が去る2023年3月28日71歳にて永眠いたしましたした」と発表した。20年6月に直腸がんと診断され、両肺などにも転移しステージ4と公表していた。「キャブ」は「がんの治療を受けながらも、体調の良い日は自宅内のスタジオで創作活動をつづけ、最期まで音楽と共にある日々でした」とした。 1980年代に3人組バンド「イエロー・マジック・オーケストラ」(YMO)で世界的ヒット曲を生み出した。映画音楽でも知られ、88年には米映画「ラストエンペラー」で米アカ

                                                            坂本龍一さん死去、71歳 「YMO」「世界のサカモト」がん闘病力尽く ラストエンペラーで日本人初快挙(スポニチアネックス) - Yahoo!ニュース
                                                          • 坂本龍一さん追悼番組のお知らせ

                                                            NHKでは、3月28日に逝去された音楽家の坂本龍一さんをしのんで、追悼番組を放送します。 現在の時点で放送が決まっている番組を以下にお知らせいたします。 スコラ 坂本龍一 音楽の学校 『ドラムズ&ベース編(1)~(4)』 4月10日(月)午前1:32 ~ 午前3:28 ※日曜深夜 坂本龍一が講師となり、独自の解釈で音楽の魅力を解き明かす「スコラ 坂本龍一 音楽の学校」。2010年~2014年にかけて放送したシリーズの中から、ゲスト講師に細野晴臣と高橋幸宏を招いた「ドラムズ&ベース編」をアンコール放送する。 ※初回放送 2010年5月~6月 100年インタビュー 坂本龍一 4月8日(土)午後10:00 ~ 午後11:30 21世紀の今、時代を作り上げる人々の声に耳を傾け、彼らの思いと夢に迫る「100年インタビュー」。坂本龍一の音楽はどのような背景の中から生まれているのか。幼少期から現在にいた

                                                              坂本龍一さん追悼番組のお知らせ
                                                            • 音楽家 坂本龍一さん死去 71歳 YMOなどで世界的に活躍 | NHK

                                                              大学院を修了後、1978年にミュージシャンの細野晴臣さん、高橋幸宏さんとともに「イエロー・マジック・オーケストラ」=「YMO」としてアルバムを発表し、当時の最新の電子楽器を使った斬新な音楽性で“テクノポップ”という新たなジャンルを築きました。 1983年にYMOが解散したあと、坂本さんは、同じ年に公開された映画「戦場のメリークリスマス」に俳優として出演し、坂本さんが手がけた映画のテーマ曲は、長年にわたって聞き続けられる代表曲の一つとなりました。 そして1988年には、映画「ラストエンペラー」の音楽でアカデミー賞作曲賞を受賞したほか、グラミー賞など数々の賞を受賞して国際的な評価を高めました。 また、東日本大震災の被災者支援の音楽活動にも力を注いだほか、脱原発と非核を訴える活動を行うなど、社会的な活動にも力を入れてきました。

                                                                音楽家 坂本龍一さん死去 71歳 YMOなどで世界的に活躍 | NHK
                                                              • 坂本龍一|人物|NHKアーカイブス

                                                                1952-2023年、東京都出身。78年「千のナイフ」でソロデビュー。同年「YELLOW MAGIC ORCHESTRA (YMO)」を結成。散開後も多方面で活躍。自らも出演した映画『戦場のメリークリスマス』で英国アカデミー賞を、映画『ラストエンペラー』の音楽ではアカデミーオリジナル音楽作曲賞、グラミー賞、他を受賞。ほかにも、海外映画『シェルタリング・スカイ』、『スネーク・アイズ』や、『母と暮せば』『怒り』など日本映画の音楽を数多く担当。環境・原発問題などにも積極的に取り組んだ。NHKでは、『YOU』『スコラ 坂本龍一 音楽の学校』ほか多数出演。

                                                                  坂本龍一|人物|NHKアーカイブス
                                                                • ファイリングの背表紙を「あ〜ほ」「ま〜ん」に区分してることに気付いた

                                                                  今から変えた方がいいかな… 逆に怪しいかな? 職場のみんなはどう思ってるんだろう (追記) トラバにも書いたけど、元々一冊だったんだけど入らなくなって、ま以降を二冊目に移しました 「ん」から始まる外国人の方が時々いるので、んは必要です 大きなファイルにして一冊にまとめることにしました。コメントありがとうございました!

                                                                    ファイリングの背表紙を「あ〜ほ」「ま〜ん」に区分してることに気付いた
                                                                  • 坂本龍一って絶対に逃げ切っちゃダメな大御所アーティストだよな

                                                                    https://anond.hatelabo.jp/20210602141308 若いころの私は体力も自信も溢れんばかり。生意気で唯我独尊、傍若無人で傲岸不遜。今の私が会ったら「貴様、いい加減にしろ!」と、まず一発ぶん殴ってやりたいくらいの人間でした。 YMOで大ブレイクして、三十歳代半ばまでは、まさに人生の絶頂期。 遅刻やすっぽかしもしょっちゅうでしたし、運転手が気に入らないとすぐに殴ったり蹴ったり、今思えばとんでもないことですし、私の理不尽な暴行に耐え切れず辞めていった運転手の人たちには申し訳ないと思っています。 子供の頃、体格がよかったこともあって、力ずくで意思を通すことをあまりためらわない性格に育っていたんです。 月刊『文藝春秋』2012年2月号(『坂本龍一60歳 還暦の悦楽』)より引用 ――東京芸大作曲科、同大学院ではどんな学生生活を送っていたんですか。 (中略) 「こんな出来事

                                                                      坂本龍一って絶対に逃げ切っちゃダメな大御所アーティストだよな
                                                                    • 浅田彰が語る、完璧な演奏マシンから最後にヒトになった坂本龍一 マイケル・ジャクソンは坂本龍一と仕事をすることを望んだ | JBpress (ジェイビープレス)

                                                                      3月28日、音楽家の坂本龍一が亡くなった(享年71歳)。音楽グループ「イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)」でデビューし、自身も出演した映画「戦場のメリークリスマス」(日本公開1983年)のサウンドトラック「Merry Christmas, Mr. Lawrence」をはじめ、ソロ活動に転じてからも数多くの名作映画の音楽を手掛けてきた。音楽界、映画界、そして広く芸術界に多大な影響を与えてきた稀代の表現者は何を考え、何をなしたのか。坂本龍一を最もよく知る批評家で京都芸術大学教授・ICA京都(Institute of Contemporary Arts Kyoto)所長の浅田 彰氏に話を聞いた。(聞き手:長野光、ビデオジャーナリスト) ※2回目以降は明日以降、公開します ◎1回目:浅田彰が語る、完璧な演奏マシンから最後にヒトになった坂本龍一 ◎2回目:浅田彰が語る、あの映画のサントラが坂

                                                                        浅田彰が語る、完璧な演奏マシンから最後にヒトになった坂本龍一 マイケル・ジャクソンは坂本龍一と仕事をすることを望んだ | JBpress (ジェイビープレス)
                                                                      • 土屋昌巳が「一番伝えたかった」“教授”じゃない坂本龍一の姿 「立場が逆転した日」の記憶

                                                                        ロックバンド・一風堂のボーカルで、1982年に『すみれ September Love』を大ヒットさせた土屋昌巳(70)が、ENCOUNTに亡き坂本龍一さん(享年71)への思いと自身の「今」を語った。かつて同じバンドで活動した坂本さんとの思い出は数多く、その生きざまに影響を受けてきたことを明かした。 ロックバンド・一風堂のボーカルで、1982年に『すみれ September Love』を大ヒットさせた土屋昌巳(70)が、ENCOUNTに亡き坂本龍一さん(享年71)への思いと自身の「今」を語った。かつて同じバンドで活動した坂本さんとの思い出は数多く、その生きざまに影響を受けてきたことを明かした。(取材・文=福嶋剛) 坂本さんが亡くなって約1か月。土屋はしみじみと言った。 「『教授(坂本さん)の思い出を語ってほしい』と言われた時、僕が一番みなさんに伝えたかったことがあります。それは、YMO時代や

                                                                          土屋昌巳が「一番伝えたかった」“教授”じゃない坂本龍一の姿 「立場が逆転した日」の記憶
                                                                        • 坂本龍一さんと違う道歩くしかなかった 小室哲哉さんの憧れと劣等感:朝日新聞デジタル

                                                                          ","naka5":"<!-- BFF501 PC記事下(中⑤企画)パーツ=1541 -->","naka6":"<!-- BFF486 PC記事下(中⑥デジ編)パーツ=8826 --><!-- /news/esi/ichikiji/c6/default.htm -->","naka6Sp":"<!-- BFF3053 SP記事下(中⑥デジ編)パーツ=8826 -->","adcreative72":"<!-- BFF920 広告枠)ADCREATIVE-72 こんな特集も -->\n<!-- Ad BGN -->\n<!-- dfptag PC誘導枠5行 ★ここから -->\n<div class=\"p_infeed_list_wrapper\" id=\"p_infeed_list1\">\n <div class=\"p_infeed_list\">\n <div class=\"

                                                                            坂本龍一さんと違う道歩くしかなかった 小室哲哉さんの憧れと劣等感:朝日新聞デジタル
                                                                          • 坂本龍一 追悼連載vol.7:その音楽家人生と「ピアノ」という楽器について。『1996』を通じて考える | CINRA

                                                                            初めて坂本龍一という音楽家を意識したのは1992年のバルセロナオリンピックだったから、私は散開以前のYellow Magic Orchestra(YMO)をリアルタイムではほとんど知らない。ピアノを習っていたものの、ハノンやツェルニーといった練習曲にうんざりしていた15歳の私にとって、坂本は「外の世界」へと窓を開いてくれる存在だった。 坂本龍一(さかもと りゅういち) / Photo by zakkubalan ©2022 Kab Inc. 1952年東京生まれ。1978年に『千のナイフ』でソロデビュー。同年、Yellow Magic Orchestra(YMO)を結成。散開後も多方面で活躍。2014年7月、中咽頭がんの罹患を発表したが、2015年、山田洋次監督作品『母と暮せば』とアレハンドロ・G・イニャリトゥ監督作品『レヴェナント:蘇えりし者』の音楽制作で復帰を果した。2017年春には8

                                                                              坂本龍一 追悼連載vol.7:その音楽家人生と「ピアノ」という楽器について。『1996』を通じて考える | CINRA
                                                                            • 「コンクリート」の中には、実は人がいた。(※比喩表現)というお話。|お酒が好きなかえるさん

                                                                              新型ウイルス騒動の中、「アート関係への補償が不十分」(意訳)という話が、非常にエモーショナルな表現?で出てきたみたいでして。それに対する、こんなツッコミを見た。(引用元のアート関係ツイは、今は鍵かけられていて読めない。炎上でもしたのかな??) 建築業界はもう何十年も前に見殺しにされたけど世間様は拍手喝采だったのに、何を今さら 工事現場の警備のバイトしていたけど、現場のおっちゃんらの会話は悲惨だったぞ。 https://t.co/Uqr8e9JbIC — アプロ (@rUyaCVtIiRxgC9M) April 12, 2020 そういえば「コンクリートから人へ」というキャッチフレーズ、ちょっと前までやたらと流行りましたよね。 しかしそれを生業としてきた人達や雇用を生み出していた地方にとって。 たとえるならば、アートを生業としている人達から「芸術なんぞより倹約を」と言って仕事を奪っていくよう

                                                                                「コンクリート」の中には、実は人がいた。(※比喩表現)というお話。|お酒が好きなかえるさん
                                                                              • 坂本龍一さんの「たかが電気」発言は切り取りによるミスリード。死去で再び批判集まる(篠原修司) - エキスパート - Yahoo!ニュース

                                                                                作曲家の坂本龍一さんの死去にともない、坂本さんが2012年7月の脱原発デモに参加したときの「たかが電気です」という発言に対して再び批判が集まる事態が起きています。 筆者も当時、「たかが電気です」「たかが電気のために なんで命を危険にさらさないといけないのでしょうか」のキャプションが入ったキャプチャ画像を見て「電気はいるでしょ」と思ったのですが、全文を確認してみれば切り取りによるミスリードでした。 というわけで、ここに全文を書き起こします。スピーチの映像はこちらのYouTubeの動画から確認できます。 脱原発デモでの坂本龍一さん発言 全文書き起こしみなさん、こんにちは。 いまもこちらにたどり着くのが非常に困難で、それほどの人波です。 4会場あるそうなんですが、それもみんな人で埋まっているという。 ちょうど思い起こせば42年前に、私はまだ18歳で、ここにいました。代々木公園にいたんです。そのと

                                                                                  坂本龍一さんの「たかが電気」発言は切り取りによるミスリード。死去で再び批判集まる(篠原修司) - エキスパート - Yahoo!ニュース
                                                                                • Ryuichi Sakamoto’s Borderless Brilliance

                                                                                  Paying tribute to the visionary Yellow Magic Orchestra member and Oscar-winning composer, who died last month at 71 from cancer Most people would identify Düsseldorf, Germany, or Detroit—hometowns of Kraftwerk and Cybotron, respectively—as the birthplace of techno. Some might make a case for Sheffield, England, and its scions the Human League and Cabaret Voltaire. One city that never comes up is T

                                                                                    Ryuichi Sakamoto’s Borderless Brilliance

                                                                                  新着記事