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historyと1312に関するsometkのブックマーク (6)

  • 【閲覧注意】 原爆を落とされた時の長崎の映像をご覧ください : ロン速

    2013年12月22日12:29 【閲覧注意】 原爆を落とされた時の長崎の映像をご覧ください Tweet コメント コメント( 14 ) 1: 風吹けば名無し 2013/12/22 02:32:21 ID:FwfwbYCn 1時間10分ごろ http://www.youtube.com/watch?v=-EsW_uvnSao 【画像あり】宇多田ヒカルがマスコミ叩きまくった結果wwwwww 【閲覧注意】 関東連合、真のトップの画像が怖すぎると話題に・・・・・・ (画像あり) アメリカのエ□漫画がクォリティ高すぎな件wwwwwwwww 「アダムス・ファミリー」の女の子がヌードになってたなんて知らなかった…(動画) この画像の旦那自殺したってマジ? いちご100%の6巻52ページがエ口いwwwwwwwwwwwwwwwwww 放送事故系エロ画像でこれを超える奴あんの? 嘘か!当か!今も語り継が

    【閲覧注意】 原爆を落とされた時の長崎の映像をご覧ください : ロン速
  • 天才プログラマ兼経営者 登 大遊が語るエンジニアに伝えたいこと|三年予測|dodaエンジニア IT

    プログラマ兼経営者 登 大遊(のぼり だいゆう) 1984年生まれ。29歳。2003年、筑波大学1年に在学中、VPNソフトウェアSoftEtherの開発が「未踏プロジェクト」に採択される。2004年4月、ソフトイーサ株式会社を起業、代表取締役に就任。SoftEtherの後継となるVPNソフトウェアやサービスを次々に開発。筑波大学大学院システム情報工学研究科コンピュータサイエンス専攻博士後期課程に在学中の大学院生でもある。 「低レイヤー」、「異常な努力」、「AC」、「怠けるために仕事をしてるんです」──ソフトイーサ株式会社の経営者で、自らプログラムを書き続ける登大遊(のぼり だいゆう)の語り口は独特だ。だが、よく耳を傾けているうちに、登の中の価値観が浮かび上がってきた。登は、プログラマの言葉である“ハック”をなにより重んじる生き方をしてきたのだ。 まず時計の針を10年前に戻すところから始めよ

    天才プログラマ兼経営者 登 大遊が語るエンジニアに伝えたいこと|三年予測|dodaエンジニア IT
  • フォード・モデルT - Wikipedia

    フォード・モデルT(Ford Model T)は、アメリカ合衆国のフォード・モーター社が開発・製造した自動車である。 アメリカ国ではティン・リジー[注釈 2]などの通称があるが、日ではT型フォードの通称で広く知られている。 1908年に発売され、以後1927年まで基的なモデルチェンジのないまま、1,500万7,033台が生産された[注釈 3]。4輪自動車でこれを凌いだのは、唯一2,100万台以上が生産されたフォルクスワーゲン・タイプ1(ビートル)が存在するのみである。その廉価さから、アメリカをはじめとする世界各国に広く普及した。 基構造自体、大衆車として十分な実用性を備えた完成度の高い自動車であり、更にはベルトコンベアによる流れ作業方式をはじめ、近代化されたマス・プロダクション手法を生産の全面に適用して製造された史上最初の自動車という点でも重要である。 歴史[編集] モデルTの出現

    フォード・モデルT - Wikipedia
    sometk
    sometk 2013/12/29
    パソコンだと、‥的な
  • ワープロでノマドしてウェブ記事作った:検証、未来の働き方 | ライフハッカー・ジャパン

    温故知新エントリーです。この記事はワープロで書いて、写真はフィルムカメラで撮影してみました。 今年で創業77年を迎えるリコーのスペシャルサイト「西暦2036年を想像してみた」。各界のクリエイターが想像した未来をイラスト化し、リコーの研究者がそのイラストに描かれた、2036年(つまり、今から23年後)の働き方や仕事環境について語り合うトークが紹介されています。『機動警察パトレイバー』でも有名な漫画家のゆうきまさみさんは、ARメガネを活用した「バーチャル通勤」がトレンドになるかもしれないと予想していました。 2036年はリコーが創業100周年を迎える節目の年。片や、兄弟メディア「ギズモード・ジャパン」でも指摘していましたが、世界中のコンピュータが誤作動を起こしてしまう「2036年問題」があるともいわれています。だからこそ、不安な将来像ではなく、自分たちが明るい未来を切り拓くのだというメッセージ

    sometk
    sometk 2013/12/21
    こういう記事好き。
  • 昭和生まれのオッサンが見てきたインターネットの世界 - ま、こんなもんでしょ blog

    平成生まれの僕が見てきたインターネットの世界 読みました。昭和(1970年代)生まれのオッサン的にもインターネットで話題! とかアオリをテレビや新聞の広告やニュースで見る度に、「ドコのインターネットやねん!」と心の浜田雅功が突っ込む事が多々あるわけで。 でもその一方で、「僕の知っているインターネット」はどういうものだったろう、とも考えた。今の子供たちほどデジタルネイティブな世代とは言えないだろうが、小学生の頃からインターネットに触れていた。今まで、どんなサービスを、どのように使ってきただろう。そんな回顧録。 コレに俺ものっかって、人生ではじめて見たホームページは『月あんこのホームページ』という黒歴史を持つオッサンが、使ってきたネットサービスとコミュニティ中心に、備忘録代わりに行う回顧録はじめます。 はじめてのぱそこん1997年10月 手にしたばかりのバイト代から10万円を、キョウエイマー

    昭和生まれのオッサンが見てきたインターネットの世界 - ま、こんなもんでしょ blog
  • mp3がアングラだった時代 - 雑種路線でいこう

    Winampが公開された1997年ぼくは秋葉原の雑居ビルにある謎のDOS/Vショップで店番してた。欧州のFTPサイトで落としたMODをBGMで流してたその店で、mp3はWareZな連中がCD-Rに焼いて交換するもので、持ち運びながら聞く手段さえなかった。mp3をつくるにはリッピングと圧縮に別々の不親切なソフトが必要で、Winampで音楽を聴くのはちょっとしたステータスだった。韓国の会社がMPMANを発表するのは翌98年2月、ガジェットとしては興味深かったけれどもMDプレーヤーと較べて高いし粗削りでメリットは感じなかった。 米Nullsoft, Inc.は20日(現地時間)、マルチメディアプレイヤー「Winamp」の最新版v5.66を公開するとともに、12月20日で「Winamp」の公開を含む“Winamp.com”の全サービスを終了することを宣言した。 mp3と聞いてピンとくる人がいれば、

    mp3がアングラだった時代 - 雑種路線でいこう
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