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historyとsakeに関するtachisobaのブックマーク (17)

  • 「世界最古」のビール醸造所、古代エジプトの遺跡で発見

    エジプト南部アビドス遺跡で発掘された、古代エジプトのビール醸造所の土器(2021年2月13日、観光・考古省提供)。(c)AFP PHOTO / HO / EGYPTIAN MINISTRY OF ANTIQUITIES 【2月14日 AFP】エジプト観光・考古省は13日、古代エジプトの墓所だった南部アビドス(Abydos)の遺跡で、「世界最古」とみられる大量生産型のビール醸造所が発掘されたと発表した。 同省はフェイスブック(Facebook)に、「ニューヨーク大学(New York University)のマシュー・アダムズ(Matthew Adams)博士とプリンストン大学(Princeton University)のデボラ・ビシャック(Deborah Vischak)博士が率いるエジプトと米国の合同考古学調査団は、ソハーグ(Sohag)県北アビドス(North Abydos)の調査で、

    「世界最古」のビール醸造所、古代エジプトの遺跡で発見
  • 【ネタかと思ったらガチだった】漫画『へうげもの』で徳川家康が愛飲している酒にあのマークが……?!実は史実に基づいた描写だった

    SOW@ @sow_LIBRA11 「へうげもの」の中で、家康が「養命酒」を愛飲しているんだが、あのマークまで容器に書かれていて、ネタかなと思ったら、あの養命酒の飛竜のマーク、徳川家康が養命酒の生みの親で、製造元の養命酒株式会社の創業者の先祖である塩沢宗閑に与えた、「日最初の商標」なんだな。 pic.twitter.com/6cX3XC5POA 2020-12-06 10:38:15

    【ネタかと思ったらガチだった】漫画『へうげもの』で徳川家康が愛飲している酒にあのマークが……?!実は史実に基づいた描写だった
  • 清酒の文明化と文化性の再構築 酒造りへの科学技術導入、酒がもたらした文化的な価値

    ▲昭和初期の月桂冠PR映画『選ばれた者』(1931年=昭和6年制作)より 清酒の文明化と文化性の再構築 酒造りへの科学技術導入、酒がもたらした文化的な価値 酒の産業を知る - 酒文化論・技術論 20世紀の酒文化を振り返り、酒がどのような価値をもたらしたか。「20世紀の酒文化」研究の一環として、酒文化研究所が行ったインタビュー。日酒は地域的な風土性よりも、技術如何が品質に大きな影響を与えるため、質的には「文明の酒」である。しかし、日歴史文化の中で育まれてきただけに、日酒の幅広い文化性を再構築すべきだと語る。 語り手:栗山一秀。1926年生まれ、月桂冠元副社長。 聞き手: 酒文化研究所・山田聡昭氏(インタビュー:1999年11月26日) 出典:酒文化研究所『月刊 酒文化』2000年3月号 外来の酒による酒文化の変貌 ー清酒にとって20世紀はどんな時代であったか、そして清酒がこの世紀

    清酒の文明化と文化性の再構築 酒造りへの科学技術導入、酒がもたらした文化的な価値
  • 旅行記  ・『焼酎の落書き』のある神社 - 鹿児島県大口市

    鹿児島県の北部、熊県との県境に位置する大口(おおくち)市や菱刈(ひしかり)町では、伊佐地方の恵まれた天然環境のもとで、伊佐美・ 伊佐錦・大泉などの格焼酎が生産されてきました。そんな大口市に、『郡山八幡神社』という神社があります。建立は建久4(1193)年と言われ、京都の金閣寺より古い歴史を持ち、室町および桃山形式の手法と琉球建築の情緒が見られる神社で、国の重要文化財に指定されています。現在の殿建物は、昭和29(1954)年に国の手で復元修補されたものですが、復元修補の際に非常に珍しいものが発見されました。それは、殿北東の柱貫の先端に久しく釘付けにされ塗り込められていた木片の裏に書かれた、「座主が一度も焼酎を飲ませてくれない。」という内容の落書きです。これが、わが国における『焼酎』という文字の初見であり、今から4百数十年前の室町時代に、すでにこの地に焼酎が普及し、庶民に飲まれていたこ

  • 鎖国直前にワイン造り、古文書確認「ぶだう酒を作り…」:朝日新聞デジタル

    江戸時代初期に小倉藩(現在の九州北部)の藩主細川忠利が、家臣に命じてワインを醸造していたことが、熊大による古文書の調査でわかった。糖分の少ないヤマブドウに酵母のついた黒大豆を加え、発酵させた醸造酒だったことが読み取れたという。 熊大の稲葉継陽(つぐはる)教授(日中世史・近世史)によると、ワイン造りの記録は寛永4(1627)年以降の史料にあった。同5年の秋に忠利が発した命令を記した文書には、「ぶだう酒を作り申(もうす)時分にて候(ぶどう酒をつくる時期だ)」との記述があった。原料のヤマブドウ収穫のために奉行所が家臣を派遣したことや、製造技術を持つ家臣に対し、別の家臣にも技術を伝えるよう忠利が命じたことも記されていた。 同6年の史料には、黒大豆を…

    鎖国直前にワイン造り、古文書確認「ぶだう酒を作り…」:朝日新聞デジタル
  • 信長の焼き打ちで途絶えた酒造り444年ぶり復活へ 滋賀 | NHKニュース

    織田信長による焼き打ちで寺での酒造りが途絶え、幻とされている日酒を444年ぶりに復活させようと、滋賀県東近江市で酒米の田植えが行われました。 しかし、1573年(天正元年)に信長に寺が焼き打ちされ、酒造りは途絶えたということです。 この酒を444年ぶりに復活させ、地域おこしにつなげようと、6日、地元の農家などおよそ20人が、酒米が栽培されたと伝わるおよそ1100平方メートルの田んぼで田植えをしました。 参加した人たちは、早乙女姿になるなどして、農家の指導を受けながら丁寧に苗を植えていました。 取り組みの発起人の比嘉彩夏さんは「どのような味になるかわからないが、かつて愛されたように現代の人にも愛される酒にしたい」と話していました。 この酒米は9月に稲刈りが行われ、酒は来年1月に完成する予定です。

  • 【関西の議論】「小便みたいな泡飲めるか!」 浪速っ子も顔をしかめた国産ビール 発祥の地・大阪で根付かなかったワケとは…(1/4ページ)

    国産ビール発祥の地は大阪だとご存じだろうか? 「日のビール発祥地は横浜で、現在のキリンビールの前身」という話はよく知られているが、実はこれは外国人の手によるもので、日人によって初めて格的に生産されたのは大阪・堂島だった。明治初期の、まだ丁髷(ちょんまげ)姿が残っていた大阪の町で誕生した国産ビール第1号。しかし、残念ながらさすがの新しいもの好きの浪速っ子も、慣れない琥珀(こはく)色の液体に「けったいな小便みたいな泡飲めるか!」と顔をしかめたという。(上岡由美) ■北新地に建つ石碑 大阪・キタの歓楽街、北新地。三方を道路で囲まれた小さなスペースに高さ1メートルほどの石碑がひっそりと建つ。「国産ビール発祥の地」と刻まれたこの石碑、大阪教育委員会が平成14年に建立したもので、碑文にはこう記されている。 《渋谷庄三郎は明治五年(一八七二)からこの地でビールの製造をはじめたアメリカ人技師の指導

    【関西の議論】「小便みたいな泡飲めるか!」 浪速っ子も顔をしかめた国産ビール 発祥の地・大阪で根付かなかったワケとは…(1/4ページ)
  • 江戸の大食い・大酒飲み大会の記録 | Kousyoublog

    以前、「『居酒屋の誕生: 江戸の呑みだおれ文化』飯野 亮一 著」という記事で紹介したが、居酒屋文化とともに料理文化が芽生えたのも江戸時代のことだった。特に文化化政期(1804~30年)は江戸の料理文化の爛熟期といえる。そんな江戸の文化で興味深いのが大酒大大会の開催である。色々記録が残っていて、これが面白い。 酒合戦という酒の飲み比べは古くは慶安二年(1649)、江戸大塚の酒豪・茨木春朔樽次と武州橘樹郡大師河原村の池上太郎左衛門行種との間で行われたものがあり、これが江戸時代を通じて語り継がれた。 千住酒合戦 1815年(文化十二年)10月21日、日光街道千住宿の中屋六右衛門が自らの還暦を祝って開催した酒合戦は江戸の代表的な文人・大田南畝によって観戦記録が著されている。江戸文化史に名高い千住酒合戦である。参加者それぞれの酒量に応じ、江ノ島盆(五合)、鎌倉盆(七合)、万寿無量盆(一升五

    江戸の大食い・大酒飲み大会の記録 | Kousyoublog
  • 「居酒屋の誕生: 江戸の呑みだおれ文化」飯野 亮一 著

    幕末に日を訪れた外国人が驚いたことの一つに、日人がひどく酒癖が悪いというものがある。例えばヘボン式ローマ字で知られるヘボン(日在住1859~92)は昼間っから酒を飲んで酔いつぶれ、あるいは大暴れしている人びとの多さに驚き、また酔って仕事もままならなくなる日人家事使用人たちに悩まされている。せめて仕事中ぐらいは酒を飲まない労働者を雇えないかと日人商人に尋ねるが、そんな日人を見つけるのは難しいと言われて途方に暮れていた。他の外国人もすっかり出来上がった武士の姿に恐怖を感じている。昼間っから刀持った酔っぱらいが歩いているんだからそりゃ怖い。ヘボンに遡ること三百年、ルイス・フロイスも戦国時代の日人の酒癖の悪さを書き留めていて、もちろん欧米でも酔っぱらいは多かったものの、西洋人からは日人の酔い方は度を越して酷いと見られていた。 武士も町人も昼間っから酒を飲んで仕事もそこそこに、そこら

    「居酒屋の誕生: 江戸の呑みだおれ文化」飯野 亮一 著
  • ビール好きなら知っておきたいビールの歴史 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    ビールはどうやって今の形になったのか これからの季節、ビールがたいへん美味しい時期ですね。 あっつい中汗だくになりながら流し込む、ギンギンに冷えたビール。 疲れた体に至高の一杯です。 日の大手ビールメーカーのビールも大変おいしいのですが、いまはクラフトビールが流行ってますよね。 様々な種類のビールをコンビニでも手軽に買って楽しめるようになってきました。 ピルスナー、ヴァイツェン、IPA、スタウト、シュヴァルツ等々。ビール党にとっては大変いい時代です。 これからビールの季節の前に、どうやって今のビールのスタイルが作られてきたのか、知識として知っておきましょう。 今回は主にヨーロッパを中心に、古代から近代にかけてのビールの成り立ちを書いていくことにします。 1. 古代人が飲んだビールの味とは ビールの起源 ビールの歴史は非常に古く、紀元前4,000年頃から既に飲まれていたそうです。 その起源

    ビール好きなら知っておきたいビールの歴史 - 歴ログ -世界史専門ブログ-
  • 竹鶴政孝の記録~「マッサン展」から(上) : 新おとな総研 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)

    大正時代にスコットランドからウイスキー造りの技術を持ち帰り、日のウイスキー造りの礎を築いた竹鶴政孝と、日とスコットランドの交流に関する史料を集めた外務省外交史料館の特別展「マッサン展」から、みどころの一部を3回にわたって紹介します。 竹鶴政孝、大正7年の旅券 竹鶴政孝は、広島県の生家が製塩業とともに酒造を営んでいたこともあって、早くから酒造に興味を抱き、大阪高等学校(現在の大阪大学工学部)の醸造科に学びました。在学中から洋酒の製法に関心を寄せ、大正5年(1916年)3月、当時大阪で洋酒製造を行っていた摂津酒造を訪ね、卒業前にもかかわらず入社を許されました。 当時の摂津酒造を含む日の洋酒業界では、アルコールに水を加え、カラメルで色をつけ香りのエッセンスを加えたイミテーション・ウイスキーを作るのが精一杯でした。摂津酒造の阿部喜兵衛社長は、国産の格的ウイスキーを製造するには、スコットラン

    竹鶴政孝の記録~「マッサン展」から(上) : 新おとな総研 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)
  • 職人・竹鶴政孝(マッサン)と天才・鳥井信治郎(鴨居の大将)「本当の関係」NHK朝ドラ『マッサン』ではよくわからない(週刊現代) @gendai_biz

    かたや酒造りの夢をひたすら追い続ける職人肌。一方、お客様至上主義で突っ走るビジネス界の風雲児。水と油のような二人は一瞬交錯し、やがて袂を分かった。国産ウイスキーという宝物を残して。 いまでいう「ダメンズ」 「今度売り出す新商品の『ウイッキー』や」 「なんじゃこれ、ウイスキーと炭酸混ぜたんですか?なんでウイスキーを薄める必要があるんです」 「飲みやすいからや。大衆はウイスキーの味をまだ知らん。これやったら日人とウイスキーの出会いを見事に演出できると思わんか?大発明やろ」 NHKの朝ドラ『マッサン』で、堤真一演じる鴨居の大将(モデルは鳥井信治郎)とマッサン(玉山鉄二演じる竹鶴政孝)がやりあうシーンだ。 スコットランドでウイスキーの醸造技術を学んで帰国したマッサンは、日で初めての格的なピュアモルト・ウイスキーの製造を目指して東奔西走するが、収益が見込めるかどうかわからない事業にカネを出して

    職人・竹鶴政孝(マッサン)と天才・鳥井信治郎(鴨居の大将)「本当の関係」NHK朝ドラ『マッサン』ではよくわからない(週刊現代) @gendai_biz
  • 蕎麦に日本酒や結婚式の鏡開きはどこが始めたか

    蕎麦屋で蕎麦と一緒に日酒を楽しむ。今では割と当たり前のこの美味しい組み合わせ。いつ誰が広めたかご存知でしょうか? 他にも、樽酒を木槌で叩いて空ける「鏡開き」。これを結婚式の場で行う事を広めたのは誰でしょうか? 実はこの全てが東京で今も酒を造り続ける酒蔵が発祥と言われています。蔵に行って話を聞かせて頂きました。 1972年生まれ。元機械設計屋の工業製造業系ライター。普段は工業、製造業関係、テクノロジー全般の記事を多く書いています。元プロボクサーでウルトラマラソンを走ります。日酒利き酒師の資格があり、ライター以外に日酒と発酵品をメインにした飲み屋も経営しているので、体力実践系、各種料理、日酒関係の記事も多く書いています。(動画インタビュー) 前の記事:辛い日酒は無い!日酒はみんな甘いんだ! ~日酒講座開催の記録~ > 個人サイト 酒と醸し料理 BY 工業製造業系ライター 馬場吉

  • NIKKEI STYLEは次のステージに

    キャリア、転職、人材育成のヒントを提供してきた「リスキリング」チャンネルは新生「NIKKEIリスキリング」としてスタート。 ビジネスパーソンのためのファッション情報を集めた「Men’s Fashion」チャンネルは「THE NIKKEI MAGAZINE」デジタル版に進化しました。 その他のチャンネルはお休みし、公開コンテンツのほとんどは「日経電子版」ならびに課題解決型サイト「日経BizGate」で引き続きご覧いただけます。

    NIKKEI STYLEは次のステージに
  • 日本酒の歴史 昭和60年代以降 - 板前日記

    昭和40年代後半になると日酒蔵では、「このまま三増酒だけではいけない」「売れればいいだけの桶売りでは日酒の将来はない」「自分が美味しいと思うお酒を造りたい」という若い世代が出現し始めます。酒屋さんにも全国で「自分の売っているお酒は当に美味しいのか?」「こんな不味い酒じゃなくどこかに美味しいお酒があるはずだ」と目覚める若い世代がポツポツと現れ始めます。 昭和50年代は蔵元も酒屋さんも、志のある方々が自分たち自身が美味しいと思うお酒を造り売ろうとする試みに七転八倒した時期です。しかしながら、一般消費者の認識は「大手酒造=安心・美味しい・ブランド」が根強く、少しでも日酒に興味がある方でもメディアで知った「幻の酒信奉」にこだわる方ばかりでした。 自らの足で探した美味い酒だけを店に置いても「なぁぁんだ、白○(大手ブランド)ないのぉ」とか「幻の○○は置いてない?」という客ばかり。「客はバカばっ

    日本酒の歴史 昭和60年代以降 - 板前日記
  • フランスのワイン造りは「イタリアから伝来」、論文

    南仏モンペリエ(Montpellier)近郊Lattaraにある、紀元前525~474年にエリトリアの商人たちが利用していたと考えられている場所(撮影日不明)。(c)AFP/UNIVERSITY OF PENNSYLVANIA/Michel Py, l'Unite´ de Fouilles et de Recherches Arche´ologiques de Lattes 【6月4日 AFP】フランスにある最も古い「ワインの痕跡」を分析した結果、ワインがイタリアから持ち込まれ、当時はバジルやタイムといったハーブが混ぜられていたことが明らかになったとする研究論文が、3日の米科学アカデミー紀要(Proceedings of the National Academy of Sciences、PNAS)で発表された。 研究チームによると、当時のワインは薬として使われていた可能性があり、最初は富と

    フランスのワイン造りは「イタリアから伝来」、論文
  • Shall we crack open the 350AD vintage? Historians debate whether to open 'world's oldest bottle of wine'

    Shall we crack open the 350AD vintage? Historians debate whether to open 'world's oldest bottle of wine'
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