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ブックマーク / somethingorange.net (12)

  • 「日本人はバカばっか(ただしオレは除く)」という言説の傲慢。 - Something Orange

    まあ、タイトルの通りなんですが、Twitterを見ていると、よく「この国の人間は心の冷たい人間が多い」とか「日人はいつのまにか正常な判断力を失ってしまった」といった、やたらに大きな話を常識のようにして語る人がいるよな、という話題。 別段、日や日人を非難してはいけないとは思わないが、Twitterで見かけるこの手の日語りは、根拠に乏しいところに特徴がある。たとえば原発事故にかこつけて、「いまだに日は全原発廃炉を実現できていない。いつのまに日人はこれほど情けない民族になってしまったのか」などと言ったりする。いうことが大きい上に大雑把なのである。 ぼくはこの手の言説を初めに「この国は〜」などと大上段に構えることが多いことから、「この国語り」と呼んでいる。この国語りの特徴は、とにかく根拠なく日ないし日人を非難していることである。 この国語りをしているひとのツイートを追いかけていると

  • 『魔法先生ネギま!』に見る、読者補完型ストーリーテリング。 - Something Orange

    魔法先生ネギま!(36) (講談社コミックス) 作者: 赤松健出版社/メーカー: 講談社発売日: 2011/11/17メディア: コミック購入: 1人 クリック: 68回この商品を含むブログ (34件) を見る 赤松健『魔法先生ネギま!』がいよいよ佳境に入っている。いままでの穏やかな日常は崩壊し、物語はいままでにない凄まじい速度で結末へと進んでいく。 あとどれくらい話が続くのかわからないが、一年以上続くことはないのではないか? そんなふうに思う。少なくともこの先何年も続いてゆくことはなさそうだ。 ひとつの長い物語が終わろうとしている――感傷に浸りたいところだが、それも許さずに物語は怒涛の勢いで進む。いったいこの先にどんな結末が待ちかまえているのか? ハッピーエンドになることは間違いないと思うけれど、いくらかの苦さは覚悟しなければならないかもしれない。いずれにしろ、読者にできることはいままで

    『魔法先生ネギま!』に見る、読者補完型ストーリーテリング。 - Something Orange
    takaaki110
    takaaki110 2012/02/09
    既にこの次の話を読んでからこの記事を見たので、今どういう思いになってるんだろうと非常に気がかり。
  • NHKが流せなかったテレビ番組の裏側。 - Something Orange

    タイトルは3分の2だけ釣り。 言葉の嵐 作者: 春風亭小朝出版社/メーカー: 筑摩書房発売日: 2000/02/01メディア: 単行 クリック: 2回この商品を含むブログ (8件) を見る いまから少し前、NHKの『小朝が参りました』という番組で、春風亭小朝が全国の百歳の老人に逢ってまわる企画があった。このにはその裏話が載っていて、これがおもしろい。 たとえば、こんなひとがいる。 戦争へ行って、たくさんの人間を撃ったというお爺ちゃん。この方自身も左肩を撃たれているにもかかわらず、「また戦争してえ。人を撃ちてえなあ。あの感じが忘れられねぇんだよ」と、目を輝かしてお話になるのです。 いいですねえ。健康の秘訣なんかどうでもいいからこういうところをクローズアップしろよ、と思うのだが、当然、この部分はカットされて画面には白鳥が映っていたそうだ。 こんなひともいる。 家の中で倒れて救急車で運ばれ、

    NHKが流せなかったテレビ番組の裏側。 - Something Orange
  • ぼくたちの平和ボケを誇ろう。 - Something Orange

    この成熟した後期資制社会のリベラリズムが行きついた価値が真っ白な薄い社会に、それに合わせて、経済的な未来の成長が期待できない「いつまでもいま居る自分の世界から抜けられない絶望」が重なる。そして、その影響を受けるのは、ストックではなくフローによって経済を回すことを選んでいた日社会全般に覆いかぶさってきます。もちろん、戦後70年以上の平和は、日に凄まじい額の金融ストックをもたらしました。だから、この下り坂は「緩やか」であろうし、その余裕によって、先進国のフロントランナーたるさまざまな知的高付加価値の産業やビジネスモデルも生まれるでしょう。けれども、それは、アメリカにおけるアメリカンドリームのようなもので、かなりの確率でありうるものではあっても、ほとんどパンピーにとっては無縁の世界。ビル・ゲイツやジョブスが生まれる傍ら『ボウリングフォーコロンバイン』の世界が続くのです。 そこで、それでも、

    ぼくたちの平和ボケを誇ろう。 - Something Orange
    takaaki110
    takaaki110 2011/03/29
    「平和ボケ」に対して、"ボケてるぐらいがちょうどいい"と言ったテレンス・リーを思い出した。
  • 男が少女漫画を読むということ。 - Something Orange

    はてな匿名ダイアリーで少女漫画の話が盛り上がっている。 「俺、少女漫画好きだよ」と言う男に、好きな作品や作家を聞いて24年組の名前があがってくるとげんなりする。心底がっかりする。24年組は私も大好きだし、素晴らしい作家さんだと思うけども、臆面も無く萩尾望都・大島弓子の名を挙げる人のほとんどが、それ以外の少女漫画を読んでいないんだもの。それどころか、その24年組作家さんの最近の作品も読んでいない。せめて「バルバラ異界」ぐらい読んでから言ってもらえませんかね。 「少女漫画を理解する心の広い俺」 極論である。 この書き手の経験則としては正しいのかもしれないが、一般論としては、「臆面も無く萩尾望都・大島弓子の名を挙げる人のほとんどが、それ以外の少女漫画を読んでいない」とはとても思えない。 しかし、この意見に対し、id:msknskさんは「最近まで、24年組以降の少女マンガについての評論はあまりに少

    男が少女漫画を読むということ。 - Something Orange
  • 最先端がここにある! ブログ「レスター伯の躁鬱」がマジ斬新な件。 - Something Orange

    昔話である。 かつて漫才ブームはなやかなりし頃、かの天才芸人島田紳助は、無名の新人コンビダウンタウンの漫才を見て、当時人気絶大だった紳助竜介の解散を決めたそうだ。 そこには、天才なればこそ見抜ける後発の新人の圧倒的な「斬新さ」、絶対的な「同時代性」があったのであろう。 いかに優れた文化、芸術、芸能といえど、時の波濤には耐えられない。あらゆる才能はいつかは「あとから来るもの」に追いつかれ、追いぬかれ、「過去の遺物」にされる運命にあるのである。 ブログもまた然り。だから、ぼくがブログ「レスター伯の躁」(id:pushol_imas)を初めて読んだとき感じたのは、「やべぇ」という、形容しがたい危機感であった。やべぇ、「Something Orange」とかもう古いじゃん! これからはレスター伯の時代だよ! いや、このように書いてもまた身内ぼめのたぐいかと思われるだけだろう。だから、これから「躁

    最先端がここにある! ブログ「レスター伯の躁鬱」がマジ斬新な件。 - Something Orange
  • 「パクリ」死すべし。 - Something Orange

    きのうラジオで延々と話していたのだが、「パクリ」という言葉を軽々しく使うことには問題があるよね、という話。当然ながらそう思うのはぼくひとりではないようで、たとえばニコニコ大百科にはこのような記述が存在する。 同じく模造などを表す言葉に「オマージュ」「パロディ」などがある。 これらの語句を明確に区別しようとする場合、線引きは人によって若干異なるため、しばしば議論になる。 (中略) パクリとオマージュ・パロディは別のものであり、パクリを叩く理由を考えるとそれらを混同してしまうのは手段と目的を履き違えていると言わざるを得ないが、残念な事に混同して十把一絡げに「パクリ」と言う者が少なからず存在する。 (中略) 当然だが、パクっている訳では無い物をパクリと呼ばれれば、作者人のみならずその作品を視聴していた第三者にも不快感を与える。 悪意を持って意図的にパクリという言葉を使う者は言うまでもないが、パ

    「パクリ」死すべし。 - Something Orange
    takaaki110
    takaaki110 2010/09/06
    明らかにその界隈で有名なモノ(ウン万人の人が見てる)をネタにしてる動画にも「パクリ」というコメントはあった。
  • 乱暴な言葉遣いの人間は差別する。 - Something Orange

    先日、Twitterにこのようなことを書いた。 特にネットでは、ぼくは意見の正否「だけ」で相手を判断するつもりはもはや全くない。下品な人間の相手をすることはいやだし、ひとの悪口を安全なところから吐く人間にかかわるのもいやだ。しらないひとと不毛な議論をする意欲もない。それで当然だと思っている。そうすべきでない理由はあるだろうか? 「意見と人格は切り離して考えるべき」「嫌なやつのいうことでも正論は正論」という考え方があることはわかるけれど、逆にいうと「いくら正論をいっていても嫌なやつは嫌なやつ」であるわけで、そういう人間は遠ざけたい。遠ざけることが逃げだとは思わないし、閉塞だとも感じない。精神衛生上の問題。 まあ、「意見だけはとりあえず受け入れて、その人物は遠ざける」というのがいちばん適切な対応かな……。「批判は受け容れるべき」という言葉には条件付きで賛成できるけれど、「批判は無条件で受け容れ

    乱暴な言葉遣いの人間は差別する。 - Something Orange
  • エロそうでエロくない少しエロいアニメを見たい。 - Something Orange

  • お前の紹介した漫画がつまらなかったらどうするんだ問題。 - Something Orange

    某知り合いから「漫画レビューサイトは煽りすぎっショ」と言われました。俺みたいな「漫画はいいとこ探し」という考え方もいいとは思う。ただ、その漫画のいいところだけを切り取って伝え続ける漫画レビューはどうなんだと。それを見て買ってみてからガッカリする人間もいるんじゃないかと。 「漫画レビューサイトって何がしたいんだろうね・パート2 - Σ無駄話」 あー、ねえ? 漫画書評サイト一般が煽りすぎかどうかはともかく、「Something Orange」は間違いなく煽りすぎていますね(笑)。ぼくも自覚がないわけじゃないんだ。 もっとも、ネットで漫画を紹介するようになってそろそろ十年以上になるのに、「お前の紹介した作品がおもしろくなかったぞ。どうしてくれる」という苦情は受け取ったことがありません。 そういう被害者がいないとは思えないから、皆、泣き寝入りしているのでしょう。可哀想に。 冗談はともかく(冗談だよ

    お前の紹介した漫画がつまらなかったらどうするんだ問題。 - Something Orange
    takaaki110
    takaaki110 2009/07/24
    「紹介されて買ったのに肩透かし」なんてよくある事だからねぇ。いちいち追求してたら確実にバテるなぁ。
  •  『らき☆すた』の文化的背景。 - Something Orange

    ペトロニウスさんの最新記事がすごくおもしろかった。失礼して、長めに引用させてもらいます。 僕がいつも語る「永遠の日常」という概念の「日常」も、海燕さんと同じ意味です。日常を、必ずしも現実のリアルなもの、という意味では使っていません。それでは、リアリズム(=写実主義)になってしまいます。言葉的にはストレートに日常というよりは、「日常的なるもの」とか言い分けた方がいいのかもしれません。 日常とは、「時間は経ったとしても、変わらずにそこにあるもの」「そこに変化しないであることで、人の心に安心感を与えるもの」という意味で使用しています。 考えてみるとこれは、ヨーロッパ病の中で生まれたヨーロッパ映画のモチーフと同じなのかもしれません。フランス映画は、女性を、恋愛を描き続けます。 それはなぜか?。 既に200年近く構造的な不況が続くヨーロッパ大陸では、成長という輝かしさはすでに信じられなくなった久しい

     『らき☆すた』の文化的背景。 - Something Orange
  •  『らき☆すた』ファンは思考停止しているのか? - Something Orange

    こなたさんが大変なことになっています。字幕付きのものもあるけれど、個人的には字幕は余計かな、という気がしますね。 それはともかく、id:Shsgsさんの『らき☆すた』批判がおもしろい。 複数の日付にわたって話が展開してるので、少々論旨を追いかけにくいところはあるのだが、とにかく『らき☆すた』を批判的に捉えていることは間違いない。 「論外の作品」、「程度の低い作品」、「評価しがたい作品」、「小学生あたりが日々の生活の中で述べる与太話の水準」などなど、「そこまでいうか」と思うような表現を並べて徹底的に批判している。 その意図は、7月4日の記事の、 少々感情的な物言いになるが、らき☆すたを掛け値なしに面白いといえる人は思考停止しているのではないか。 という表現に端的にあらわれている。『らき☆すた』ファンの皆さんは、どうか胸に手をあてて、自分が思考停止しているかどうか考えてみてもらいたい。 そして

     『らき☆すた』ファンは思考停止しているのか? - Something Orange
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