出身地 神奈川 生年月日(満年齢) 1988年4月16日(36歳) 身長 184cm 体重 86kg 血液型 A 投打 右投げ左打ち ドラフト年(順位) 2010年(3位) プロ通算年 12年 経歴 横浜創学館高-八戸大-西武-レッズ-パドレス-3Aエルパソ-広島 主な獲得タイトル (首)17(安)15、17~19(ベ)15、17~19(ゴ)13、15~19 昨季は故障の影響などで約1カ月の離脱があったものの、チーム2位の119安打をマーク。クライマックスシリーズではサヨナラ打を放つなど、印象的な活躍を見せた。右膝の手術を受けて臨む今季は状態を万全にし、打線をけん引したい。 秋山 翔吾 秋山 翔吾 年俸秋山 翔吾 応援歌
レッズが6日、西武から海外フリーエージェント権を行使した秋山翔吾外野手(31)と3年総額2100万ドル(約23億1000万円)で契約したと公式ツイッターで発表した。背番号は4番。 メジャー30球団で唯一、日本人がメジャー出場したことがないレッズ。即戦力として評価された秋山が最後の未開の地を切り開いていく。負傷した右足薬指骨折の経過も良好の模様で「年明けからしっかり上げていきたい」と話しており、5日に渡米していた。8日(日本時間9日)に入団会見を行う予定。 ◆秋山翔吾(あきやま・しょうご)1988年(昭63)4月16日、神奈川県横須賀市生まれ。横浜創学館から八戸大を経て、10年ドラフト3位で西武入団。15年に左打者最長の31試合連続安打を放ち、シーズン216安打のプロ野球新記録。17年首位打者、最多安打4度、ベストナイン4度、ゴールデングラブ賞6度。15年プレミア12、17年WBC日本代表。
1949年(昭和24年)11月26日に開かれた各球団の代表者会議で、新球団加盟の是非をめぐり日本野球連盟が分裂した。その日の午後1時には加盟賛成派の阪急ブレーブス(後のオリックス・バファローズ)、南海ホークス(後の福岡ソフトバンクホークス)、東急フライヤーズ(後の北海道日本ハムファイターズ)、大映スターズ(後の大映ユニオンズ)に新球団の毎日オリオンズ(後の千葉ロッテマリーンズ)、西鉄クリッパース(後の埼玉西武ライオンズ)、近鉄パールス(後の大阪近鉄バファローズ)も加わり、計7球団で太平洋野球連盟(たいへいようやきゅうれんめい)が発足し、結団式が行われた。閉幕まで3日を残した1949年シーズン末の事である[2]。初年度の1950年(昭和25年)は親会社のバックアップで戦力を充実させた毎日オリオンズが優勝し、日本シリーズでも松竹ロビンスを倒し日本一に輝いた。 当初参加を予定していた大阪タイガー
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