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人生に関するtakigawa401のブックマーク (100)

  • コミケ参加翌月に逝った兄「意地が勝ったね」闘病支えた妹が語る敬意

    原点は『カードキャプターさくら』 妹と参加したコミケ人生の転機に 死してなお続いた兄の創作活動 「今までの全てに、ありがとう」。2022年1月、ツイッター上でそうつぶやいて間もなく、息を引き取った男性がいます。直前に開かれた、同人誌即売会・コミックマーケット(コミケ)。男性は重い病を患いながら、死力を尽くして参加し、自ら描いたイラスト集を会場で頒布していたのです。命を燃やすようにペンを走らせながら、何を思っていたのか。人生の終幕が迫る中、どうして表現活動に取り組んだのか。亡き兄の創作と闘病を間近で支え続けた、きょうだいの記憶をたどりつつ考えました。(withnews編集部・神戸郁人) 葛藤の末に送った依頼メッセージ 2021年12月末、記者(34)は万感の思いで、東京ビッグサイトを訪れていました。新型コロナウイルスの流行による延期と中止を経て、実に2年ぶり・99回目となるコミケが開かれた

    コミケ参加翌月に逝った兄「意地が勝ったね」闘病支えた妹が語る敬意
  • 1人の女性がエンジニアになるまで 〜yuryuの場合〜|Yuryu

    先日、「1人の女性がエンジニアになるまで」というタイトルの記事が投稿されているのを読みました。「どうして」エンジニアリングの世界に入ったのかが細かく書かれていて、とても共感しました。まだ読んでいない方はぜひ下のリンクから。 現在アメリカのシアトル市で、グーグルの Developer Advocate をしています。Developer Advocate はよくカンファレンスで発表したり、オンラインに記事を投稿したりすることが多いですが、私はここ数ヶ月はずっと開発に専念しています。30代半ばで、肩書には「シニア」とついていますが管理職ではない、会社は5社目で現在在職6年目です。Twitter は @Yuryu で、日常のことをよくつぶやいています。 誕生〜幼稚園私は大阪府貝塚市というところで生まれ育ちました。隣のだんじりで有名な岸和田市と、ふるさと納税で有名な泉佐野市に挟まれた、地味な自治体で

    1人の女性がエンジニアになるまで 〜yuryuの場合〜|Yuryu
  • 1人の女性がエンジニアになるまで|wiroha

    @wirohaです。東京でAndroidエンジニアをしています。 ガール・コードを読み急に人生を振り返りたくなりました。 「エンジニアに女性が少ない、増やしたい。みんなどういう経緯でエンジニアになるんだろう?」という思いから、自分の例を紹介してみます。 3/5 追記: I published an English version. 誕生〜保育園私は名古屋で生まれ育ちました。幼い頃から親は「防衛医大に行きなさい」と言っていました。貧乏だったからです。防衛医大は簡単に言うと国のお金で医者になれる仕組み(諸々条件あり)で、親としては学費負担がないのが魅力だったのでしょう。 言う割にはお受験や塾に行くことはなく、普通に過ごしていました。絵を描くのが好きで、犬の絵コンクール未就学の部で最優秀賞をとったりし、絵を描く仕事が将来の夢でした。 小学校姉の影響もありゲームが好きでした。ファミコンソフト「星の

    1人の女性がエンジニアになるまで|wiroha
    takigawa401
    takigawa401 2021/01/29
    ある一定数の女性が、何かにつけて自信を無くして行動が取れなくなる、ってのは寂しい話だよなぁ。こういう話がいくつも広まれば、女性が自信を持って社会進出できる世界になるんじゃないだろうか。
  • 深夜に96歳の男性が「ラーメン食べたい」と言ったら、どうしますか? 「ほどほど幸せに暮らす」を目指す事業者の挑戦

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    深夜に96歳の男性が「ラーメン食べたい」と言ったら、どうしますか? 「ほどほど幸せに暮らす」を目指す事業者の挑戦
    takigawa401
    takigawa401 2020/06/06
    安心も安全も当たり前も大事だけど、こういうのを大事にして仕事をしたい。
  • 僕たちは、初音ミクに救われた 誕生12年「機械の声」がつないだもの

    機械の声だからこそ心に響く 「やりたいこと、何もやってない…」 ミクがつかむその手の先に 街を歩いていて、他人のひそひそ話が聞こえると、自分への悪口ではないかと感じてしまう。親の期待に押しつぶされそうになり、人生をあきらめかける。今年、干支をひとまわりした12周年になるボーカロイド初音ミクは、そんな生きづらさを抱える人たちの支えになってきた。「機械の声」を通じて生まれた人と人とのつながりを追った。 「自分だけじゃない」。ミクたちの歌で知る 東京都の会社員Aさん(18)の生まれ育ちは東北。父の実家に三世代で同居していた。祖父は酒に酔うと祖母を殴り、聞くに堪えない罵声を母に浴びせる。自分では覚えていないが、3歳のころ、ふとんの中で泣く母に「ぼくがお母さんを守る」と言ったそうだ。「だから私はがんばれた」と母が述懐するのを中学生になって聞いた。母によると、3歳のAさんはその後、積極的に家事を手伝い

    僕たちは、初音ミクに救われた 誕生12年「機械の声」がつないだもの
    takigawa401
    takigawa401 2019/08/29
    初音ミクとVOCALOIDはずっとオレの人生を豊かにはしてくれていたけど、一方で誰かを救ってもいたんだなぁ。
  • 久保竜彦、巻誠一郎に会う。12年ぶりの再会(LINE NEWS)

    サッカーW杯の代表選考には、ドラマが付き物だ。 日でもかつて、話題をさらったメンバー発表があった。 その主役として、明暗を分けた2人。 12年ぶりの邂逅(かいこう)は、人知れず実現しようとしていた。 4月15日、熊・えがお健康スタジアム。 東京ヴェルディ戦に備え、会場入りするチームバスを降りたロアッソ熊FW巻誠一郎は、離れて見守る人影に気付いた。 少し近づいて確認する。間違いない。急いで駆け寄り、声をかける。 「タツさん?タツさんですよね!」 短く刈った頭に、無精ひげ。見た目は当時とほとんど変わらなかった。元サッカー日本代表、久保竜彦だった。 再会を喜ぶ後輩に、久保は少し照れたように歩み寄る。ジャージの裾でゴシゴシと右手を拭い、握手をする。 「マッキー、元気そうやな。いくつになったん?」 「38です!」

    久保竜彦、巻誠一郎に会う。12年ぶりの再会(LINE NEWS)
    takigawa401
    takigawa401 2018/06/06
    前編は久保竜彦と巻誠一郎の、後編はジーコと久保竜彦の物語。全オレが泣いた。
  • 仕事を好きになる必要はない。でも誠実であれ。|中年会社員から君へ(寄稿:フミコフミオ) - はたラボ ~パソナキャリアの働くコト研究所~

    こんにちは。僕は品業界で働く中年サラリーマン、フミコフミオである。十数年間、インターネットの片隅で、勝手気ままにブログを書いてきたので、ひょっとすると僕の名を知る奇特な方もおられるかもしれない。今日は縁あって、仕事人生に漠然とした不安を抱く若き皆さんへ、44歳の中年サラリーマンの立場から、「居場所の作り方」について話をしてみたい。まとまりのない話になるし、ウザいのは重々承知の上である。 僕は2017年の夏からお世話になっている今の職場で、近く営業の責任者を任されることになっている。2016年の末に管理職を務めていた会社を何の考えも見通しもなく退職し、8カ月間のアルバイト生活を経ての中途入社というしょうもない経緯を考えると、逆転満塁ホームランのような昇進だ。もし、この文章を読んでいる方の中で近く退職を考えている方がおられるなら、いったん深呼吸をして、将来について考えてみてほしい。計画はある

    仕事を好きになる必要はない。でも誠実であれ。|中年会社員から君へ(寄稿:フミコフミオ) - はたラボ ~パソナキャリアの働くコト研究所~
  • ついに国連で講演へ!82歳プログラマーが語る「100年時代の思考法」——「人生は風見鶏でいい」

    「プログラミング初挑戦」だった若宮正子さん(82)が、ひな祭りをテーマにしたiPhoneアプリ「hinadan」を開発したのは81歳の時。プログラミング言語「Swift」をゼロから学んで作った。2017年2月に配信されたこのアプリは、7万ダウンロードを突破。同年12月には英語版もリリースされた。 政府の「人生100年時代構想会議」の有識者議員も務める若宮さんは、2018年2月2日午後1時半頃(日時間3日午前3時半頃)に国連総会の基調講演に立つ。 そんな「アプリおばあちゃん」若宮さんは言う。「20代、30代で生き急がなくてよい」と。「人生100年時代」を見据えた、柔軟な思考法を語った。 定年をきっかけにパソコンを独自に習得した若宮さんは、シニア対象のパソコン教室を自宅でスタート。1999年にシニア世代のサイト「メロウ倶楽部」の創設に参画し、現在も副会長。NPO法人ブロードバンドスクール協会

    ついに国連で講演へ!82歳プログラマーが語る「100年時代の思考法」——「人生は風見鶏でいい」
    takigawa401
    takigawa401 2018/02/01
    ITエンジニアは全員必読!サービスを開発する上でも、プログラマとして人生を進んでいく上でも、とても大事なことばかり言っている。
  • 20年間引きこもっていた友人の社会復帰の厳しさに泣きそうになった。 - Everything you've ever Dreamed

    これらの記事の続きです。 http://delete-all.hatenablog.com/entry/2017/05/22/200000 http://delete-all.hatenablog.com/entry/2017/09/07/203505 先日、新卒入社した会社で心身を壊し、以来20年間引きこもりをしていたFと地元スーパーの総菜コーナーで偶然会った。Fと顔をあわせるのは夏に同じスーパーで会って以来、話をするのは社会復帰を目指して動きはじめたと彼の母親から聞いて電話をかけて以来になる。20年前、Fが引きこもり状態に陥ったと知ってから、ずっと気になってはいた。ただ、自分がFに対して出来ることの少なさから、後ろめたさを覚えつつ、特別なアクションを起こさなかった。今はその時期に会わなくて良かったとさえ思っている。駆け出しの営業マンとして走り回っていた20代の僕は、引きこもり続けるFを

    20年間引きこもっていた友人の社会復帰の厳しさに泣きそうになった。 - Everything you've ever Dreamed
  • iPhoneを「店頭で売っていた」OLの末路

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    iPhoneを「店頭で売っていた」OLの末路
    takigawa401
    takigawa401 2017/09/13
    はてブのブコメでは叩かれてる(あいつらは覚悟のないゴミの集まりだからどうでもいい)けど、オレは好きだな、この文章。iPhoneXでこの人が何を掴むのか、見てみたい。
  • 石坂浩二 追究し続け60年超…プラモデルは人生賛歌 - スポニチ Sponichi Annex 芸能

    石坂浩二 追究し続け60年超…プラモデルは人生賛歌

    石坂浩二 追究し続け60年超…プラモデルは人生賛歌 - スポニチ Sponichi Annex 芸能
  • 昔、私をいじめから救ってくれたヒーローがいた

    思うところがあって、お礼の手紙を書いてみたいと思う。 すごく長くなったけど、どうしても全部吐き出したかった。 子供の頃、ヒーローに会ったことがある。 毎日、小学校でいじめられていた私の狭い世界を、一瞬で壊してくれたその人は、有名なスポーツ選手だった。 いじめが始まったのは、小学校の中学年。たぶん、三年生の後半だったと思う。 いじめの内容は、スタンダードなものだった。 バイキン呼ばわりして、私や持ち物を避ける。 机の上に筆箱を出しっぱなしにしていると、休み時間に奪われて、それで菌のつけ合いがはじまる。 遠足の時の写真が教室に張り出されると、私の顔だけポスカで塗りつぶされる。 お風呂に入ろうが何しようが、臭いだの汚いだの言われる毎日だったけど、途中からエイズとか言われるようになった。 その時期、ニュースでエイズが取り上げられるようになったから、男子が面白がって言いはじめて、クラス中に広がった。

    昔、私をいじめから救ってくれたヒーローがいた
    takigawa401
    takigawa401 2017/07/16
    いい話だなぁ。ちなみに「読売ヴェルディ」ではなく「ヴェルディ川崎」もしくは「東京ヴェルディ」でお願いします。
  • 僕は愚かだった ……永井秀樹が25年のプロ生活でサッカーから教えられた答え - ぐるなび みんなのごはん

    46歳の永井秀樹は 人生の半分以上となる25年間をプロサッカー選手として過ごしてきた。 1992年、国士舘大学を中退してヴェルディ川崎に入ると、 1993年、1994年はリーグ優勝 1995年、福岡ブルックスでJリーグ昇格を決め、 1996年、清水エスパルスでヤマザキナビスコカップ優勝 1998年、横浜フリューゲルスで天皇杯優勝 2000年、横浜F・マリノスでステージ優勝 2001年、ヤマザキナビスコカップ優勝 2005年、FC琉球でJFL昇格 2007年、東京ヴェルディ1969でJ1昇格 2013年、FC琉球でJ3参加承認 そして2016年、東京ヴェルディで引退する。 1991年、バルセロナ五輪アジア最終予選で敗れた後は 残念ながら日本代表のシャツを着ることはなかった。 それでもこれだけのキャリアを誇る選手、 うれしかったことも、怒ったこともたくさんあったことだろう。 そう思って聞き始め

    僕は愚かだった ……永井秀樹が25年のプロ生活でサッカーから教えられた答え - ぐるなび みんなのごはん
    takigawa401
    takigawa401 2017/05/26
    親父さんのエピソードがとてもいい話で、とても重かった。
  • 【やじうまPC Watch】 四半世紀もの間、格ゲー界頂点に君臨する梅原氏が出した、一度別れたリュウに戻る理由 ~自分で決めたと思っていたことが、そうでなかったと気付いた

    【やじうまPC Watch】 四半世紀もの間、格ゲー界頂点に君臨する梅原氏が出した、一度別れたリュウに戻る理由 ~自分で決めたと思っていたことが、そうでなかったと気付いた
  • Jリーガーだった。

    Jリーガーだった。 つい先日、取引先の人に「前の会社ではどんな業務をしていたの?」と聞かれた。「プロ契約でサッカー選手をしていました。」と聞かれたら驚かれた。僕はJリーガーだった。でも、かつて所属していたクラブのサポーターですら、僕の名前を聞いてもピンと来ない人も多いだろう。その程度の選手だった。経歴を詳しく書いても、僕のことが分かるのは僕の知り合いくらいだろう。なので書いてみる。 山に囲まれたド田舎に生まれた。7歳で幼馴染とスポーツ少年団に入った。たまたま県選抜に選ばれて、地元の広報に載ったりしてちょっとした人気者だった。小学校6年生の時、県外のプロサッカーチームのジュニアユース入団試験を受けた。もし合格していたら、両親は仕事を辞めて、家族で引っ越す予定だった。ジュニアユースに入っても、そこからトップチームまで昇格してプロになれるのは一握りなのに、仕事を辞める覚悟で応援してくれた。でも僕

    takigawa401
    takigawa401 2017/01/17
    全オレが泣いた。
  • 玉乃淳『25歳の君へ』

    まず最初に言っておかなければならいことがある。引退後はサッカー選手時代の「あの興奮」は二度と味わえないと思っておいても構わない。数万の人達が皆自分の名前を連呼してくれるあの興奮。勝つために、己の存在をアピールするために、自分の全てを感じられる場所。試合に出られない時は当に辛かったよね。跳ねてはいけない箇所の頭髪がどんなジェルを付けてもおさまらないぐらいに跳ねてしまうほどのストレス。真の仲間はそれを「アトム」と可愛くネーミングしてくれたけれど、まだ若い正気な女性は付き合いきれないよね、そんな逆アトムな彼氏。それでもあの場所に立ちたいと思う1分1秒の毎日。あの場所の興奮は味わった君にしかわからないことは良く分かる。でも引退後はね、あの興奮を味わってしまったが故の後遺症は計り知れないんだ。いかんせんなにをやってもつまらなく感じてしまうものだから。引退後に酒やタバコ・異性との遊び・ギャンブルを覚

    玉乃淳『25歳の君へ』
    takigawa401
    takigawa401 2016/02/03
    プロサッカー選手を引退したときの喪失感と、それを払しょくするための方法を自分語りで解説。
  • 「創業から2年半、ずっと月給10万円だった」ミドリムシを売る社長が諦めなかった理由

    植物であると同時に動物でもあるという変わった生き物がいる。誰もが子どもの頃に学校で習ったはずの単細胞生物「ミドリムシ」のことだ。ミドリムシは光合成を行う藻類だが、鞭毛で泳ぐ動物のような性質も持つ。植物由来と動物由来の両方の栄養素を作り出すことができるため、ミドリムシの大量培養さえできれば、途上国の栄養問題を解決できる可能性がある。 ミドリムシの学名は「ユーグレナ」。この学名をそのまま会社名にしたバイオベンチャーのユーグレナは、このミドリムシの大量培養に世界で初めて成功したことで知られている。ユーグレナを創業した出雲充氏は若いころにバングラディシュで見た栄養不足問題に心を痛め、人類の糧・栄養問題を解決したいと2005年にユーグレナを創業した。 59種の必須アミノ酸を生成する究極の生物と注目され、長年研究されてきたものの誰も大量培養に成功してこなかったミドリムシ。大量培養が可能かどうか分から

    「創業から2年半、ずっと月給10万円だった」ミドリムシを売る社長が諦めなかった理由
    takigawa401
    takigawa401 2015/08/11
    すごく良い話だった。人生を賭すほど情熱をかけられる何か、かぁ。
  • 岩田聡さんのコンテンツ。 - ほぼ日刊イトイ新聞

    創刊当時より、ほぼ日刊イトイ新聞にいろんなかたちで関わってくださった岩田聡さんが、7月11日、永眠されました。岩田さんがご登場くださったたくさんのコンテンツを、いま、読みたい方も多いかと思いますので、代表的なものをまとめました。ご冥福をおいのりいたします。

    岩田聡さんのコンテンツ。 - ほぼ日刊イトイ新聞
    takigawa401
    takigawa401 2015/07/13
    ほぼ日で岩田さんの対談をいっぱい読んで、北極星みたいにしてここまで来た。心にポッカリ穴が開くってのは、こういうことを言うんだな。本当にありがとうございました。
  • ナオへの敬意にみる 「師弟関係」の縦糸(♯17):北條 聡:Jリーグ公式サイト(J.LEAGUE.jp)

    Tweet わずか数時間のうちに『現在・過去・未来』へタイムトラベルしたような気分でした。ドイツ1部のマインツへ移籍する武藤 嘉紀(FC東京)選手の壮行セレモニーが行なわれた6月27日のことです。FC東京が清水エスパルスに3-2で勝ち、2位でフィニッシュにした明治安田生命J1リーグ 1stステージ最終戦。試合後のセレモニーを終えてミックスゾーンに現れた武藤選手が報道陣に囲まれる中、ポツリとつぶやいた言葉。それが、時間旅行の入り口でした。 「ナオ(石川 直宏)さんは僕にとって『永遠の憧れ』です。ピッチの中でも外でも……」 憧れでした――という過去形じゃありません。憧れ、目標、手と仰ぐ「師」への敬意はどこまでも続いていました。石川選手がFC東京へ移籍してきたのが2002年。武藤選手は小学4年生ですから、FC東京のスクールに通い始めた頃です。中学に進学した2005年から下部組織に加入。そして、

    ナオへの敬意にみる 「師弟関係」の縦糸(♯17):北條 聡:Jリーグ公式サイト(J.LEAGUE.jp)
    takigawa401
    takigawa401 2015/06/30
    「憧れを繋ぐ」ということ。
  • 爆売れ東大ドローン!天才開発者にビリビリしびれたPhenox - 週刊アスキー

    ■小さな飛行ロボットから広がる可能性とは 米国テキサスで行なわれるエンターテインメントの祭典“SXSW(サウスバイサウスウェスト)”で、東京大学関連のスタートアップが出展する“TODAI TO TEXAS”。なかでも注目を集めているのが“フェノクス・ラボ”だ。見た目はただの小型クワッドコプター。しかし、従来のドローンとはまるで別モノ。最大の特徴は、“プログラマブル”であることだ。何ができるようになるのか? チーフエンジニアの此村領氏に話を訊いた。 週刊アスキー3/31号 No1021(3月17日発売)掲載のベンチャー、スタートアップ企業に話を聞く対談連載“インサイド・スタートアップ”、第20回はLinuxを搭載し、ユーザーが自由にプログラミングできるクアッドコプター『Phenox(フェノクス)』を開発した東京大学フェノクス・ラボの此村領チーフエンジニアに、週刊アスキー伊藤有編集長代理が直撃

    爆売れ東大ドローン!天才開発者にビリビリしびれたPhenox - 週刊アスキー
    takigawa401
    takigawa401 2015/03/24
    情熱ってこういうのを言うんだろうなぁ。