アニメ、漫画、映画、小説問わないので教えてほしい。 自分はイデオンしか知らない。
もうそろそろ古希になろうとする父親だが、ここ数年でなろう系にすっかりハマってしまった 元々、昔から銀英伝とかグイン・サーガ、アルスラーン戦記とかみたいなファンタジー小説やスペースオペラが好きで読んでいた アニメもそこそこ見ていて、探偵物とかSFアニメとかを見ていた 還暦を超えたあたりで、職場が変わり暇な時間も増え家でゴロゴロする事が多くなったので、ボケ防止に何となく適当ななろう系アニメをサブスクから勧めた そしたらすっかりとハマってしまい、映画化が決まると初日に舞台挨拶にまで行く始末 暇な時間が多いからか何周もアニメを視聴し考察をわざわざ話してくる 今ではすっかりなろう系の虜になり、小説家になろうとかのWebサイトを毎日のように漁ってる 久しぶりに帰省すれば実家には書籍化したなろう系の本が山積み…… なろう系って高齢オタクにほどウケるんだな…… 深く考えなくても読めるし楽でいいと父親は話し
『夏への扉』が実写映画が公開したというニュースが話題だ。 この機会に原作を読んでくれ、というSFファンの声が多くて本当に辟易する。 SFはアイデアの新奇性、センス・オブ・ワンダーが重要なのであって、今さらヴェルヌやウェルズを読んだところで、価値はない(ギブスンやディックも同様)。 こういう「オススメSF」の話題になると必ず出てくるのが『夏への扉』だ。 はっきり言えるが『夏への扉』を薦めるやつは見る目がなく、センスに欠けていて、信用できないってことだ。 私もその手合いに騙されて、貴重な時間を無駄にしてしまった。 『夏への扉』は読まなくて結構。今からその理由を端的に3つ述べる。たったの3つだよ。 『夏への扉』は決して猫小説ではない。 『夏への扉』は猫好きなら読んでおくべき、みたいな薦め方もされる。 読んでみて驚いたのだが、これはまったくもって猫小説ではない。 なぜなら猫はストーリーの本筋とまる
基本は題名通りだ。二次創作で底辺字書きをしていて盗作疑惑をかけられたけど、してない証明ってどうしたらいいのっていう話です。 先日突然「あなたは私の小説を盗作している、謝罪して消去しなければ晒すし場合によっては訴える」というDMが来た。めちゃくちゃ驚いたし本当に全く心当たりがなかったので、反射で盗作なんてしていないと返しそうになったが、とりあえず落ち着いて一緒に添えられていたURLから彼女が先に書いたという小説を読んだ。初見だった。 正直に言えばこれがパクりなわけねえだろ馬鹿じゃねえのと思っている。台詞含め言い回しや文は一つも被っていないし、完全なオリジナルならともかく二次創作は同じジャンルの同じキャラクターから想像して話を書いているのである。私は原作キャラのある台詞から着想を得て話を書いたし(そのことはキャプションにも明記している)おそらくは彼女も同じ台詞から思いついたのだろう。その台詞を
700話超の話数、200万文字を超える物語。よく書き上げたものと思うこと、しきりだ。 思いつきで始めた小説。 少しだけ時間に余裕ができたので、小説を書いてみることにしたのが3年前。 適当に妄想して、案外いけそうだと判断して、半年くらいで完結するお話を作り始めた。 目的は、3年くらい先の自分に向けて。 完結して2年も過ぎれば書いた内容を忘れて楽しめるだろうと思ってのことだ。 Webで小説を読んでいる中で思った事、自分が望む事を詰め込むことにした。つまりは自分の為の小説。 歴史に埋もれた秘密。暗躍する組織。権力闘争。そんなことを意にも介さず突き進む主人公。冒険するのは、不思議で、愉快な土地。 そしてハッピーエンド。 やりたいことを詰め込むのは思った以上に大変だった。 書いてみて、思い知る事も多かった。 資料の集め方に、どうやって空想の穴を埋めるかの方法、などなど。 始めたばかりの時には思いも寄
佐藤タカヒロ:バチバチシリーズ 『バチバチ』『バチバチ BURST』に続く最終章『鮫島、最後の十五日』の13日目の取組を完結させて逝去。最終章すべてを使って盛り上げてきた14日目に最強の横綱泡影との取組が控える中、未完で完結となった。 打海文三:応化戦争記シリーズ 『裸者と裸者(上下)』『愚者と愚者(上下)』に続く最終章の『覇者と覇者』の下巻3章まで書いて逝去。長い戦争が終わりここから平和への道を、戦乱の申し子であるカイトと椿子がどう歩むのかというところで未完での完結となった。 ヤマグチノボル:ゼロの使い魔 全22巻中20巻まで執筆した後に本人により末期がんであることが明かされそのまま絶筆となった。その後、ヤマグチが遺したプロットに則り、生前のヤマグチおよび遺族によって選出された代筆者によって21巻、22巻が刊行され完結となった。 多田かおる:いたずらなKiss 連載中、引っ越しを行う際に
■きっかけになったツイート 銀河英雄伝説のリメイク。3期以降も続くのかな。もしそうなら、男女役割分業の描き方は変更せざるをえない気がする。旧アニメのままだと、さすがに時代にそぐわない。作品として大変に面白いのは踏まえたうえで。…なんてことを書いたら炎上するかな。 https://twitter.com/brighthelmer/status/1304248768896921603 実際のところ、昔のドラマやアニメを見ていると、価値観の変化がもっとも顕著なのがジェンダーの描き方だという感はある。そういう変化を踏まえたうえで作品を楽しめばよいわけで、ジェンダー関係の指摘は作品を全否定することだというのは違うと思うんだけどな。 https://twitter.com/brighthelmer/status/1304248771631632384 なお、個人の感想ですので作品に何ら干渉する意図はあ
某投稿サイトで三点リーダーについて物申したらブロックされた話。 小説を書く際に、沈黙や言葉の詰まりなどを表現する手段として三点リーダーなるものがある。 「そ、それは……」 といった感じで三点リーダーは基本的に二個セットで使うものであり、二個以上使う場合も偶数になるように使うのが基本です。 私が遭遇した作家さんは、三点リーダーの代わりに中黒(・)を使用し、その数も二個とか四個とかバラバラで使用し、あまつさえ『~~だった。』という地の文の句点のあとに・・をつけて次の文のはじまりにしたりと、読んでいて非常に違和感のある書き方をされていた。 その作品は結構な数の人が読んでいるものであったし、知らないで使っているのだとしたら、教えてあげたほうが親切かと思い、慎重に言葉を選びその旨を伝えた。 先にも書いた通り、三点リーダーとは『…』のことであり『・』は中黒と呼ばれる区切りを示す点で記号ですらない。中黒
論争の概要 ・あるSF編集者が自分の担当したアンソロジー本(『日本SFの臨界点』と『2010年代SF傑作選』)の表紙を掲載し、そのツイートが広くバズった。 ・それを見てある読者が twitter で以下のような発言を行い、反響を呼んだ。 「なんでSF小説とかアンソロの表紙って漫画・アニメ絵の女の子ばっかなの?恥ずかしくて持ち歩けないんだけど。自らターゲット狭めてマーケット小さくしてる気がする。(中略)誰も彼も「売れるから」で思考停止している気がしてならない。」 それに対して当該編集者がfusseterで以下のような反論を行った。 ・「女の子」に関して ・イラストレーターには『性別を指定しない抽象的なキャラクター像』で発注したもので、『女の子』ではない, ・キャラクター的であることそのものに対する違和感にしても、少なくとも現場ではそういうものにしようという意向ではなかった。 ・「恥ずかしい」
あるいは、なろう作家に限定したことではないかもしれませんが。 なろう小説を3桁ほど読ませてもらいましたが、話の巧拙に関わらず共通点が一つ。 それは女性描写の少なさ。あまりに少ないもので、ひとしきり笑ってしまいました。 確かに作中に女性キャラは登場しますが、決して彼女たちは「女性」として扱われていません。 最初のキャラクター紹介で雑な外見設定を付けられ、あとは大抵が主人公の妾になるだけ。 いくら女性とのお付き合いが日々の中でないからって、自分の理想を書いているからって、 流石に薄っぺらすぎて、悲しくなってきます。 今の若者は「女性」を本当に書けません。外見も、内面も。 そして書くことが苦手なので、どんどん女性の描写が減っていく。思考が単一化していく。 これってもはや女性差別じゃありませんか??? その様な本を若者たちに読ませたら、ああどうなることやら。考えたくもありません。 お色気・破廉恥さ
【追記】 不死=どんなことがあっても死なない、が定義とは言ってない。 下に挙げた作品では、実はちゃんと死ぬ方法や理由が存在する。寿命だったり、ある特殊な状況下で死ぬと復活できなかったり。 「弱点があるなら不死ではない」って人がいるけどそうじゃないんだ。そこが作品の個性なんだよ。 --- 不死や不死者、あるいは不老不死や復活を扱った作品が好き。 不死の猟犬バッカーノ!堕天作戦亜人 死なないということは「生きるしかない」あるいは「終わりが見えない」ことの言い換えでもあり、多くの作品がその苦悩をテーマにしている。カジュアルに死んでカジュアルに生き残る世界。一見すると不死は便利な道具だけど、人の死自体が最終段階である以上、不死者はその最後の一歩まで簡単に落ちるほど脆い存在でもある。だから不死者の主人公は、意外と弱い。それが作品の個性に繋がっていることも多く、面白い。 一方で東京喰種などのように単に
青空文庫や図書館にいくらでもタダで読める名作があるのにわざわざ素人の駄文を読んでいる人ってなんなのだろう。 ブログやSNSで素人の話を聞くのは理解できる。 どこにでもいる人、何の能力もない人、物書きとは違うタイプの能力を持ってるその本人、そういった人達の身の上話や雑談を楽しむのは理解できる。 だけど、フィクションを読むならプロの物に限るでしょ。 エッセイやノンフィクションと違って書いてる人間の人間性や属性が出力と関係しないフィクションで問われるのは実力のみ、そこを考えればわざわざ素人の小説を読むなんてナンセンス極まる。 あーでもひとつだけあったわ、素人小説読む理由。 今時の世の中を題材にした話が読みたいけど金は出したくない、これで合ってる? 素人小説を読んでいる人がいる理由の答え
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