タグ

世間に関するtonkotutarouのブックマーク (3)

  • * 「世間」とは何か

    阿部謹也 第一段(世間と社会の違い) 世間という言葉は誰もが使っているが、何かをきちんと答えられる人はいない。社会とは違う。世間は明治以降文章から消えたが会話の中ではしばしば使われ具体的である。他方、社会は明治以降文章では使われるが抽象的である。 西欧では、社会は尊厳を持った個人が集まったものと見なされている。日では個人の尊厳は認められず、世間は個人の意思によって作られたものでなく所与と見なされる。 私たちは世間という枠組の中で生きているにもかかわらず、世間を分析した人はいない。 第二段(日人は世間に依存している) 世間がなくなれば、日人は世間を基準に生きていて、世間も個人の位置に気を配ってきたので、行動の指針を失って困惑するだろう。世間の中では長幼の序が支配していて競争が排除されているので、有能でない人も世間の掟を守っていれば排除されないが、有能な人がそれなりの地位を得るわけではな

  • 「主語が大きい」というレトリックの初出と私見 - Drafts

    関連概念としては太宰メソッドがあって、 「しかし、お前の、女道楽もこのへんでよすんだね。これ以上は、世間が、ゆるさないからな」 世間とは、いったい、何の事でしょう。人間の複数でしょうか。どこに、その世間というものの実体があるのでしょう。けれども、何しろ、強く、きびしく、こわいもの、とばかり思ってこれまで生きて来たのですが、しかし、堀木にそう言われて、ふと、 「世間というのは、君じゃないか」 という言葉が、舌の先まで出かかって、堀木を怒らせるのがイヤで、ひっこめました。 (それは世間が、ゆるさない) (世間じゃない。あなたが、ゆるさないのでしょう?) (そんな事をすると、世間からひどいめに逢うぞ) (世間じゃない。あなたでしょう?) (いまに世間から葬られる) (世間じゃない。葬むるのは、あなたでしょう?) 汝は、汝個人のおそろしさ、怪奇、悪辣、古狸性、妖婆性を知れ! などと、さまざまの言葉

    「主語が大きい」というレトリックの初出と私見 - Drafts
  • 大きな主語が指す「みんな」「世間」って何のこと? - ぐるりみち。

    *1 「『主語が大きい人』は信用できない」という意見が、たびたび目に入る。「日人はかくあるべき!」とか、「女性はみんなこうだ!」とか、「最近の若者は〜〜」とか、人やモノを一括りにして、「大きな言葉」で語ろうとする形。 そんな、「大きな主語」について、思うことをつらつらと。 多数派に代弁させる「太宰メソッド」 「日人は〜〜」とか「最近の若者は〜〜」とか、大きな主語をとにかく乱用する人に対しては、「お前それサバンナでも同じ事言えんの?*2」と突っ込みたくなるけれど……あれ? 使い方が違う? まあいいや。 まず、「大きな主語」のひとつとして、「太宰メソッド」がというネットスラングがあるらしい。 “ネット” も大きな主語ですね、はい。 「しかし、お前の、女道楽もこのへんでよすんだね。これ以上は、世間が、ゆるさないからな」 世間とは、いったい、何の事でしょう。人間の複数でしょうか。どこに、その世

    大きな主語が指す「みんな」「世間」って何のこと? - ぐるりみち。
  • 1