ブックマーク / tsukikana.hatenablog.com (135)

  • 自分をちゃんとケアしているかな?―風薫る5月に思う - 一筋の光、降り注ぐ光。

    朝、ベランダに出るとなんとなく良い香りがする。外を歩いていても、どこからともなく花の甘い匂いが漂ってくる。清々しい、青い匂いも。ああ、5月なんだな、と思う。まさに、風薫る・・・ お花見に始まった4月はその後も予定が重なって、いろいろなことが起き、なんだか目まぐるしく過ぎていった。ここに書いておきたい出来事もいくつかあったのだけど、時間がなく焦っていたり、疲れて脱力していたりで、落ち着いて記録する余裕がなかったのが残念。 体調崩していた時期もあったしなあ。疲労困憊してからの回復力が、年々落ちているのを認めざるを得ない。 若い頃から私は、連日予定を入れるのが苦手だった。友人たちが遊びに誘ってくれるのは嬉しいのだけど「いつが空いてる?」と言われるたびに「えーっと、どうしよう」と思ってしまう、ノリの悪いヤツだったっけ。 予定の入っている日を提示され、「その日はちょっと」と言うと「じゃあ、その次の日

    自分をちゃんとケアしているかな?―風薫る5月に思う - 一筋の光、降り注ぐ光。
    tsukikana
    tsukikana 2024/05/09
    5月愛
  • お花見散歩とバスケ初観戦 - 一筋の光、降り注ぐ光。

    なかなか咲かなかった今年のソメイヨシノ。ようやく咲いたと思ったら、あっという間に満開。そしてなんと、春の嵐に早くも散り始めた。花の命は短いというけれど、ここまでそれを感じる春も珍しい。 昨年は青空をバックにした満開の桜を撮れたけれど、今年は空の色が鈍いものがほとんどで、少し寂しい。それでも、先週末は予報がはずれて晴れ間が広がった。土・日は、どこも花見客で賑わったことだろう。 夫と私も、2日続けてお花見散歩を楽しんだ。1日目は近所の川沿いの緑道をそぞろ歩き、氏神様(と勝手に呼んでいる神社)まで。氏神様の前の通りは見事な桜の並木道で、この季節に歩くととても気持ちがいい。 長く続く桜並木 久しぶりに氏神様に手を合わせた。ひと頃は毎月通っていたのに、母が亡くなってからすっかり足が遠のいてしまった。今年は初詣にも行っていない。無沙汰を詫びて、平穏に暮らせていることに感謝を伝える。 2日目、日曜日。こ

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  • クラシックカーの森を散歩する - 一筋の光、降り注ぐ光。

    綺麗!可愛い!美しい♡ 入館してフロアに足を踏み入れた瞬間、私の心にまず浮かんだ言葉だ。 この感覚は、何かに似ている。 そうだ。素敵なケーキ屋さんでショーケースの中を眺めているときだ。 色とりどりで造形もさまざま。それぞれの個性を強調するように、照明を跳ね返してキラキラ輝いている。見ているだけで、心躍る♪ 違うのは、「選んで買う」という目的がないところかな。ケーキを選ぶときは、幸せだけどちょっと苦しい。笑 久しぶりの「トヨタ博物館」だった。 前回の訪問は新聞社にいた頃。「バックヤードツアー」の取材で訪れたのだっけ。もう15年ほど前になるのか……。 あのときも確か、クラシックカーの可愛らしさにときめいた。肝心なバックヤードツアーの内容は覚えていないのに、往年のハリウッド映画に出てくるようなクルマを間近に見られて、ワクワクしたことは思い出せる。 仕事抜きでもう一度行きたいな、と思っていたのだが

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  • 優しさの詰まった2日間ー知多半島・常滑と美浜町 - 一筋の光、降り注ぐ光。

    初めて夫の実家に行ったのは、結婚する前年。祖母、父、母、そして同居の兄夫婦とまだ伝い歩きの幼い姪を、彼は私に紹介してくれた。数えれば36年前のことである。 それから何度、あの家を訪ねただろう。お盆やお正月、大型連休。 やがて姪っ子は3人になった。私たちにも娘がふたりでき、家族が集まると毎回、とても賑やかだったのを、昨日のことのように思い出す。 女の子5人はずっと、今に至るまでとても仲が良い。 といっても、それぞれ仕事があり、家庭のある子もいて、もうなかなか会えなくなっている。結婚式、法事のときぐらいかな。大人になって、お正月に集合することもなくなった。それは仕方のないことだろう。 夫の祖母、母、父も鬼籍に入って久しい。昨年の夏が、義父の七回忌だったが、私の娘たちは参列できなかった。 義兄夫婦のところの三女と、うちの次女は年が近く、お互い独身ということもあってよく一緒に遊んでいるが、結婚して

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  • 四半世紀ぶりの夢の国にて・・・ - 一筋の光、降り注ぐ光。

    初めてではないのに、初めて来たような気がする・・・ 東京ディズニーランドと東京ディズニーシーに行ってきた。先週の木、金曜日のことである。 楽しかった。夢のようだった。それは間違いない。 ただ、あまりにもたくさんのものを見て、心が動いて、情報が今もって処理できていないというのが正直な感覚で、我ながら実にもったいないと思う。 いったい私は何と何を見て、いくつの、どんなアトラクションに乗ったんだろう。200枚ほど撮った写真をスクロールして見ていっても、よく思い出せないのだ。情けないったら。 それは多分、全部次女に「お任せ」していたからだろうね。「私に任せてついてきてほしい」と言ってもらえたことに甘えて、全てをお願いしてしまった。私と夫は、ひたすらついていくだけ。そんな日が来るとは~。 次女が「ふたりをディズニーに連れて行きたいんだけど」と言ってくれたのは、昨年の秋、一緒に恵那峡までドライブに行っ

    四半世紀ぶりの夢の国にて・・・ - 一筋の光、降り注ぐ光。
  • つい欲張って歩いちゃう―東京散歩(後編) - 一筋の光、降り注ぐ光。

    この冬一番の寒気が流れ込んでいるという。昨日はこちらでも雪が降った。 雪深い地方はさぞ大変なことだろう。特に、能登の被災地のことが気掛かりだ。 冬は嫌いじゃない私だけど、今年はとても春が待ち遠しい。とりあえず、この寒波には一刻も早く立ち去っていただきたい! 私は2月生まれなのだが、2月って早春でありながら、実は一番寒い月だったりする。そんな季節に私を産んでくれた母は、暖房の乏しい時代、授乳やオムツ替え、汚れものの洗濯に、きっととても苦労したはずだ。 今日が誕生日の友人に、朝方LINEでメッセージを送りながら、私たちの母たちはよく頑張ってくれたよねと、改めて思った次第。 寒さ厳しいこの時期なのに、先週、私は東京散歩をしてきた。寒波が来ているときだったら、あんなに歩けなかっただろう。運が良かった、としか言えない。ほんと、1日目はぽかぽかのお天気で、昼間歩いていると少し汗ばむくらいだったのだ。

    つい欲張って歩いちゃう―東京散歩(後編) - 一筋の光、降り注ぐ光。
  • つい欲張って歩いちゃう―東京散歩(前編) - 一筋の光、降り注ぐ光。

    夫の出張に便乗して、東京へ行ってきた。彼は仕事、私は散歩。 呑気ですみません^^; でも、頑張ってすごくすごく歩いたから…・・やっぱり呑気とは言いたくないかも。笑 昔住んでいた町を、また訪れたくなったのだ。大事な方のお墓参りをしたい気持ちが募っていたからでもある。でもそれだけじゃない。 追憶散歩の甘酸っぱさ。これはクセになる。こうやって生きてきたのだと、自分の人生を俯瞰してみたい年頃になったからだろうか。いつまでもこんなに歩けるわけじゃないと、ちゃんと自覚しているし。だから元気な今のうちに、懐かしい場所をあちこち歩いておきたいのだ。 会議に向かう夫と別れて、私は目黒に向かった。目黒線の武蔵小山駅で降り、花を買う。前回この駅に来たのは6年前かな。そのときも驚いたけど、またまた驚いた。ここどこだよ?と。 私の覚えてる景色ではまるでない。当にこの方角で合ってる?と不安になりながら歩くなんて。6

    つい欲張って歩いちゃう―東京散歩(前編) - 一筋の光、降り注ぐ光。
  • 温かく、澄んだ気持ちになれた帰り道 - 一筋の光、降り注ぐ光。

    クリスマスが終わると、街は一気に迎春ムードに包まれる。洋風から和風へ。お店のディスプレイも一夜明ければ様変わりだ。ご担当者は大変なことだろう。年の瀬は当に慌しい。 年内にもう一回行けるかな~、と予定表と睨めっこしていた私だが、クリスマス直前、2泊ではあるが夫とふたり、また清水の家に行くことができた。両親の住んでいた家である。 寒かったけど、頑張った。 果てしないと感じていた遺品整理、今回ようやく“前に進めている”実感を、少しだけど得ることができたのは何よりだ。ビデオテープやDVD、CD、カセットテープ類に手を付けたからだと思う。 断捨離をするとき、何から始めるか順番が大事なのだと、で読んだことがある。順番、大事なのはその通りだろう。 ただ、自分の家のモノを断捨離するのと、亡くなった親のモノを遺族として処分していくのとでは違うのだ。まだ混乱や喪失感に苦しんでいるときに、できることは限られ

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  • 小さな3人の女の子 - 一筋の光、降り注ぐ光。

    11月も、もう終わろうとしている。 慌しいのは師走、と相場は決まっているのに、今月、なんだかずっとせわしなかった。時間が足りなくて、日々のルーティーンがなかなか回らない。 外歩きが快適な気候になったから、ウォーキングをよくしていたせいかな。 冬物を買いに街に行ったし、次女が泊まりに来て、一緒に紅葉を見に恵那までドライブもしたし。 恵那峡。山の色付きはわずかだったけれど、湖畔の散歩道が素敵だった。 恵那峡の紅葉 それから、習い事の課題制作に勤しんで、ここに随分時間をかけてしまった。それでも他のこともしたくて、合間に小さな作品も仕上げてみたり。 花糸で小さな刺しゅう こう書いていると、全部自分の楽しみのための慌ただしさじゃないか、と苦笑してしまうけど。 早めの大掃除、的なこともやって、筋肉痛にもなった11月。いろいろ頑張ったつもり。ここへきて少々疲れがたまってきたようだ。 長女一家の所へも行っ

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  • 母のミシン、私のミシン - 一筋の光、降り注ぐ光。

    私が子どもの頃、家にはミシンがあり、母が時折り踏んでいた。 踏む・・・そう、足踏みミシンなので母はいつも「ミシンを踏む」と言っていたのだ。 昔は洋服が高価だった。子ども服は親戚やご近所からお下がりをいただくのが当たり前、という時代(庶民はね)。洋裁学校を出ている母が、幼かった私や弟の服をよく作ってくれたのも、そんな時代背景があったからだろう。 転勤族の我が家だったが、引っ越したどの家にもあの足踏みミシンの姿があったと記憶する。私が物心ついた頃からある。ということはあのミシン、母はいったいいつ購入したのだろう。安くはなかったはずだけど。「貧乏だったのよ」が母の口癖だったのにね。^^;; 母は、たまに油を注したり、ベルトの調子を見たり、あのミシンを大事にしていた。使っていないときは、機械をテーブル面に反転させてしまい込み、埃をはらってカバーを掛けた。カーテンみたいな生地(ゴブラン織り?)の、フ

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    tsukikana
    tsukikana 2023/11/01
    ミシン
  • 糸始末まで、心を込めて - 一筋の光、降り注ぐ光。

    器用な方ではないけれど、手芸とか工作とか、昔から私、結構好きなのである。仕事が忙しかったり、目が悪くなってきたりで、ほとんど何も作らなかった時期が長くあったけれど、最近になってまた、小さなものなら作りたいと思うようになってきた。まあ、シニアグラスをお伴に、だけど。 最近は、刺しゅうが楽しい。何十年ぶりかで、チクチク刺している。 昔、学校の授業で習ったから全くの初心者ではないし、色とりどりの刺しゅう糸、刺しゅう針や刺しゅう枠も、まだ手元にある。刺しゅう糸って当に綺麗で、模様替えや引越しのとき、道具箱に入っているのを見つけるたびに、「ああ、この糸を使ってそのうちまた、何か刺しゅうしたいな」と思っていた。 ただ、「じゃあ何に刺しゅうをするの?」というところで、この案件はいつも「検討中」フォルダに戻るのだった。ハンカチ?クッション?ブラウスの襟?うーん・・・なんか違う。 刺したいものが、見つから

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  • 美しい夢―生命は瑞々しく、そして儚く - 一筋の光、降り注ぐ光。

    風邪をひいた。発熱で寝込むなんて、何十年ぶりだろう。 丸二日間。時間をロスしてしまったようで残念ではあるが、それほど悔しくはない。喉の痛みや頭痛、高熱による関節痛は辛かったけど、たくさん寝られたし良かったじゃん、という思いもある。 それになんといっても、この風邪はあの子たちからもらったものだからね(多分だけど)、いいのいいの。嫌わずバッチリ引き受けようじゃないの、なんて片頬笑んだりもして。 今は、少し咳が残る程度。今日はもう、木曜日か・・・ 先週の土曜日、夫と次女と私は長女一家の家に行き、一泊させてもらった。去年の夏、引っ越し後の手伝いに行ってから、もう1年以上になる。 ✻当時の記事はこちらです↓ tsukikana.hatenablog.com あれから5人家族がどんな風に暮らしを楽しんでいるのかと、想像したりはしていたが、今回一晩泊まり共に過ごすことで、その生活を肌で感じることができた

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  • 心に一粒、黄金の真珠―ホ・オポノポノ手帳2024 - 一筋の光、降り注ぐ光。

    季節は当に進んでいるの?と疑いたくなるような、今年の9月。確かに日は短くなっているのだけど、この蒸し暑さは真夏と変わらない。もう、夏、長すぎ。 そんな中、来年の手帳をお迎えした。ホ・オポノポノ手帳が、来年も私の相棒となる。 毎日を幸せにするホ・オポノポノ手帳2024 この手帳、11年目を迎えたそうだ。私にとっては9冊目である。 真新しい手帳を手に取るたび、2015年に初めて入手した頃のことをほろ苦く思い出す。辛い時期だったなあ、と。そして、あれからホ・オポノポノをずっと実践してきて当に良かったと、助かったと、新たな気持ちでかみしめ感謝する。 まあ、クリーニングすることを忘れがちで、そこは胸を張って実践していると言い切れない私なのだけど。もっと瞬間瞬間をクリーニングしていけたら、きっと今よりもずっと、自由に生きやすくなれるのだろう。これまでの経験から、それは容易に想像できるし、信じられる

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  • リネンに花糸✻刺し子のファブリックパネルをつくる - 一筋の光、降り注ぐ光。

    今年の夏は例年にも増して激烈で、ちょっと外に出るのも勇気がいるほど。被害をもたらした台風7号が去った後も、ベッタリとしたいや~な熱風が吹いている。 そもそも夏が苦手な私、かなり早いうちからもうぐったりで。それはもう、情けないほど。悪魔のような日差しを避け、遮光カーテンを閉めた暗い部屋で、テレビをつけてボーっとする時間が必要だった。 見ているのはYouTube。涼を求めて、森と小鳥の映像を、毎日のように眺めていたのだった。 森は、いいなあ。 小鳥は、いいなあ。 そんな風に現実逃避をしながら、ときどき手帳に落書きをしていた。木とか鳥とか。思いきりデフォルメして。 するとそのうち、なんとなく、それを刺し子で表現してみたら面白いんじゃないか?と思いついた。 連日、体温超えの暑さ。おこもりさんの生活の中で、私になんとか元気をくれていたものは、針と糸だった。そこに、自分でデザインする、という楽しさも加

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  • 幻想的な灯ろう流しー父母を想った7月盆 - 一筋の光、降り注ぐ光。

    夏を彩る風物詩は・・・ もちろん、いろいろある。が、静岡市清水区の人たちが思い浮かべるものの上位には、間違いなく「灯ろう流し」があるのではなかろうか。 だって、・・・そう、あんなにも綺麗なのだから。 私の記憶にある灯ろう流しは、いくつの頃に見たものだったか。多分、清水に住んでいた小学校時代の3年間の、いずれかの夏のことだったはず。 それは、忘れられない美しさだった。真っ暗な闇の中、広い穏やかな川面を、ともし火を乗せた無数の舟がゆっくり流れていく。なんともはかなく幻想的な光景で、夢を見ているようだった。 清水巴川灯ろうまつり。 巴川流域の市民に親しまれているお祭りで、何度か中止した時期もあったが、250年余の歴史を持つそうだ。 現在では例年7月16日(この地域は7月盆なので)に開催されていて、数か所の橋のたもとにある流し場から、毎年3000艇あまりの灯ろうが流される。 ※流された灯ろうは環境

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  • 次女に誘われ夜の街へ - 一筋の光、降り注ぐ光。

    良くない条件が重なる日だった。 時折り強く降る雨。気圧は低く、蒸し暑く、空は暗い。 こういう日が私、ほんと苦手。頭が重くからだがだるく、立っているだけでしんどい。 なんて土曜日なのか。せっかく今日は、次女とのデートで街へ出掛けるというのに。 次女が、「飲みに行こう」と私を誘ってくれたのは、先週のこと。清水に行ったときだった。私は実家の片付けのために、時折り清水を訪れているのだが、今回は彼女も同行、手伝いをしてくれたのだ。 1泊という短期滞在で、古家具7点を市に回収してもらうのがメインのミッション。2階から玄関まで降ろしてくるのが大変だったのだが、夫が頑張ってくれて時間はあまりかからなかった。 ただ、家の前で、回収車がバリバリと家具を破壊するのを目の当たりにし、私はちょっとショックを受けたのだった。 すごい音がする。 粗大ごみって、こんな風に回収していくんだね、と驚き、ごめんねごめんねと、切

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  • どうしてこんなに小鳥に惹かれるんだろう - 一筋の光、降り注ぐ光。

    マンションの1階に巣をかけているツバメ一家を、私は「うちのツバメたち」と呼んでいる。3階の我が家の窓の前に、彼らが羽を休める電線があり、もうすっかり顔なじみになっているからだ。 今年は春の訪れが早かった。そのせいなのかはわからないが、この春、うちのツバメが帰ってきたのは3月。手帳を見ると3月15日だった。いつもより、ずいぶん早い印象だったのを覚えている。私をじっと、見ていたんだよね。 慌ててガラス越しに撮った今年初見のツバメ 4月の巣作り、5月の子育て期を見守ってきた。複雑で楽し気なさえずりが聞こえてくるとベランダに出て、電線の彼らについ声を掛けてしまう私。それでも逃げてしまうことはほとんどなく、のんびり羽繕いなどしている。 6月には、巣立った幼鳥たちも電線にとまって、可愛い顔を見せてくれた。飛び方はまだまだ危なっかしい。気になって、私の観察時間はどんどん長くなっていった。 ムクドリも子育

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  • 風情ある石畳の横丁に迷い込むー東京・神楽坂 - 一筋の光、降り注ぐ光。

    知らない町を歩くのは面白い。 ただ歩いているだけでも面白いが、気になった脇道に入ってみるのはさらにワクワクする。 こういう、脇に入った細道のことを路地と言い、もっと奥に入り込んだ場所を路地裏と呼ぶらしい。横丁とは、路地が主に民家の間にある小道なのに対し、飲み屋さんなど店舗が並んでいる小道に使われる呼び方のようだ。 細い路地や横丁があると、つい足を踏み入れたくなってしまうのは、私、昔から。迷子になるかもしれないという思いは、不安よりも期待の方が大きかったりする。 鎌倉でも京都でも飛騨高山でも、近場では有松でも、ふと気が向いて横道に入り込んだ。そしてそこで見た景色が、有名観光スポットよりも記憶に刻まれているのは、単に私がアマノジャクだからだろうか。 そう、これまでは、ふと裏路地や横丁に入り込んでいたのだった。しかし、今回は違った。その横丁に迷い込んでみたくて、行く先を選んだのだ。 横浜の異国情

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  • 薔薇と新緑の“ミナトヨコハマ”へ - 一筋の光、降り注ぐ光。

    毎年5月はローズガーデンへ出向き、薔薇で心を満たすという幸せをいただく、と決めている私。いつもは、ゴールデンウィーク近くになってから、さあ、今年はどこのガーデンへ行こう?と考え始めるのだが、今年は違った。 今年は、 横浜。 私は現在、東海地方に暮らしていて、ありがたいことに近場にも素敵なガーデンはいろいろある。けれど、今年はさまざまな思いから、ローズガーデンは横浜に行くと決めていた。いや、ガーデン云々よりも先に、まず横浜ありき、だったかな。 実はここ数年、横浜、それも「港の見える丘公園」を何十年ぶりかで訪れたいと、ずっと願っていて。そんな中、去年、ある方のブログ記事を拝見し、行くなら薔薇の季節にしようと決めた、というのが正しい。あかねさん、素敵な記事をありがとうございます(*^^*) ✻きっかけをいただいたあかねさんの記事 akane2020.hatenablog.com 今週、ゴールデン

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  • 小さなポピーの思い出 - 一筋の光、降り注ぐ光。

    道端に、淡いオレンジ色の花をよく見かけるようになった。 ひなげしの一種の、ナガミヒナゲシ。 毎年、この花を見つけるたびに、あの春の日を思い出す。次女が小学校に入学したばかりの、あの頃。 黄色い帽子に真新しいランドセルの1年生たちは、学校が終わると、途中まで引率の先生に連れられて集団で帰ってくる。最初のうちは、解散場所まで保護者が迎えに行っていたが、やがて自分たちだけで家まで帰るようになった。 大丈夫かな。ちょっと心配しながら家で待っていた私。大きな声で「ただいまー」と帰ってきた次女は、「ママ、これ、どうぞ」」と、小さなポピーを数、差し出してくれた。それが、ナガミヒナゲシだった。 それから数日の間、次女はこの花を道端で摘んでは持ち帰ってきてくれたと思う。その姿を見たわけではないが、黄色い帽子のヒヨコのような1年生が、道端にしゃがんで花を摘む様子が、私にはありありと目に浮かんだ。新しい環境に

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