新潟胎内市の広報紙の4こま漫画「それ行け!天下太平くん」377回で最終回 36年担当した職員・池田さんの定年退職で 仕事の「あるある」描き市民から共感呼ぶ
昭和恐慌研究会、『エコノミストミシュラン』などで常に私たちリフレ派の重鎮であった岡田靖さんがお亡くなりになりました。悲しいことです。2001年の暮れに、岩田規久男先生の『デフレの経済学』と野口旭さんと私の『構造改革論の誤解』のダブルの打ち上げの席で、初めて岡田さんにお会いしました。10年にも足らぬお付き合いでしたが、もちろん多くの勉強をさせていただきました。経済学は単なる学問ではない実践的なものである、ということも岡田さんから学んだことです。そして石橋湛山が「リフレ」という言葉を初めて日本に紹介し、そして岡田さんは「リフレ派」としてその言葉を受け継ぎ、90年代から今日まで、ネットの世界を中心にしてリフレ派を事実上形成した影の立役者です。岡田さんのような天才肌の人がリフレ派に多いことも私のようなものには大きな励みとそれ以上に頼りでもありました。半月ほど前にみんなと一緒に快気祝いをしたばかりな
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20世紀フランスを代表する思想家で社会人類学者のクロード・レヴィ=ストロースが10月30日、死去した。100歳。 第二次大戦中に亡命した米国で構造言語学を導入した新しい人類学の方法を着想、戦後フランスで実存主義と並ぶ思想的流行となった構造主義思想を開花させた。「未開社会」にも独自に発展した秩序や構造が見いだせることを主張し、西洋中心主義の抜本的な見直しを図ったことが最大の功績とされる。 サルコジ大統領は3日の声明で「あらゆる時代を通じて最も偉大な民族学者であり、疲れを知らない人文主義者だった」と哀悼の意を表した。 1908年11月28日、ブリュッセルのユダヤ人家庭に生まれた。パリ大学で法学、哲学を学び、高校教師を務めた後、35年から3年間、サンパウロ大学教授としてインディオ社会を調査。41〜44年にナチスの迫害を逃れて米国に亡命、49年の論文「親族の基本構造」で構造人類学を樹立した。 自伝
江畑謙介氏の訃報を耳にしてから、彼のご著書を読み直しました。すると気づくことがありました。著書の本文は冷静な分析で埋められていますが、前書きや後書きにだけほんのわずか、江畑氏が自身の思いが述べた部分がありました。それは故人が遺されたメッセージに思えます。 「目をそらしていても、平和と自由は得られないのではなかろうか?」 「軍事評論家を見て、日本もここまで民主主義が根付いたかと感動した」 「知ることは国民の権利であると同時に義務でもある」 「これは民主主義にとって極めて危険な状態である」 「それに対する回答は、読者個々の自由である」 平和と民主主義のため、まずは知ること 参考 「目をそらしていても、平和と自由は得られないのではなかろうか?」 軍事評論家 江畑謙介が広く世に知られるようになったのは「湾岸戦争」です。この頃お書きになった本の後書きで、江畑氏はこう述べています。 不幸にして、世界は
プロレスラー・三沢光晴選手、試合中に頭部を強打し死亡 1 :花電車φ ★:2009/06/13(土) 23:28:41 ID:???0 13日午後8時45分頃、広島市中区の広島県立総合体育館グリーンアリーナで、プロレスリング・ノアの試合中、社長でプロレスラーの三沢光晴さん(46)が相手選手にバックドロップをかけられ、頭部を強打した。 三沢さんは救急車で市内の病院に運ばれたが、間もなく死亡した。 三沢さんは2代目タイガーマスクとして人気を集め、全日本プロレスや プロレスリング・ノアで中心選手として活躍してきた。 http://www.yomiuri.co.jp/sports/news/20090613-OYT1T01053.htm 3 :名無しさん@恐縮です:2009/06/13(土) 23:28:54 ID:3U9yP/X80 ぎゃあああああああああああ 5 :名無しさん@恐縮です:200
2009年5月26日夕刻、栗本薫が亡くなったらしい。 27日11時半、寝ぼけ頭でそれを知った自分は「あ、そう」と思った。「ふーん、ついに死んだんだ」 別にショックではなかった。膵臓ガンだというのはずっと前からわかっていたし、早晩死ぬのは明白だった。膵臓ガンという病の重さから考えれば、ずいぶんと長生きした方だとすら思う。 だからまあ、死ぬのはいいんだ。死ぬのは当然で、そしてしょうがない。 それから「栗本薫が死ぬってどういうことだろう」と思い「栗本薫が死んだのに、おれはなにをやっているんだろう」と思った。 なにをやってるんだろうって、なにもやれることもやるべきことも、おれにはないだろう? とりあえず、作家・栗本薫(評論家・中島梓)の主な経歴をまとめてみたいと思う。 1977年 中島梓名義で群像新人文学評論賞受賞 1978年 『ぼくらの時代』で江戸川乱歩賞受賞 1979年 ライフワークとなるファ
その後の追悼・ほんとうのさようなら/栗本薫 (記・09.05.30) 浜名湖うなぎさんと栗本薫 中島梓・追悼ファンブックを刊行しています。 新刊は栗本薫とJUNE。(11.07.03)。通販サイトはこちら。 胸くそわりぃ。 栗本薫がついに死にくさりやがったってんで、追悼がわりに生前に絶賛していたコンビーブごはん、作ったんだが、胸焼けするくそまずさ。最悪だ。 米三合にコンビーフ三缶、バター、コンソメ、塩コショウで炊き込むって、馬鹿じゃなかろうか。三缶きちんと入れたのかって、入れるわけねーだろ。一缶入れた段階で、釜の中は阿鼻叫喚、見た目ほとんどゲロ。ふざけんなっての、俺を殺す気か。 色々と見なかったことにして炊き込んでみたが、台所に立ち込めるこのいやな脂の匂い。仕上がり釜を見て笑ったね。なんだよ、これ。全てが赤黒いでやんの。 飯は脂を吸ってくっさいは、残った赤肉はパッサパサで見た目は糸ミミズの
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今日は無理を言って代わりに書かせてもらいました、801です。 小説家の栗本薫御大が昨日、5月26日の午後7時18分、 すい臓癌のため、お亡くなりになられました。 今、御大がお亡くなりになられた事に非常に動揺し、 それ以上に御大がお亡くなりになられた事に動揺している自分に動揺しています。 栗本御大がいらっしゃらなければ、今日のBLは絶対になかったと思います。 直接お世話になったのは本当に初期のJUNE作品ではありますが、 JUNEというものに支えられてきた者として、心からのご冥福をお祈りいたします。 そして失礼かもしれませんが、私にとって御大は作家である前に、 小説道場から須和先生などの、素晴らしい作家さん達を輩出して下さった大恩人で、 あの頃のJUNEに支えられていた子ども達のちょっと口うるさい母親のような存在だと思っていて、 というか、今BLに浸かっている層は孫、ひ孫みたいな存在ではない
栗本薫さんが亡くなったそうである。 何といったらいいのか……。何といったら……。今度ばかりは、言葉も出ない。 追悼のために何か書かなくては、と思うのだが、どう書けばいいのかわからない。 ひと言だけ言葉を選ぶとすれば、「ありがとうございました」になるだろう。人生の辛く長い道程のなかで、彼女の作品にどれほど助けられたことか。 『グイン・サーガ』があったからこそ、ぼくはいままで生きてくることができた。そういい切ってもいいほどだ。 大げさだと思うひともいるだろう。言葉を飾っているだけだと感じるひとも。しかし、ぼくと同じように、優れた物語の存在を杖として人生を歩いてきたひとなら、きっとわかってもらえるはずだ。 そこに面白い物語があるということ、それがどれほど人生を豊かにしてくれるかということを。 ぼくはいま、打ちひしがれている。言葉を選んで書くことができない。だから、率直に記すのだが、いま感じる最も
「グイン・サーガ」シリーズなどで知られる作家の栗本薫さんが、5月26日、死去した。56歳だった。栗本さんは膵臓がんと闘病していた。 夫の今岡清さんが、mixi日記に記した27日未明のコメントで、「26日の夕刻、私の奥さんは他界してしまいました」と報告した。今岡さんのmixi日記には、栗本さんを悼むコメントが相次いでいる。 100冊を超えたグイン・サーガシリーズのほか、「魔界水滸伝」や「伊集院大介」シリーズなど、数々の小説作品を世に送り出した。グイン・サーガは4月からNHKでアニメが放映されている。「中島梓」名義での評論活動も知られ、いわゆる「やおい」の考察でも先駆者となった。 公式サイト「神楽坂倶楽部」の日記は4月28日が最後で、夫の今岡さんの手術が終了したことなどを報告していた。今岡さんのmixi日記によると、栗本さんは今月上旬から入院していた。 関連記事 「太陽の帝国」「クラッシュ」の
かねてより喉頭がんで闘病を続けていた忌野清志郎が、亡くなりました。58歳でした。なんということでしょうね‥‥。なんというか‥‥言葉もありません。 ▼訃報:忌野清志郎さん58歳=ロック歌手 がん治療続け 「ベイベー!」や「愛し合ってるかーい!」などの決めぜりふ、奇抜な衣装と演出で知られるロック歌手、忌野清志郎(いまわの・きよしろう、本名・栗原清志)さんが2日、がん性リンパ管症のため死去した。58歳だった。葬儀は9日午後1時、東京都港区南青山の青山葬儀所。喪主は妻の栗原景子(くりはら・けいこ)さん。 まだ58歳て、早いよな。若いよな。本人も無念だろうし、家族のことを思うとね‥‥。 闘病して病気から復活して「あ、治るんだ」って、諦めない姿勢というか、ものすごく希望を見せてもらいました。 ▼忌野清志郎、喉頭癌で入院 ▼忌野清志郎、ジョン・レノン・スーパー・ライブで復帰 ▼忌野清志郎、武道館で復活ラ
「文明の衝突」著者、ハンチントン氏死去 政治学者2008年12月28日10時22分印刷ソーシャルブックマーク 【ニューヨーク=真鍋弘樹】「文明の衝突」の著者として知られる政治学者のサミュエル・ハンチントンさんが24日、マサチューセッツ州マーサズ・ビンヤードで死去した。81歳だった。死因は明らかにされていない。米ハーバード大学がホームページ上で発表した。 27年、ニューヨークで生まれた。07年に引退するまで同大で58年間、教壇に立ち、政治学、民主主義論、軍政学などを専攻。17冊の著作がある。カーター大統領時代の77年から78年にかけ、国家安全保障会議のスタッフとして政権入りした。 96年に発表した著書「文明の衝突」では、ポスト冷戦下の世界について、国家間のイデオロギー対立ではなく、西欧、イスラム、儒教など主な文明間の宗教的、文化的な違いによって紛争が引き起こされると主張。西欧キリスト教文明と
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