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ブックマーク / blog.tatsuru.com (2)

  • 世阿弥とマーク・トウェイン(おしまい) - 内田樹の研究室

    世阿弥とマーク・トウェインについて「明日続きを書きます」と予告してから、5カ月も経ってしまった。書くつもりはあったのだが、他のことに気を取られて世阿弥まで手が回らなかったのである。さいわい、日、湊川神社神能殿で映画『世阿弥』の上映会があり、私は25分間の前説を担当することになっている。どうせメモを作らなければいけないのだから、それをブログ記事として公開しておけばよい。 世阿弥はどうして「日のマーク・トウェイン」なのか?という話をしているところだった。 マーク・トウェインが「アメリカの国民的分断を和解に導き、死者たちを鎮魂する物語」の鼻祖であるということはもうお分かり頂けたと思う。フィッツジェラルドも、ヘミングウェイも、西部劇映画も、エルヴィスのロックンロールも、国民を分断している「壁」を打ち砕いた功績によって「オールアメリカン」なものとなった・・・というお話を先にした。 日でその役割

  • 桜を見る会再論 - 内田樹の研究室

    もうこの話をするのにも飽き飽きしている。「桜を見る会」についての話である。 どうして「飽き飽き」しているかというと、ふつうの人間の受忍限度を超えて、この話が続いているからである。 続く理由は簡単で、ふつうは申し開きのできない証拠をつきつけられて「申し訳ありませんでした。私がやりました」として「犯人」が白状して、火曜サスペンス劇場が終わるところで、ぜんぜんドラマが終わらないからである。 でも、「私がやりました」と言わないというのは、ある意味では「合理的な」ふるまいなのである。 昔、東京地検に勤めていた友人から、推理ドラマはあれは嘘っぱちだという話を聴いたことがある。検察官に供述の矛盾を衝かれて、顔面蒼白となって、「もはやこれまで」と自白するのは「自分が知性的な人間である」ということにおのれの存在根拠を置いている人間だけだというのである。 「そんな人間は実はめったにいないんだよ。そんなのはね、

    yas-mal
    yas-mal 2020/02/02
    ほんとコレ。ここに至ったら、自民党がちゃんと引きずり下ろさないとダメでしょ。自浄作用があるところを見せないと。(河井案里議員陣営への1.5億円が、きっかけにならないか期待してるんだけど…)
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