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企業に関するDabunjinのブックマーク (8)

  • 体験の出口を争う日本のキャッシュレス、体験の入口から作る中国のキャッシュレス|shao (SAWADA Sho)

    キャッシュレス化を進めている日ではクレジットカードSuica や Edy などの電子マネーにQRコード決済が加わり、レジでの決済手段の多様化が進んでいます。一方、中国ではQRコードを店の入口から活用し、顧客のスマートフォンを用いた購買体験の向上が図られています。 店に入る前からQRコードが渡されるここは深圳の「緑茶餐庁」というレストラン。美味しい浙江料理が評判で入店待ちの客が多くいます。 筆者が到着すると整理券を渡されました。 この整理券にはQRコードがついていて、これを WeChat で読み取ると「二維火点餐」という Web サイトに接続されます。 QRコードは顧客ごとに異なり、整理券番号と紐付けられています。そのため、QRコードを読み取るだけで待ち行列の進捗がわかります。順番が近づくまで店を離れていても大丈夫です。 事前注文とチェックイン先ほどのQRコードからは待ち行列の進捗だけで

    体験の出口を争う日本のキャッシュレス、体験の入口から作る中国のキャッシュレス|shao (SAWADA Sho)
    Dabunjin
    Dabunjin 2019/04/04
    飲食店やサービス業でこういう部分に手を入れると既存客がクレームを入れたり客離れが起きる。それを切り捨てられるかどうかという経営的決断の問題でもある。
  • 「日本は破綻するだろう」 リクシル潮田会長が日本嫌いの理由 | 文春オンライン

    ベイスターズ買収に名乗りを上げたことも ©共同通信社 売上高1兆6千万円超を誇る住宅設備メーカー「LIXILグループ」。『日経ビジネス』が、潮田洋一郎会長兼CEOがMBO(経営陣による買収)を行った上で社をシンガポールに移そうとしていると報じ、波紋を呼んでいる。 「リクシルは11年、潮田氏の父・健次郎氏が創業したトステムなど5社を統合して誕生しました。洋一郎氏は統合を機に社長を退き、米ゼネラル・エレクトリック出身の藤森義明氏を後任に据えます。藤森氏は洋一郎氏の意を受け、海外メーカーの買収に力を注いだが、不正会計の発覚で15年に退任。立て直しを託されたMonotaRO会長の瀬戸欣哉氏もグループ企業の売却を巡り洋一郎氏と衝突し、昨年10月末に事実上CEOを解任されました」(同社関係者) 自ら招聘した“プロ経営者”の首を相次いで切り、復権した洋一郎氏が狙うのが、 「“日脱出”です。シンガポー

    「日本は破綻するだろう」 リクシル潮田会長が日本嫌いの理由 | 文春オンライン
    Dabunjin
    Dabunjin 2019/02/04
    本当に海外移転を計画しているなら今後の試金石となるかもしれない
  • この無名企業がなければ、3人のノーベル賞はなかった!

    電子部品メーカーの浜松ホトニクス(通称・浜ホト)は、ノーベル賞受賞に3度貢献した。最初は2002年にノーベル物理学賞を受賞した小柴昌俊氏のケース。ニュートリノ観測装置「カミオカンデ」に用いた光電子増倍管を開発。次は13年にピーター・ヒッグス氏がノーベル物理学賞を受賞した際の半導体検出器。 そして今回、ノーベル物理学賞を受賞した梶田隆章氏をサポートした。 10月6日、ノーベル物理学賞の栄誉に輝いた東京大学宇宙線研究所長の梶田隆章氏は謙虚に「チーム力」を強調し、観測を重ねた岐阜県高山市のスーパーカミオカンデの関係者らを労った。 スーパーカミオカンデは、受賞理由である「ニュートリノに質量があること」を突き止めた施設。施設の目に相当する光電子増倍管を手掛けたのが、静岡県浜松市で光検出機器をつくっている浜ホトだ。同社のホームページで、光電子増倍管の開発秘話を読むことができる。 小柴博士からの依頼で光

    この無名企業がなければ、3人のノーベル賞はなかった!
    Dabunjin
    Dabunjin 2015/10/20
    この手の無名有名の基準はメディア露出(=広告)が多いとかコンシューマー製品を製造しているとかだから。
  • ソニー創業家・盛田家の没落と信用失墜 長男の事業ことごとく失敗で巨額損失

    井深大氏と盛田昭夫氏。敗戦直後、東京・日橋の白木屋3階で2人が手を携えてつくった東京通信工業(現ソニー)は、日の戦後復興を上回るスピードで「世界のソニー」への道を駆け上がっていった。 その故盛田氏の、良子氏が3月14日死去した。享年85歳。ソニーの古手役員やOBたちの間では「ミセス」が通り名だった。1982年から95年まで社長を務めた大賀典雄氏は、しばしば良子氏の呼び出しで東京・青葉台の盛田邸を訪れた。良子氏に詰問され不機嫌になって社に帰ってきた大賀氏を、何人もの社員が目撃している。 95年に社長に就いた出井伸之氏は、良子氏の覚えがめでたかった。欧州に留学していた盛田氏の長男と長女の面倒を見たことから、盛田家と家族ぐるみの付き合いに発展した。盛田氏の長男のは、出井氏の従兄弟の娘である。血のつながりはないが、出井氏は盛田ファミリーの一員と見なされ、「盛田家の家庭教師」と言ってはばか

    ソニー創業家・盛田家の没落と信用失墜 長男の事業ことごとく失敗で巨額損失
    Dabunjin
    Dabunjin 2015/04/20
    長男の失敗ばかり書かれているが、父親だって井深大がいなければどうなっていたかわからない。
  • デフレ勝ち組苦境、なぜホワイト企業好調?多い休日、短時間労働…労働環境改善が業績直結

    人手不足が深刻化する中、「従業員に優しい企業」に関心が集まる。こうした企業はブラック企業の対極にあるとして、ホワイト企業と名付けられている。 人手不足が最も深刻なのが外産業だ。学生アルバイトの確保がままならず相次いで店舗閉鎖に追い込まれ、牛丼「すき家」のゼンショーホールディングスや居酒屋「和民」のワタミはブラック企業の典型としてインターネット上やメディアでやり玉に挙がっている。外業界は低賃金、長時間労働というビジネスモデルに支えられたこれらの企業は「デフレ時代の勝ち組」といわれたが、脱デフレ傾向により賃金が上昇、人手不足が顕在化し、経営の逆回転が始まった。 一方、職場環境や待遇面で従業員に手厚く報いてきた会社は、高コスト体質といわれ投資家からは敬遠されてきたが、チャンスが到来した格好となってる。 ホワイト企業の代表格としてよく挙げられるのは、名証2部に上場している電気設備資材メーカー、

    デフレ勝ち組苦境、なぜホワイト企業好調?多い休日、短時間労働…労働環境改善が業績直結
    Dabunjin
    Dabunjin 2014/10/03
    記事として全然物足りない。ホワイト企業として異端の会社をもってきても・・・
  • さらば、吉野家 ミスター牛丼、最後の独白 - 日本経済新聞

    「ミスター牛丼」と呼ばれた吉野家の安部修仁がきのう、経営の第一線を退いた。店のアルバイトから社長に上りつめ、牛丼一筋の42年。経営危機からの再生と「牛丼御三家」の攻防、そして吉野家がない街でスタートさせた第2の人生……。最後の独白を聞く。「吉野家のない街」でJR東京駅にほど近く、日を代表するビジネス街の大手町。安部は、その一角にそびえる高層オフィスビルの一室に事務所を置いた。最近まで通勤し

    さらば、吉野家 ミスター牛丼、最後の独白 - 日本経済新聞
    Dabunjin
    Dabunjin 2014/09/01
    日経ビジネスにゼンショーの小川社長のインタビュー記事があるが、比較すると味わい深い。
  • 朝日新聞デジタル:退職拒否→異動先上司は会社提訴した人 オリンパス社員 - 社会

    【編集委員・奥山俊宏】「会社と訴訟をやってるあの人の下に異動せよ」――。オリンパスの現役社員が「退職勧奨を拒否したら不当な配置転換をされた」として、会社を相手に異動の無効などを求める訴えを近く東京地裁に起こす。異動先の部署の上司は「部下のいない『名ばかりリーダーだ』」として会社と裁判中で、社員は「その部署に部下として送り込まれるのは、訴訟対策のための生け贄(にえ)だ」と主張している。  提訴するのはオリンパスの石川善久さん(50)。  訴状などによると、石川さんの異動先の品質教育チームでリーダーを務めるのは浜田正晴さん(52)。浜田さんは2007年に企業倫理に反すると思われる上司の行動を社内のコンプライアンス室に通報したところ、チームリーダーの役職を外されて畑違いの部署に異動させられた。会社を相手取って訴訟を起こし、昨年6月、最高裁で勝訴が確定。12月1日付でチームリーダーに復帰した。新設

    Dabunjin
    Dabunjin 2013/07/28
    「ミイラ取りがミイラになった」と言う言葉があるが、その見本。それにしても訴訟がこう続くと内部はかなりひどいんじゃなかろうか。
  • シャープはどこで間違えたのか、栄光と挫折の10年――好調時の振る舞いがアダに(1) | 企業戦略 | 投資・経済・ビジネスの東洋経済オンライン

    シャープはどこで間違えたのか、栄光と挫折の10年――好調時の振る舞いがアダに(1) - 12/09/03 | 00:03 ほんの1年前まで優良企業と目されていたシャープ。なぜ崖っ縁に追い込まれたのか。  「2000年代はシャープにとって夢だった」。シャープ関係者の多くはそう振り返る。確かに、家電メーカーの中位だったシャープは00年以降、トップメーカーに躍り出た。  原動力となったのが液晶だ。  1998年、町田勝彦社長(当時)は「ブラウン管テレビをすべて液晶テレビに置き換える」と宣言。00年初には、「20世紀に、置いてゆくもの。21世紀に、持ってゆくもの。」という広告で革新的な企業イメージを確立。液晶テレビ「アクオス」で国内首位を獲得した。  経営陣は、積極果敢な投資を矢継ぎ早に行った。00年代半ばまでに三重第2、第3工場(三重県多気郡)、亀山第1、第2工場(三重県亀山市)と8000億円超

    Dabunjin
    Dabunjin 2012/09/03
    シャープは液晶テレビによってテレビの覇者になるという野心を捨てられなかったということだろう
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