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バニシュデスみてーに100%きくならまだしも、 きくかもわかんない魔法に1ターン使うなら別の攻撃魔法なり物理攻撃なり、最悪ガードでもやっといたほうがまだマシだろ きくかわかんねーっつー中途半端な性能の割に消費MPも多いし 正直邪魔なんだよね HPMP全快アイテムはまだ保険って意味があるけどこっちはまじでただの場所取りでしかなくて邪魔でしかない 一応いれとくかみたいな感じなのか?作りてからしたら 死ぬかもわからん魔法と確実にダメージ入る手段 どっちとるよ それで即死系魔法を選べるやつらがギャンブルでも勝てるんだろうけどさあ ふつーの人間はコツコツなわけよ 昔からほんと不思議なのよね即死系魔法の存在意義
東京・有楽町―新橋間の高架下にある居酒屋街は毎夜多くのサラリーマンでにぎわうが、ひっそりと姿を消そうとしている居酒屋街もある。「今川小路(いまがわこうじ)」。東京のJR神田駅から徒歩2~3分の場所にある高架下の飲み屋街だ。頭上をひっきりなしに列車が行き来する中、狭い道の両側に小さな居酒屋がひしめき合う。近くには日本銀行本店があり、超高層ビルも林立する。都心の超一等地の片隅にあって、まるで昭和30年代から時計の針が止まったかのような場所だ。 戦後の混乱が抜けきらない1950年ごろから居酒屋が店を構えるようになり、高度成長期のサラリーマンの憩いの場として栄えた。しかし、1990年前後の東北新幹線の東京駅乗り入れ工事や、最近では2015年開業の上野東京ラインの線路建設工事に伴い、出店していた店は次々と撤退。今年9月にも店じまいした居酒屋が数店あり、10月末時点で残るのはごくわずかだ。すでに取り壊
趣味で旅行かばんに荷物をつめている。旅行には行かない。 東急ハンズ、ダイソーなどで便利そうな道具を買う。そして旅行かばんに荷造りをする。そして便利なのかを評価する。旅行には行かない。 旅行代理店でパンフレットをもらってくる。説明は聞かない。その旅程を見て、かばんを選び、荷造りをする。旅行には行かない。 作り終わった旅行かばんを持って出かける。なにかを買うのではない。旅行かばんを手にしたり、引き歩いたりして、街を行く。これは旅行ではない。 駅で電車を待ってみる。いくつも待ってみる。空港まで行ってみる。かばんを手にして歩く。旅行じゃない。 帰宅して、荷解きをする。空になった旅行かばんをきれいにして片付ける。 まっしろなパスポートを見る。やっぱり旅行に行っていない。 いつだって、どこにでもいける。すぐにいける。その練習。あと、まだいかなくていいや、とわかるために。旅行には行かない。
自分が好きな歌の共通点を考えると バンドが多くて、ボーカルが声を張るタイプの男性で、べたべたのオール日本語で歌ってて、 メロディがしっかりしてて、全体的に壮大な感じがするとなお良い。 歌詞はよく言うと世界観が完成してて言葉遣いがユニーク、悪く言うとポエミーでメンヘラっぽい感じのが本当に好き。 イエローモンキー、モノブライト、モーモールルギャバン、ちょっと前のゲスとか。 音楽に詳しくなくて、自分が好きな歌が何というジャンルになるのか、どこで探したらいいのか分からないので、コメントしてくださると嬉しいです。 追記 コメントしてくださってありがとうございます! TSUTAYA行って、教えてくださったアーティスト全部聞いてみます。
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6/22 13:25 最新版のスライドをアップロードしました。これ以上のアップデートはありません。 6/21 0:40 最新版のハンドアウトをアップロードしました。 課題について:今回の講義で採り上げた論文のどれかひとつ以上について、内容をまとめた上で意識研究の側面からその論文の意義を(今日の講義を踏まえた上で)議論してください。分量はA4で最大2枚。 今回のハンドアウト、スライドは以下のリンクからダウンロード可能です。 スライドにはパスワードが設定してあります。パスワードは講義のときに配布したハンドアウトの最後に記載してあります。忘れた人は吉田までメールいただければ送ります(メアド情報は生理研の吉田のサイトにあり)。 [Part 1] 意識を科学的に研究するってどういうこと? 「意識は定義できないから科学の対象にならない」というのは正しくないよ!(サール) 「意識」という言葉で指している
なぜトランプ大統領が誕生してしまったのか はてなを見ているとよく分かる。 とても正しい人たち、とても善良な人たちが、 苦しんでる人たちの声をひたすらに封じている。 苦しんでる人たちは「苦しい」と声をあげてはいけない。 正しさに異を唱えるつもりはなく、ただ誰かに自分の気持ちを聞いてほしかっただけだとしても、 「苦しい」と声をあげてはいけない。 ましてや論理展開などしてはいけない。 苦しんでる人が感情優位な状態で唱えた論は得てして完全ではなく そのちょっとした論理の綻びを彼らは絶対に見逃さない。 そしてそれを指摘したコメントには、たくさんの星がつくだろう。 では正しく善良な人たちによって封じられた声はどこかに消えてしまうのだろうか…? もちろんそんなことはない。 マグマのように、奥底で蠢いている。
2017年10月2日(16:30~17:50)に開催された萩尾望都先生特別公開講座に行ってきました。今回は女子美術大学1年生向けの公開講座です。ほとんどが若い学生さんでしたが、一部(60名)に一般公募による熱心なオールドファンが参加されていました。その中の一人として紛れ込みました。 「仕事を決める、選ぶ、続ける」というタイトルで、萩尾先生が若い学生さんに向けて、これから仕事を決める、続ける上で大切なことを話されました。とても個人的なことを、かなり深く突き詰めてお話され、私も伺ったことがないお話も出てびっくりしたりしました。「イグアナの娘」のプレゼントのエピソードは実体験だそうですが、あの作品、それだけではありませんでした。それから山岸凉子先生の霊感バリバリのお話もとても興味深かったです。 聞き手は女子美術大学 アート・デザイン表現学科メディア表現領域の内山博子先生。私はいつものようにメモと
大森静佳 @oomrshiz 短歌 /『てのひらを燃やす』(角川書店2013)『カミーユ』(書肆侃侃房2018)『この世の息 歌人・河野裕子論』(角川書店2020)『ヘクタール』(文藝春秋2022年夏刊行予定) 通販→oomr.booth.pm blog.goo.ne.jp/oomrshiz 大森静佳 @oomrshiz 下の弟はえんぴつで精密な絵を描くのが得意なんだけど、最近はずっと、このボルトとナットを描いていて、さすがにすこし狂気を感じる。これは、240時間目の状態(未完成)だそうです。写真じゃないんです… pic.twitter.com/mbFoW2KCqI 2017-10-24 20:14:55
これは10月22日に投開票が予定されている、衆議院議員選挙のためのもの。なんとか公開が間に合った形だ。この試みは、7月2日におこなわれた都議会議員選挙用に続き、2回目。国政選挙では初となる。 なぜ、視覚障害者にこのようなサイトが必要なのか。そして、どうして公開が直前になったのか。背景にはこれまで知られていなかった視覚障害者の「情報格差」がある。 全国に10万以上いる視覚障害1級の人たちは、事実上、選挙に参加しにくい状況が続いていた。視覚障害1級では、目が全く見えないか、見えてもごくわずか。それでも、2012年に発表された総務省の調査結果では、91.7%がインターネットを利用している。 このような人たちが頼りにしているのが、「読み上げソフト」だ。利用者がウェブサイト上でカーソルを合わせた場所のテキスト情報を、文字どおり「読み上げ」てくれる。 しかし、このソフトが使えない、それでいて重要な情報
うまく描けるわけでも、魅力的に描けるわけでもない。 話題の二次創作ものを描けば、ピクシブのデイリーランキングには入る。 ツイッターのRTが100以上になる。 話題のものを描かない場合は、地域ランキング50位内に入る。 (ランキングやRT数が絵の魅力を表しているわけではないし、ランキングに入っていないから駄目というわけではない。だけど、分かりやすいひとつの指針であることは間違いないだろう) その程度の、絵を描くことができるが、魅力的な絵を描くことができない画力しか持っていない。 神絵師になれないインターネットお絵かきマンが自分だ。 なまじ創作できてしまう、というのはすごくすごくすごく面倒くさい。 描けないから、出来てないからやめる、というのができない。 例えば、作曲家を目指すど!と意気込み、DTMを起動してみたが、自分が作りたい音がドなのかソなのか、レなのか分からない。ならと適当に良いフレー
「人の繋がりは大切だ」 「失敗を恐れないで」 「自分に正直に生きよう」 「仲間がいるから強くなれる」 「君もきっと誰かに必要とされてる」 「夢見る自分のために今日も頑張ろう」 「皆必死に生きてるから美しい」 「自分の夢を叶えるのは自分にしか出来ない」 「大切な人がいるから明日も楽しく生きていけるね」 なに? 歌詞を書いたのはどこかの小学校の校長なの? 脳みそ空っぽにして萌え萌えアニメで現実逃避して、よ~しおじさん明日も頑張るぞいってなりたいだけなのに。 いきなりメタルダーやBaby stepsみたいな事を言われても困るんですよ。 学校(職場)や日常生活でもちょっと孤立してる気がするけど、これからも現実から逃げて楽しい時間を過ごすためにしかたなく明日も現実で頑張るぞいって思ってから寝たいだけなのにさ。 なんでこう急転直下で現実に戻すの? 布団に入る前に脳をリセットしておかないと起きた後で反動
今日、自宅のポストを覗いてみると投票所整理券が届いていた。 街中を自転車で走っていると選挙カーが目立つようになってきた。 選挙の季節がやってきたのだ。 テレビやネットで政治の動きを色々と観て、色々とガッカリすることもあったけれど、こうやって選挙に行けることを嬉しく思う。 ネットを覗いてみると思想家の東浩紀氏が投票の棄権を呼び掛けていた。 どうやら、今回の選挙は選択肢が少なくて、国税が掛かるし、全てを「くだらない。」と言いたいようだが、そうであれば、東浩紀氏が国政選挙に立候補して、政治家にでもなれば良い。だが、そういう力すらないのだろう。 彼の主張を読んでいて、パソコンの前で思わず苦笑した。 だが、彼の文章を読んでいて、私の一票とは一体何だろう?と思いを巡らせることができた。 私の父や母には帰化する時まで選挙権がなかった。 在日コリアンには国政選挙で国会議員を選ぶ権利はもちろん、地方の首長や
どうですか? Rubyって新参者のイメージがあると思うんですけど、実はJavaと同じぐらい古いんですよ。 ちなみに、World Wide Webの原型になるものが作られたのは1990年だったそうです。Rubyを作りはじめた当時の1993年の時点では、World Wide Web自体は存在はしていたのですが、世間一般にはほとんど認知されていませんでした。つまり、冒頭でも申し上げたとおり、Rubyはweb用に開発されたわけではなかったのです。 当時すでに先輩としてPerlという言語があったのですが、その代わりになるような言語を作りたかった。でも単にまったく同じものを作ってもしょうがない。その頃の私はオブジェクト指向に傾倒していたので、こう考えました。 「オブジェクト指向に基づいて言語をデザインすることで、既存のものよりも良い言語が作れるんじゃないか」 ―― それがRubyの始まりです。 国際色
ポエムを書くサービスであるpplog.netが4歳になった。 2013.9.26 18:36 に作りたいと思った 2013.9.26 19:05 に pplog.net ドメインを取得 2013.9.26 19:29 に rails4baseからリネームして作り始めた 2013.9.26 19:41 に Heroku へ push 2013.9.26 21:28 に初のポエムを書いた 2013.9.26 23:09 に一緒に作ったデザイナーさんがポエムを書いた 2013.9.27 02:25 に友達がポエムを書く Herokuへpushしてから初ポエムまでラグがあるのは、おそらく最初はポエムを書く機能がなかったと思われる。徹底的に削ぎ落とした機能開発だった。もはや何もなかったのだ。いいのかそれで。まあ1時間半後にポエム書けているし、いいや。 友達へ初めて教えたのが、27日だったので、誕生日
菊田昇(赤ちゃん斡旋事件) 昭和48年4月17日、18日の両日、宮城県石巻市の地元紙「石巻新聞」と「石巻日日新聞」の片隅に赤ちゃんを斡旋しますという小さな広告が掲載された。「急募、生まれたばかりの男の赤ちゃんを、わが子として育てる方を求む。菊田産婦人科医院」。この小さな新聞広告がいわゆる「赤ちゃん斡旋事件」の発端であった。そしてこの小さな三行広告が、日本中に大論争を引き起こすきっかけとなった。 人工妊娠中絶の現実 広告の主は宮城県石巻市の開業医、菊田昇医師(48歳)であった。菊田は、昭和33年に菊田産婦人科医院を開業すると、人工中絶を希望する患者がたくさん受診することに驚かされた。それまで勤務医として働いていた彼にとって、これほど中絶を希望する患者が多いとは想像もしていなかった。何より彼を悩ましたのは、中絶を希望しながらその時期を過ぎてしまった妊娠8ヵ月以上の妊婦であった。妊娠7ヵ月の胎児
25歳のときに、病気で突然下半身不随になった建築家の丹羽太一さん。彼は家づくりの専門家として、また障がいを持つ当事者としての知見を、書籍『体験的ライフタイム・ホームズ論 車いすから考える住まいづくり』(彰国社)としてまとめました。ライフタイム・ホームズとは、どんな家なのでしょうか? ご自宅を拝見しながら、丹羽太一さんとパートナーの丹羽菜生さんにお話をうかがいました。 車椅子生活になったら、住める家が見つからなかった! 近ごろはバリアフリーを掲げる一戸建てやマンションも増えてきました。2006年に公共の場所の段差や階段をなくすことなどを定めた「バリアフリー新法」が施行されたことも、影響しているのでしょう。しかし実は当事者の身になってみると「バリアフリー住宅だからといって、車椅子でも住みやすい家であるとは限らない」という問題が、今でもあるといいます。 建築家の丹羽太一さんは、1992年、大学の
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