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architectureとrhetoricに関するNihonjinのブックマーク (2)

  • 『オープン・デザイン』は、むしろプログラマが読むべき本だった - Line 1: Error: Invalid Blog('by Esehara' )

    今日の十六茶 試してガッテン方式で入れている。 はじめに オライリー社から2013年に発売された『オープン・デザイン』というは、率直に言ってしまえば、如何にもデザイナー向けの思弁的な議論のアンソロジーとなっている。それらは、直接的には技術的な洞察を与えるものではないだろうし、また同様に、それが直接的に業務に使えるものかといったらそうでもない。 そうではないのにも関わらず、このは、プログラマにとって重要なであることは間違いないと、僕は確信している。逆説的なことではあるが、この技術書でないからこそ、あまりにも無視され続けたであると思うのだが、だからこそ、今読むべきであると思う。 プログラマはデザインが下手であるという現実を直視する もちろん、デザインという言葉は多義的な言葉であることは間違いない。まず指摘できることは、日語の場合、デザインという言葉は「設計」という言葉ではなく、

    『オープン・デザイン』は、むしろプログラマが読むべき本だった - Line 1: Error: Invalid Blog('by Esehara' )
    Nihonjin
    Nihonjin 2016/08/10
    「「世界」を外部から与えられたものとして額面通りに受け入れることはしない。むしろ、「世界」を、こじ開けることが可能な、いじくり回せる対象として捉えている」
  • がんばらないぶんめいのはなし/スメート・ジュムサイ『水の神ナーガ―アジアの水辺空間と文化』

    陸の民ノアたちは、神の怒りによる洪水=災難でもって、船に乗り水上生活を余儀なくされ(ちゃんと家畜も積んでいた)、そして陸地を目指さなくてはならなかった。 1:がんばらないぶんめい、水の民アジアのウォーターフロントの連中は、最初から洪水の上に住まっている。4~5mもある水深の「畑」で、作物(米)まで作っている。船にのって、収穫する。 ある村では、どの家にも周りに20mの高い4の柱が立っている。それらは家のどの部分も(床、屋根)支えていない。どの家も、実は床はいかだの上につくられている。柱は、水に浮かんだ住宅を綱でつなぐためのものだ。ひとたび洪水になれば、全コミュニティは、家や商店、集会所、そして犬小屋までも、住民の意思とは関係なく、自動的に浮かび上がる。 それで連中は、ポスト温暖化=ポスト・ノア洪水を(要するに「文明」の終わりを)生きている。地面が水没したり、また現れたりすることは、人類史

    がんばらないぶんめいのはなし/スメート・ジュムサイ『水の神ナーガ―アジアの水辺空間と文化』
    Nihonjin
    Nihonjin 2015/08/08
    隠喩としての建築。
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