〈私たちは、思想に、他をおしつぶすような力を求めすぎる。もちろん、それも思想の力の一種だけれども、その種の力だけを重く見ると、宣伝力といっしょくたになってしまう。そうなると、テレビを占拠しているものの思想が最大の思想ということになってしまう。学生運動の場合などでは、最も大きい声を出せるものが、最大の思想家ということになろう。そういう規準からすれば、非戦の思想とか、非暴力の思想は、重要な思想にはなり得ない。 だが、自分とちがうものに恐れず近づき、ちがうものをつなぐはたらきをするという思想のはたらきは、ちがう思想を理解することもなしに力でおしつぶすというやりかたとはちがう、おもしろい役割をになっている。日本文化の重層性のふんぎりのわるさの中には、そのような理想が含まれているように思える〉(義円の母 1970) 第2巻(1970-1987)には、オーウェル、エリクソン、花田清輝、林達夫論から野坂