ユングベリは自身の役割について、「中盤で落ち着いてボールを回すこと」と話す【Getty Images】 「ニホンニコレテ、ホントウニウレシイデス」 9月8日にアウトソーシングスタジアム日本平で行われた入団会見で、フレドリック・ユングベリはたどたどしい日本語であいさつし、会見の2日後には、ジュビロ磐田との静岡ダービーでJリーグデビューを果たした。あれから約1カ月半が経過した。 しかし、つま先のけがの影響もあり、現在までに90分フル出場した試合はわずか1試合にとどまっている。リーグ戦5試合(252分)、カップ戦2試合(73分)と、出場時間は期待されたほど多くない。この数字だけを見ると、チームを救う絶対的な外国人助っ人選手としては物足りないかもしれない。だが、ユングベリ加入後の清水エスパルスは、9試合を戦い、5勝2分け2敗(リーグ戦3勝2分1敗、カップ戦2勝1敗)と好調を維持している。 J
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「頭の中がぐわんと揺れた感じでした。やった瞬間だけじゃなくて、その前後の記憶がないんです。ただ頭が真っ白になって、これはまずいと感じたことだけは覚えています」 2月23日に行われたAFCチャンピオンズリーグのグループステージ第1節、韓国・城南一和とのアウエーゲーム(0−2で川崎フロンターレが敗戦)。時計の針が15分をすぎたときのプレーだった。左サイドにいたレナチーニョからの折り返しのボールを、バイタルエリアに走り込んできた中村憲剛が胸でトラップ。そのまま次のプレーに入ろうとした瞬間、斜め横から突進してきた相手DFの頭と憲剛の顔面がもろに衝突。憲剛はピッチに倒れた。ピッチサイドで撮影していたカメラマンはその瞬間、固くて重い物同士がぶつかり合うような鈍い音を聞いたそうだ。 「たぶんヘナ(レナチーニョ)からだと思うですが、横パスが来たところまでは覚えています。だけど、そのあとの記憶がない。胸
ポチェッティーノ監督(左)との求めるサッカー観の違い、それが中村が活躍できなかった一番の理由だ【Getty Images】 2月27日、バルセロナ国際空港――。 エール・フランスのチェックインカウンターで搭乗手続きを済ませた中村俊輔が、ゆっくりと出発ゲートへと歩いていく。前夜まであわたただしく自宅の荷物を整理した。大きなスーツケースが3つ。スペインで生活した7カ月間の荷物は、予想以上にかさばった。ゲートへと歩きながら、「8年間のヨーロッパでのプレーを終えての帰国だけど」と聞くと、彼は「また新しい挑戦がはじまるという感じ」と言って、軽く握手をすると、出発ゲートの中へと消えていった。 しばらくの間、中村の移籍についてあれこれ大々的に報道していた地元メディアもこの日は空港に駆けつけず、特に大きな喧騒(けんそう)もない。それは想像していたよりもずっと静かな出発だった。 横浜F・マリノスへの移
遠藤(中央)は韓国戦でPKを決め先制点を挙げた。しかし逆転負けを許し、試合後は厳しい表情で反省を口にした【Photo:YUTAKA/アフロスポーツ】 「言われたことをその通りにやるっていう日本人の悪い癖が出ている。もっと遊び心を持ってやらないと創造性が出てこない。試合中にポジションを変えるのもそう。実際にやっているのは自分たちなんだから、リズムが取れなければ監督に関係なく修正しないと」 遠藤保仁は東アジア選手権が開幕してからずっとこう言い続けてきた。岡田武史監督のコンセプトに縛られがちな日本代表を何とか変え、プラスの方向へ持っていきたい。中村俊輔不在のチームにあって、攻撃陣のカギを握る彼は、最終戦の韓国戦を大きな転機にしたいと考えていたはずだ……。 出だしは悪くなかった。ユース時代からお互いを知り尽くしている稲本潤一がアンカーの位置に下がり、遠藤が前へ行く縦関係のボランチは機能している
圧倒的な強さと数々のトラブル−。コントラストの強い存在感によって、相撲ファンでない人々からも注目を集めてきた横綱朝青龍が、ついに土俵を去った。 大鵬、千代の富士に次ぐ歴代3位の優勝25回。たぐいまれな身体能力と相撲勘と闘争心。中でも2005年は6場所すべて制覇し、史上初の7連覇も果たすなど、圧倒的な強さを誇った。 衰えが見え始めてからも、3場所連続休場の後で進退を懸けた昨年初場所で復活優勝。今年の初場所でも優勝するなど、円熟味さえ感じさせた。 しかし、そうした「技」「体」に比べて「心」は、横綱どころかプロのレベルに遠かった。感情の起伏を制御できず、トラブル続き。07年名古屋場所後にはサッカー騒動を起こし、2場所出場停止などの厳罰を受けた際には「これから心の部分を磨きたい」と語ったが、その後も横暴な振る舞いは改まらなかった。 相撲協会の北の湖前理事長(元横綱)は、甘いと批判されながら
2回戦の山形中央(山形)戦では23本、3回戦の尚志戦では16本ものシュートを放ちながら、広島観音は1−0の辛勝が続いている。 メンバーの選定、ゲームプランの立て方、ミーティングを選手に任す畑喜美夫監督だが、尚志戦のハーフタイムには珍しく自らげきを飛ばし、選手にもっとファイティングスピリットを出すよう促した。後半、奮起した広島観音は50分、ボランチ柳田優介の視野の広いプレーからチャンスを作り、左サイドバック小林祐輝のクロスにFW山本邦彦がヘッドでゴールを挙げて逃げ切った。 「こういう苦しいゲームをどうにか80分コーディネートして、最後は勝ち切るというところはすごいと思います。もちろん僕は外から見えてますから、どこをどういうふうに止めればできるということができます。しかしキャプテンの柳田が的確な指示をして、相手の縦のスピードをうまくバック陣が止めた完ぺきなゲームだったと思います」と、試合後
5日に行われたオランダ対日本、専門誌には「2−2」と予想した。その根拠は、オランダの攻撃力を日本の守備陣が完封できるとは思えなかったが、あらかじめオランダの守備の弱点も見抜いていたからだ。しかし、日本はオランダからゴールを奪えず0−3で大敗した。 ワールドカップ(W杯)予選で7戦全勝、失点2と完ぺきなスタッツを誇るオランダだが、そこはサッカーそのものを見極めないと過大評価になる。予選期間中、オランダは4−2−3−1で戦ったが、センターFW(フンテラール、カイト)、2列目(ファン・ペルシ、ファン・デル・ファールト、ロッベン、スナイデル、カイト=FWとの兼任=)という質・量共に十分すぎる布陣が相手を圧倒し続け、セントラルMFのファン・ボメルとデ・ヨングが抜群のコンビを見せていた。しかも、同組のスコットランドとノルウェーにはかつての強さがまるでなかった。こうして、オランダの守備の弱点はカムフラ
10月に控えたU−17ワールドカップ(W杯)本大会に向けて強化を進めるU−17日本代表がスペインのビジャレアルで行われた第10回ビジャレアル国際ユースサッカー大会(8月8日〜11日)に参加した。U−17日本代表の最終順位は、8チーム中7位。グループBに入ったU−17日本代表は、初日のミラン戦で0−1の敗戦、2日目のレアル・マドリー戦は2点を先制しながら2−2の引き分け。3日目はセルティックに1−2と逆転負けを喫し、グループ最下位で最終日の順位決定戦へ。最終日の7位、8位決定戦はビジャレアルに5−0と大勝して意地を見せた。 U−17日本代表を率いる池内豊監督は、全日程終了後、「1戦1戦、いろいろと試しながら積み上げてこれたのでいい大会だったと思います。ここに来るまでコンディションが悪い選手が多かったため、3試合目(セルティック戦)はだいぶきつくなりましたが、選手たちはよくやってくれました。
「DFのクリアボールがナカに渡り、その瞬間、彼が僕を見てくれた。彼のパスなしではこの得点は生まれなかったよ」 中村俊輔からのアシストパスを受けて先制点を決めたエスパニョルのルイス・ガルシアは試合後、得点シーンをこう振り返った。 新スタジアムのコルネジャ・エルプラットのこけら落としとして2日に行われたリバプールとの親善試合で、エスパニョルは3−0と快勝。特に前半はエスパニョルがデ・ラ・ペーニャ、中村のキープ力を生かしてボール支配率を高め、内容面でリバプールを圧倒した。左サイドハーフとして先発した中村は、前半のみの出場とはいえ、良いパフォーマンスでホームのファンに好印象を与えた。 試合後、中村のアシストとパフォーマンスについて聞かれたエスパニョルのポチェッティーノ監督は、「いつも言っているようにナカムラは素晴らしい選手だ。素晴らしいアシストをした。ただ、彼1人を褒めるのではなく、選手全員
24日に行われたセリエA第37節ミラン対ローマ戦は、ミランの偉大な主将パオロ・マルディーニにとって、ホームであるサン・シーロ・スタジアムでの現役最後の試合となった。この日、マルディーニのために集まった大勢のミラニスタ(ミラノのファン)たちは、同選手のこれまでの功績とクラブへの貢献に対し、最大級の賛辞と感謝を示した。 ミランの選手がスタジアムに入場した際、約8万もの白いチームマフラーがミラニスタたちの手によって掲げられた。そのすべてのマフラーに、彼らのアイドルであるマルディー二の名前、背番号、そして彼が勝ち取ってきたすべてのタイトルがプリントされていた。さらに何百という横断幕も掲げられ、多くのミラニスタは同選手のユニホームに身を包んでいた。横断幕の1つにあった“マルディーニのクローンを!”という言葉は、ミラ二スタにとって同選手が唯一無二の存在であることを物語っていた。 試合はミランがロー
20歳ながら、世界選手権は今回で7度目となる。五輪もアテネ、北京と2大会を経験した日本卓球界の顔。幼少期から才能を発揮し、10代で世界最高峰とされる中国スーパーリーグに参加するなど、実力も世界トップレベルだ。 世界選手権とは!? 国際卓球連盟(ITTF)が主催する、最も権威のある卓球の国際大会。実施される種目は、男女団体戦、男女シングルス、男女ダブルス、混合ダブルスの計7種目。1926年にロンドンで第1回大会が開催され、57年の第24回ストックホルム大会までは毎年開催されていたが、59年の第25回ドルトムント大会以降は2年ごとの開催となった。さらに、2003年の第47回パリ大会からは団体戦と個人戦を分けて開催。偶数年に団体戦、奇数年に個人戦が行われている。 日本は08年の中国大会(団体戦)で、男女チーム共に銅メダルを獲得。福原愛、水谷隼ら若手主体のチームは、今回行われる個人戦でもメダル獲
サッカー選手としてさまざまな舞台を経験した一木。写真はソニー仙台時代のもの【写真提供:ソニー仙台フットボールクラブ】 「一木太郎」という元フットボーラーをご存じだろうか? もしご存じなら、おそらくそれなりに年季の入ったサッカーファンではないかと拝察する。しかし、だからといって「一木太郎」は大昔のプレーヤーではない。1976年9月1日生まれの現在32歳。現役のJリーガーでいえば、宮本恒靖(神戸)や財前宣之(山形)と同期である。いや、むしろ上記2名とは、93年に日本で開催されたU−17世界選手権(現U−17W杯=ワールドカップ)の日本代表として共に戦ったチームメート、と紹介すべきなのかもしれない。ちなみにこの時のU−17代表には、松田直樹(横浜FM)、戸田和幸(慶南FC/韓国)、そしてあの中田英寿(引退)といった2002年W杯の日本代表の中心選手たちも名を連ねていた。2年後の「黄金世代」の登
2月24日のCL決勝トーナメント1回戦の第1戦、インテルの先発でイタリア人はサントン(前列右から2番目)1人だった【Getty Images】 何年か前のこと、監督として数々の成功を収めているアルゼンチン人のカルロス・ビアンチにインタビューする機会があった。われわれは彼に「好きなヨーロッパのチーム」を尋ねたのだが、その答えに驚かされた。ビアンチは「なぜ“ヨーロッパのチーム”と呼ぶのか」と、逆にわれわれに質問を浴びせたのだ。そもそも、ヨーロッパでどの国が優れているのか判断できるのか。どこもかしこも外国人選手で溢れているではないか、と。 外国人選手の過多が叫ばれるようになったのは、アーセナルやインテルといった強豪チームで、スタメン11人がすべて外国人といった事態が起こるようになってからだ。多くの場合、彼らはホームスタジアムのサポーターが試合中に投げ掛ける言葉を理解できず、声援が力にならないこ
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