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historyとterrorismに関するRPMのブックマーク (7)

  • 【画像】麻原彰晃が経営するお弁当屋さんwwwww

    家で調理すると3で1時間はかかる 弁当屋に頼むとすぐに持ってきてくれる 浮いた時間を有効に使えて1日が25時間あるみたい って意味や

    RPM
    RPM 2018/07/17
    宣伝文句はともかく、メニューはごく普通なのに、飲み物に「パールバティー」があるのが目を引きすぎる。まあお茶なんだろうが……。
  • 偽史「オタクとオウムの親和性」歴史修正主義

    こな蜜柑ちゃんpot @reirei_pot 「オタクとオウムの親和性」 「今オウムの様な物があったとして、惹き付けられるのはネトウヨ層」 オウムさえオタク非難とネトウヨ非難の出汁に出来てはじめてリベラルとして一人前と言えるんですよ(こなみかん) pic.twitter.com/TinpJ1l5Nc 2018-07-08 19:41:44

    偽史「オタクとオウムの親和性」歴史修正主義
  • 麻原彰晃死刑執行 「極秘テープ」に残されたオウム真理教の真実【後編】 | 文春オンライン

    7月6日、オウム真理教の教祖・麻原彰晃(名・松智津夫)の死刑が執行された。NHKスペシャル「未解決事件File.02 オウム真理教」取材班が入手した7教団の極秘テープには、麻原の素顔とオウム真理教の真実が残されていた――。後編は地下鉄サリン事件にいたる過程に迫る。※前編より続く (初出:「文藝春秋」2012年8月号) ◆ ◆ ◆ ハルマゲドンの予言を実現 最後の逃亡犯として逮捕された高橋克也容疑者の上司だった井上嘉浩。麻原の側近の一人で「諜報省」と呼ばれた組織のトップとして地下鉄サリン事件などの犯罪に関わった。死刑が確定し、拘置所で外部との接触ができない状態に置かれている。その井上と家族を通じてやりとりが始まったのは昨年12月。 井上は裁判でも語ることがなかった数々の事実を、手記を通じて明らかにした。例えば、地下鉄サリン事件の前年、サリンを使った「計画」が首都を標的に進められていたとい

    麻原彰晃死刑執行 「極秘テープ」に残されたオウム真理教の真実【後編】 | 文春オンライン
    RPM
    RPM 2018/07/13
    "サリンの大量生成のための大量の薬品・生成の技術""2万個の小型拡散機、そして都内の10カ所の散布用の拠点と大型ヘリがありました。目的は武力クーデターによる政権奪取です。"
  • 麻原彰晃死刑執行 「極秘テープ」に残されたオウム真理教の真実【前編】 | 文春オンライン

    7月6日、オウム真理教の教祖・麻原彰晃(名・松智津夫)の死刑が執行された。NHKスペシャル「未解決事件File.02 オウム真理教」取材班が入手した700を超す教団の極秘テープ。そこには、麻原の素顔と、麻原の“教え”によって極秘裏に武装化計画を進めるオウム真理教の真実が記録されていた。 (初出:「文藝春秋」2012年8月号) ◆ ◆ ◆ 若いスタッフは「麻原って魅力ありますよ」 取材を進める中で、今回NHKは、独自に700を超す教団の極秘テープを入手することができた。その入手先については詳細を述べることはできないが、元々は教団のある幹部が、“教祖”の言葉を個人的に収集するために録音していたものだ。1995年の地下鉄サリン事件のあと、教団幹部が次々に逮捕される中、テープは元幹部の関係者の家に預けられ、さらに十数年の時を経て第三者の手に移っていた。その第三者も「これを持っていることで変

    麻原彰晃死刑執行 「極秘テープ」に残されたオウム真理教の真実【前編】 | 文春オンライン
    RPM
    RPM 2018/07/13
    "テープを連日のように聞いて文字におこしていた20代の若いスタッフ。オウムの事件を詳しく知らなかった彼らが「麻原って本当に悪い人なんですか?」「麻原って魅力ありますよ」と口を揃えた"
  • “抗う教祖”法廷で見た「麻原彰晃 死刑判決」の瞬間 | 文春オンライン

    7月6日、一連のオウム真理教事件をめぐり、死刑が確定していた教祖・麻原彰晃(名・松智津夫)の死刑が執行された。ジャーナリスト・青沼陽一郎氏はかつてオウム裁判を継続して傍聴し、麻原の意見陳述、長きにわたる沈黙、そして死刑宣告の瞬間に立ち会っていた。その手記を『私が見た21の死刑判決』(文藝春秋)より一部抜粋する。 ◆ ◆ ◆ 「日語でしゃべりなさい」 初公判からちょうど1年が経った、97年4月24日だった。 ようやく念願が叶って、教祖に意見陳述の機会が与えられた時のことだった。

    “抗う教祖”法廷で見た「麻原彰晃 死刑判決」の瞬間 | 文春オンライン
    RPM
    RPM 2018/07/13
    "そんな教祖が法廷に響くマイクを前にして、蚊の鳴くような声でぼそぼそやりはじめた。""よくよく耳をすませば、なんと教祖は英語をしゃべっていた"
  • 女性の下着を透視するなど楽しいヨガ・サークルだったオウム真理教が「殺戮集団」へと変化した決定的瞬間:社会・事件

    女性のパンティを透視 1984年2月のこと。渋谷区桜丘のマンションの5階にある「鳳凰慶林館」という学習塾が、同じ経営者によってなぜかヨガ(ヨーガ)道場に様変わりした。ヨガの他にも、鍼灸などの東洋医学、原始仏教、超能力開発などがブレンドされている、当時日のオカルトをごった煮したようなレッスン内容だった。リーダーの麻原彰晃はこの時28歳。後にオウムの幹部となる女性たち、山まゆみ・飯田エリ子・石井久子もこの年に続々と入会する。ここでは「オウム真理教」でもその前身の「オウム神仙の会」でもなく、活動期間たった2年、若者達が"解脱"を目指して2DKの部屋で修行を重ねたヨガ道場「オウムの会」の話をしてみたい。 麻原彰晃、名・松智津夫は熊県の出身。盲学校を卒業後、上京して東大を目指すが受験に失敗。その後、健康薬品販売店を営むも薬事法違反で逮捕され、阿含宗での修行は途中で抜け、「社会総合解析協会」

    女性の下着を透視するなど楽しいヨガ・サークルだったオウム真理教が「殺戮集団」へと変化した決定的瞬間:社会・事件
    RPM
    RPM 2018/07/07
    図らずも当時のオカルトブームが、オウムをさらに加速させたのか……。初期は比較的まともなヨガサークルだった、というのは知ってたが。
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