相馬事件(そうまじけん)は、明治年間に起こったお家騒動の一つ。最後の相馬藩主相馬誠胤が精神病者として自宅座敷牢に監禁されたことに端を発した騒動で、1883年から1895年まで法廷で争われた。精神病患者への処遇や、新興新聞によるセンセーショナルな報道の是非を巡り、世間へ大きな影響を与えた。 経緯[編集] 旧中村藩主、相馬誠胤の統合失調症(推定)の症状が悪化したため、1879年に家族が宮内省に自宅監禁を申し入れ、以後自宅で監禁、後に癲狂院(現在の精神科病院に相当)へ入院させた。 1883年、旧藩士の錦織剛清が主君の病状に疑いを持ち、家督相続を狙った異母弟家族による不当監禁であるとして家令・志賀直道(志賀直哉の祖父)ら相馬家の家宰たちを告発したことから事件が表面化した。告発を行った錦織に対し、世間からは忠義者として同情が集まった。当時は精神病の診断も未熟であり、高名な大学教授らによる精神病の診断