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しばらく間が空いた。で、反知性主義についての簡単なお勉強を経て、ぼくが手に取ったのは『日本の反知性主義』だった。 この本の題名は、明らかに『アメリカの反知性主義』を意識しているようだ。その一方で、この面子を見ると、ぼくが冒頭に挙げた『現代思想』の執筆者と重なるようであり、「反知性主義」を「バーカ」の意味で使う連中の集団のようにも思える。で、どうなのよ? それがぼくの興味だった。が、その前に…… 「反知性主義」をちがう意味で使ってはいけないの? まず、そもそも「反知性主義」を「バーカ」の意味で使ってはいかんのか? ぼくはそうは思っていない。ぜんぜん構わないと思う。ただ、その場合にはホフスタッターとかを引き合いに出してはいけない。まるで意味がちがうからだ。 なぜか? ホフスタッターの本は、名著とはいえ決してだれでも知っているメジャーな本ではない。ぼくはたまたま、漠然とホフスタッター的な意味合い
駒場の東大の生協で発売されたばかりのこれを買ってきた。 『リベラルのことは嫌いでも、リベラリズムは嫌いにならないでください--井上達夫の法哲学入門』(毎日新聞出版) 「タイトルがね〜」とくさしながら読み始めたが中身がすごく真摯でかつ単刀直入なので引き込まれてしまって、タイトルなど気にならなくなった。いや、本当に、リベラリズムのことは嫌いにならないでください、と心の底から思った。 (「人文系の先生のことは嫌いでも、人文系学部は社会に必要だから嫌いにならないでくださ〜い」とか応用が効くような気もしてきた) この著者は、私が大学に入った頃、1・2年の教養学部の頃に『共生の作法』(創文社、1986年)を読んで以来、本が出るたびに買って読んできた。 思い出深いのはやはりこれでしょうか。この本のインパクトはすごかった。 『他者への自由―公共性の哲学としてのリベラリズム』(創文社、1999年) その当時
この投稿に至った経緯 この投稿は、id:takamm氏が、私のブログの記事(「自民党、政権復帰。しかし、圧勝に浮かれてはいけない。」)を引用した記事(「「嫌中・嫌韓」の友人と呑んで-彼は何に突き動かされているのか」)を書いたことに対する返答投稿だ。もっともtakamm氏の引用箇所は、私の自己紹介と当該投稿の4つの結論のうち1つだけで、かなり離れた2箇所を文脈を無視して繋げると、こういう切り取り方ができるのかと苦笑してしまったし、私の投稿の主旨(自民政権のとるべき行動)は、takamm氏の投稿の主旨(嫌中嫌韓の人の心底)に関係なさそうに思うので、とばっちり感が強いのだけど(笑) 私の投稿が引用されたので、takamm氏の投稿に対し、私は次のようなブクマコメントをつけた。 the_sun_also_rises グローバル化の反作用としてのナショナリズムの台頭。これは日本だけでなく中韓にも顕著に
Best ways to assure the replacement of the damaged or leaked plumbing line and accessories is done in the right way Damaged and leaked plumbing lines and accessories are never needed at home or in any of the building because damaged plumbing lines always cause a mess around the house and you will not be able to tolerate such things in a way or another. That is why most people may call for a plumbi
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