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歴史と大正に関するamino_acid9のブックマーク (3)

  • 「どうだ明るくなったろう」山本唯三郎の意外な人生をたどる

    1984年生まれ岡山のど田舎在住。技術的な事を探求するのが趣味。お皿を作って売っていたりもする。思い付いた事はやってみないと気がすまない性格。(動画インタビュー) 前の記事:烏龍茶は水割りがおいしい > 個人サイト オカモトラボ 風刺画「どうだ明るくなったろう」とは 見た事ない人もいると思うので、まずは「どうだ明るくなったろう」について説明しよう。 「どうだ明るくなったろう」とは、歴史の教科書の大正時代のページに出てくる風刺画である。 こんな感じ。物は検索して確認してほしい。 暗闇の中でが見つけらない芸者さんに対し、成金の男性が百円札に火をつけて明かりにするというもの。 第一次世界大戦のバブルを揶揄した和田邦坊(わだくにぼう)の作品だ。そのエキセントリックな行動はインターネット上で題材としても親しまれている。 実はこの風刺画、函館の料亭で起こった実際のできごとが元になったとされている。

    「どうだ明るくなったろう」山本唯三郎の意外な人生をたどる
    amino_acid9
    amino_acid9 2020/12/06
    金燃やすだけでなく寄付の規模も額も豪快
  • 呉・樫田著/金川訳『精神病者私宅監置の実況』:すごい。大正期のキチガイ座敷牢の実態調査を現代語で! - 山形浩生の「経済のトリセツ」

    【現代語訳】呉秀三・樫田五郎 精神病者私宅監置の実況 作者: 金川英雄出版社/メーカー: 医学書院発売日: 2012/09/14メディア: 単行購入: 36人 クリック: 943回この商品を含むブログ (7件) を見る 90年前の大正時代にはすでに精神病者に対応するための法制度もある程度はあったし、精神病院なんてものもあったわけだが、むろんみんながそこに入れたわけではなく、相当部分の精神病者――ボケ老人もかなりいるが、25-40歳くらいが大半――は家族が座敷牢を作ってそこにぶちこむしかなかった。その実態を調査したもの。著者の呉秀三は東京帝国大学の医学部の先生。精神病で呉というと、どうしてもドグラマグラを連想してしまうんだけれど、そういう関係はどうもないみたい。 あちこち農村に分け入ってはその実態を淡々と書いており、その収容されている座敷牢の平面図、患者の状況その他がひたすら記録されている

    呉・樫田著/金川訳『精神病者私宅監置の実況』:すごい。大正期のキチガイ座敷牢の実態調査を現代語で! - 山形浩生の「経済のトリセツ」
    amino_acid9
    amino_acid9 2012/10/18
    座敷牢が届出制になったのは相馬事件の影響だっけか
  • 【過去からの警鐘 埋もれた巨大地震】(1)関東大震災の大津波 犠牲者なし「奇跡の村」+(1/4ページ) - MSN産経ニュース

    「おおぢしんがしたら つなみがきました。うちがながれだしました。おっかなくて なきました」 大正12(1923)年9月1日。静岡県・伊豆半島の東岸にある宇佐美村(現伊東市)に関東大震災の激震と大津波が襲った。宇佐美尋常高等小学校の全児童728人の作文集「大正大震災記」に、当時の様子が克明に記されている。 大津波は地震のわずか数分後に押し寄せた。高さは推定7.5メートル。子供たちは一目散に逃げだした。昼ご飯をべていた子は、はしを持ったまま家を飛び出した。はだしで走る子もいた。 「地震が止んだと思ったら、『ソレッ津波ダッ』と言った。後をも見ず一生けんめい高い所へとにげた」(5年生) 「夢中でにげました。すると海の色が変(わ)って、沖からむくむくと水がふえてきて、さあっとうちをひいて行きました」(4年生) 「ぶるぶるふるえながら、海の水がへんになるのを見ていたら(中略)、お父さんがきて、なんに

    amino_acid9
    amino_acid9 2012/03/13
    関東大震災で伊豆半島東岸を中心に大津波が襲った記録
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