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歴史と憲法に関するamino_acid9のブックマーク (4)

  • 安保反対と経済の勝利 - リアリズムと防衛を学ぶ

    政府の安全保障政策に反対し、知識人や学生を中心に大きな反対運動が起きました。国会前ではデモが行われ、今回の条約は日戦争に巻き込む、憲法違反のものだと主張しました。 …という、1960年のお話について、積ん読を少し片付けたので、その中で気になった点を紹介します。 安保改定 怒れる知識人 憲法と安保 過激派の野望 経済の勝利 外交論議の不毛 安保改定 1960年1月、岸信介総理大臣はアメリカを訪問し、新安保条約に調印しました。安保改定です。これによって日戦争に巻き込まれる危険が増す等、猛烈な反対運動が巻き起こりました。 安保条約の改定を進める岸内閣及び自民党に、それに反対する野党社会党と学生運動を始めとする大衆たちが対抗しました。 怒れる知識人 安保改定は、単に外交・防衛政策の転換であるのみならず、日の民主主義にとっても危機であるという意見が強くありました。条約の中身だけでなく、改定

    安保反対と経済の勝利 - リアリズムと防衛を学ぶ
    amino_acid9
    amino_acid9 2015/08/03
    60年安保のお話
  • 【安保法案】集団的自衛権、憲法制定時からこんなに変わった

    安全保障法案が7月15日、衆院特別委員会で可決され、16日には衆院会議にかけられる。日が直接攻撃されていなくても戦闘に加わることができる「集団的自衛権」を認める内容が盛り込まれ、日が他国から攻撃されるリスクが高まるという指摘もある。 もともと憲法9条で「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」と定められており、憲法制定時の政府は「日に自衛権はあっても行使することができない」と考えていた。しかし、日をめぐる安全保障環境が変化するたびに、日政府は「わが国に軍隊はない」と主張しながらも、自衛隊が活動できる範囲を変えるなど、憲法に対する解釈を変えてきた。

    【安保法案】集団的自衛権、憲法制定時からこんなに変わった
    amino_acid9
    amino_acid9 2015/07/20
    これまでの変遷と、現法案のおさらい
  • 政府の憲法解釈の歴史を今更ながら復習する(冷戦終結から現在まで)

    山岡「この集団的自衛権は出来損ないだ。べられないよ」 前編の流れをざっとまとめます。 ① 日国憲法審議過程 「自衛権(の発動としての戦争)も認められない」by吉田茂 ② 朝鮮戦争勃発時 「集団的自衛権は国家固有の権利(共同行使説)」 「集団的自衛権の国外での行使は認められない」 ③ 1960年 「日防衛のための米軍との共同対処は個別的自衛権」 ④ 1964年 「他国防衛のための集団的自衛権の行使は認められない」 ⑤ 1981年 「集団的自衛権を有しているのは当然だが、行使は認められない」 ベルリンの壁が崩壊しソ連が解体され、国際情勢が大きく変化した90年代の新たな世界で、日では国連活動(多国籍軍)への協力という文脈で自衛隊海外派遣が議論の対象となります。 1991年の湾岸戦争への対応が大きな問題になったことは言うまでもないでしょう。総額135億ドルの資金援助を実施したがクウェート

  • 時代と共に変わってきた集団的自衛権の憲法解釈(dragoner) - エキスパート - Yahoo!ニュース

    これまで憲法解釈上認められてこなかった集団的自衛権の行使が、解釈の変更により認められるようになった事は、各種報道でご存知の方が大半と思います。 この解釈変更について報道各社は様々に報じていますが、「歴史的な転換」、「憲法の柱」等、解釈変更の重大性、歴史性を強調する論調が目立ちます。特に目立つのは、憲法9条では個別的自衛権のみが認められており、これが憲法の平和主義の根だ、とする論調です。 安倍内閣は1日夕の臨時閣議で、他国への攻撃に自衛隊が反撃する集団的自衛権の行使を認めるために、憲法解釈を変える閣議決定をした。歴代内閣は長年、憲法9条の解釈で集団的自衛権の行使を禁じてきた。安倍晋三首相は、その積み重ねを崩し、憲法の柱である平和主義を根から覆す解釈改憲を行った。 出典:政府、集団的自衛権行使へ閣議決定 憲法解釈を変更(asahi.com) 戦争放棄をうたった憲法9条と自衛権の関係をめぐる

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