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ブックマーク / p-shirokuma.hatenadiary.com (18)

  • 私たちは、自己家畜化をこえて"社畜"になる - シロクマの屑籠

    p-shirokuma.hatenadiary.com 続き。 いつの世にも苦しみや悩みはあるし、その社会・その時代に最適な人もそうでない人もいるでしょう。アフリカの狩猟採集社会に最適な人と、幕末の日の農村に最適な人と、2024年の東京に最適な人はそれぞれ違っています。 ただ、精神医療の受診者の右肩上がりな増加が現代特有の生きづらさをなにかしら映し出しているとみるのは、それほど見当違いではないのではないでしょうか。 近代以前の社会にも、それぞれの時代の生きづらさがあり、適応するための課題があり、落伍者がいました。と同時に、その時代ならではの生きやすさがあり、その時代だからこそ活躍できた人もいたでしょう。逆に、いつの時代でも落伍しやすく、不幸になりやすい人もいたかもしれません。 対して、今日の先進国では医療や福祉が行き届き、人権思想も浸透しているため、近代以前の生きづらさ、特に生存の難しさ

    私たちは、自己家畜化をこえて"社畜"になる - シロクマの屑籠
  • 「いにしえの00年代のインターネットへの憧れ」はわかる気がする - シロクマの屑籠

    今の10代の人の間で、「ゼロ年代のいにしえのインターネットへの憧れ」がそこそこ共有されているっぽいのに最近気づいてる— highland (@highland_sh) 2023年12月18日 highlandさんの上掲投稿を見かけて、その少し前に読んだ00年代のブロガーの文章を連想せずにはいられなかった。 amamako.hateblo.jp gothedistance.hatenadiary.jp 未経験な世代の憧れを牽引し、その時代を経験した世代も懐古的に当時を語る、その00年代のインターネットとはどういうものだったのか? 私も思い出したくなったので少しだけ書く。 「当時のインターネットは良いことづくめじゃなかった」という一面 この問題について、同じくhighlandさんは絶対に無視できない一面にも触れている。 おもしろい個人サイトとか、フラッシュ動画とか、2ちゃんの面白コピペとか見て

    「いにしえの00年代のインターネットへの憧れ」はわかる気がする - シロクマの屑籠
    chanbara
    chanbara 2023/12/21
    覚えていることは今からでも書き残さないと…
  • ブログを18年書き続けて思うこと (後編・社会のこと) - シロクマの屑籠

    こちらの続き、後編になります。 前編ではブログを18年書き続けてきた自分自身について書いた。ここからはブログをとりまく18年ぶんの社会とか環境とかについて。 この『シロクマの屑籠』が開闢した2005年はブログブームな時期でアーリーアダプターからアーリーマジョリティにブログの書き手が広がっていく、そんな頃合いだった。ウェブサイトよりも書く敷居が低い、誰でも情報発信できるメディアとしてのブログ。それは確かに便利で、ウェブサイトからブログに拠地を移したばかりの私は息を吸うほど簡単にありとあらゆることをブログに書き殴りまくっていた。アメブロやFC2ブログやライブドアブログに書き殴っていた人たちも多かれ少なかれそうだっただろう。 けれども「誰でも情報発信できるメディアとしてのブログ」の寿命は短かった。SNSが生まれ、インスタグラムが生まれ、tiktokが生まれた。ブログ以上に簡単にオンラインにアッ

    ブログを18年書き続けて思うこと (後編・社会のこと) - シロクマの屑籠
  • ブログを18年書き続けて思うこと (前編・自分のこと) - シロクマの屑籠

    2023年も残り一か月になろうとしている。 今年、私はとにかく働いて、創作して、2024年を迎えるための諸準備に追われて、気が付けばブログ18周年だった10月も通り過ぎてしまった。赤ん坊が高校を卒業するぐらいの年月にわたってブログを書き続けるぐらいにはブログが好きなんだから、なにか自分の記憶に残る文章をまとめたいと前々から思っていた。が、中年の多忙と疲弊はそれすら許さないのですね。 この、はてなブログ(旧はてなダイアリー)のブログである『シロクマの屑籠』は、私を当初予測よりずっと遠いところにいざなってくれた。20代の終わりにブログを書き始めた時、私はブログが自分の人生をこんなに変えてしまうとは想像していなかった。しばらくして「ブログだけじゃ足りない、も書いてみたい」と思うようになってからも、じゃあ、ブログもも書くようになったら何が起こるのか・逆に何が起こらないのかを想像できていなかった

    ブログを18年書き続けて思うこと (前編・自分のこと) - シロクマの屑籠
  • ずっと横になってたい。しんどい。 - シロクマの屑籠

    ここしばらく、帰宅してからは布団のうえでゴロゴロしてほとんど過ごしていた。世間的にはそう見えないかもしれないが、私の主観ではゴロゴロしていた。活動性が恐ろしく低い一週間だったと思う。 やる気がないから、大部の原稿を書く力が残っていない。慣れない創作に取り組んでみる意欲もないし、そうしたものを支えるひらめきも浮かんでこない。新しいアニメを観よう/新しくゲームを始めようという気にもなれず、そもそもディスプレイを長く眺めているのがいやになってしまう。いろいろわけあって上野千鶴子の全盛期の著作物を調べたいのだけど、そんな重たい読書の気も進まず、既読書の写経だけやっている。 anond.hatelabo.jp これを読んだ時も、写経について書きたかったんだけど、おっくうになってやめてしまった。昔ならそんなことは決してなかったけれども。今、ここでついでに書くと、写経は何も書く気が起きない時にやるのもア

    ずっと横になってたい。しんどい。 - シロクマの屑籠
  • 40代になってからも限界はみえない。それでもできることは減っている。 - シロクマの屑籠

    2023年度のGWも終わって、何というでないけれどもくたびれている。このままギアを落とさず5月をやっていくのかーと思うと気分が晴れない。五月病など、あってはならないことだ。 仕事と原稿と家庭に忙殺される日々を振り返って、思う。ああ、すごくできることが増えたけれども、すごくできることが減ったなぁ、と。以下に書くことがすべての中年に当てはまるとは、私も思っちゃいない。けれども私のようなパターンにはまる中年もいるはずだし、そういう人には刺さるかなと思って、四十代後半になった一人の人間の成長と限界について書き置きしておく。 「中年の成長の限界」の予想と現実 私は昔から成長の限界について考えるくせがあって、もう20代の頃から自分の限界はどこなのか、もし限界が来るとしたらどう身を処すべきか意識してきた。不安だったのだろう。というか今でもまあまあ不安だ。 そうして20~30代の頃に想像していた「中年の限

    40代になってからも限界はみえない。それでもできることは減っている。 - シロクマの屑籠
  • 時代は「自分のアタマで考えるな」だと思う - シロクマの屑籠

    今の世の中、自分のアタマで考えないほうが良いターンになっていると思いませんか。 犬も歩けばフェイクに当たる これはアウト。 物理的にありえない水の動き、現実的ではない家の配置、画質と画像サイズ。AIが作成した写真です。 熊地震の際にライオンが逃げたとフェイクニュースを流した人と同様で、災害時に不安を煽るデマを流している。通報しました。 なお、ライオンの件投稿した男性は後に逮捕されています https://t.co/WRRKb1xrWy— なかむらすばる🌻紅楼夢【き03-b】 (@subaru_chen) 2022年9月26日 先日、静岡県の水害のフェイク画像がツイッター上に流された。ある者はそれを物と思って拡散し、別の者はフェイクだと疑って拡散を思いとどまったり、疑問の声をあげたりした。自分のタイムラインではこれに引っかかる人はいなかったように見えたけれど、皆が皆、引っかからずに済ん

    時代は「自分のアタマで考えるな」だと思う - シロクマの屑籠
    chanbara
    chanbara 2022/09/27
    NHKはNHKで色々酷いからなあ…/ マスコミ情報ネット情報関係なく、ひっかかって騙されて学んでいくしかないのでは。騙されないように気を付けよう、って精神は手放さないほうがいい。
  • 残り時間を気にしながらいつも走っている - シロクマの屑籠

    president.jp 4月に入ってからいろいろ忙しいため、しばらく読むのを後回しにしていたけれども、読んで得心するものがあった。そうか、私はこれを読むのを怖がっていたわけだ。 リンク先の文章は『裸の大地 第一部 狩りと漂白』という書籍からの抜き出しであるという。そこに書かれている、冒険家の筆者が43歳という年齢を迎えて思うこと・実行することは私には身近なことと感じられ、他人事で済まされるものではなかった。 四十代になって見えてくるいくつかの問題。 ひとつめ、厄年の問題。 古来、日では42歳は厄年と言われ、忌み嫌われてきた。実際には、女性の厄年としての33歳、子どもの厄年としての13歳もあり、それら厄年みっつの合計数である88が、四国遍路の霊場の数だったりする。 「四十二歳は日人にとって不吉な年なんだろ。ナオミだって死んだ。カナダで氷に落ちて死んだのもいただろ。日人はみんな四十二歳

    残り時間を気にしながらいつも走っている - シロクマの屑籠
  • 自主性の乏しさが罪になってしまう社会 - シロクマの屑籠

    blog.tinect.jp リンク先を読み、自主性が乏しいけれども仕事が優れている人っているよね、と思った。 出しゃばらず、言われた仕事はきっちりこなし、上司やパートナーの采配次第では抜群の仕事をやってのける人材が、自主性を求められる状況に直面し、困惑して、メンタルヘルスを損ねて来院する……というパターンは精神科では珍しくないものだった。 今では死語になりかかっている感があるけれども、「メランコリ―親和型うつ病」などと呼ばれていた類型の患者さんのなかには、そういうタイプが少なくなかったように思う。フリーハンドを与えられるまではものすごく重用されて、人も報われた感触を得ていたけれども、フリーハンドを与えられた瞬間にマゴマゴしてしまい働けなくなってしまうタイプ。そういう患者さんは2000年頃に比べて減ってしまった。ひょっとして、自主性が乏しいけれどもしっかり働く働き手は淘汰されてしまったの

    自主性の乏しさが罪になってしまう社会 - シロクマの屑籠
    chanbara
    chanbara 2018/01/05
    “自由や自主性が現代人の宿命として万人に背負わされ、それが苦手であることがボトルネックとなって活躍の場を奪われてしまったり、搾取されても仕方がないとみなされてしまったりするのは、褒められたものではない
  • 脳が否定をストレスと感じる、ならば発信者はどうすべきなのか - シロクマの屑籠

    blog.tinect.jp 上記記事を読みました。大筋としてはそのとおりだと思いましたが、おっしゃるところの「批判過敏症候群」について、所感を書きたくなったので書きます。 少数の批判でも刺さることがあるのは事実 しんざきさんが指摘されたように、たくさんの賛意を集めているにも関わらず、ごく少数の批判がやけに気になる・ストレスを感じる場面はある、と思います。 たとえばブログに記事を書いて、PVが40000ぐらい、はてなブックマークのコメントが300個、twitterでの言及が300個ぐらいついたとします。コメントの内訳は、賛成や肯定に近いコメントが6割、中立的なコメントが2割、批判や誹謗中傷をあわせた、否定的なコメントが1割、文章が読めていないコメントが1割、ぐらいとしましょうか。 多数決の理屈で考えるなら、これは、大成功なブログ記事です。 しかし、このような場合ですら、私は自分がストレスを

    脳が否定をストレスと感じる、ならば発信者はどうすべきなのか - シロクマの屑籠
  • 躁うつ病(双極性障害)、難しいよね - シロクマの屑籠

    www.tensyoku-hacker.com 転職とメンタルヘルスといえば、まずは「うつ病」を連想するかもしれませんが、案外「躁うつ病(双極性障害)」も混じっています。リンク先は、転職にともなう躁うつ病の傾向と対策について簡単に述べたものです。 最近は躁うつ病――というより双極性障害――の診断幅が広がったため、躁うつ病のカテゴリに分類される患者さんは増えました。しかし、精神医学の教科書に“典型例”として例示されているような、はっきりとした躁の症状を呈する人はそれほどは増加していません。そしてそのような“典型例”に近い人達は、発病前は優秀な人物とみなされていることが多いように思われます*1。 そういう病気ゆえに、躁うつ病の患者さんの治療は難渋をきわめます。 躁状態の患者さんは疲れることを知りません。頭の回転は速いけれども、思いつきでどんどん喋り、話題がコロコロ変わっていくので、患者さんに

    躁うつ病(双極性障害)、難しいよね - シロクマの屑籠
  • 私が不登校から精神科医になるまで - シロクマの屑籠

    今でこそ私は、精神科医という、他人の社会適応やメンタルヘルスを気にする仕事に就いているが、かつては自分自身の社会適応やメンタルヘルスにこそ問題があり、学校生活から落伍していた。いや、当は今でも自分自身の社会適応に問題はあるだろうし、だからこそ人間の社会適応を学び、実践することに拘っているのだろう。 1.私はもともと古い地域社会の出身で、そのコミュニティのなかでは概ね上手くやっていた。私は我の強い、そのくせコミュニケーションの機敏に疎い子どもだったと思う。しかし地域の年長者達はそんな私の取り扱い方をよく心得ていて、私のほうも彼らを慕っていたので、コミュニケーションに困ったことはあまり無かったと思う。私は小学校に行くのを楽しみにしているような子どもだった。 しかし幸せは長く続かなかった。中学校に入り、地域社会の外側の生徒にまみえるようになると、私は年長者の保護を失った。“よく知らない同級生と

    私が不登校から精神科医になるまで - シロクマの屑籠
  • 「おひとりさま」というトレンドの終わり - シロクマの屑籠

    夫婦で年収600万円をめざす! 二人で時代を生き抜くお金管理術 作者: 花輪陽子出版社/メーカー: ディスカヴァー・トゥエンティワン発売日: 2010/06/16メディア: 単行(ソフトカバー)購入: 10人 クリック: 394回この商品を含むブログ (23件) を見る 上記のを読んでみて、ああ、「おひとりさま」の時代はもう終わるんだなと改めて感じた。少なくともトレンドではあり得ないんだろうな、と。 そもそも、人生を独りでやっていこうというスタイルが無理すぎる。たぶん、ファイナルファンタジー11のようなネットゲームをソロプレイでやるより厳しかろう。「おひとりさま」で生きていくということ=“家事も金銭も情緒もスタンドアロンにやっていく”って事なのだから。色々しんどかったり非効率的になったりするのは避けられない。 ごく最近まで、ホモ・サピエンスは独りで生きるのが著しく困難だった。狩猟採集社

    「おひとりさま」というトレンドの終わり - シロクマの屑籠
    chanbara
    chanbara 2011/01/05
    『「おひとりさま」の時代が長く続き』というのは30年くらいだろうか。個人として「長く」なのか社会として「長く」なのか / 身体・適応力の衰え、精神の変化、色々不安や思うところはある。
  • “あんた、ママのお人形で終わるぜ?” - シロクマの屑籠

    “あんた、ママのお人形で終わるぜ?” インターネット上でみかけた、なんとも痛烈なフレーズである。 20代〜30代の男性で、このフレーズを他人事と笑って済ませられる人がどれぐらいいるだろうか。 “ママにとって理想の良い子”として生活せざるを得なかった男性諸氏。 “ママの言うとおり勉強し、塾に通って大学に入った”男性諸氏。 “いつもママの顔色を窺いながら幼年時代を過ごしてきた”男性諸氏。 俗に、“三つ子の魂、百まで”というけれど、上に挙げたような処世術に終始してきたような人は、近年の世代には決して少なくない。共感よりもエゴで包み込むような母親・安定した情緒ではなく予測困難な不安定さを提供する母親のもと、“ママのお人形”にならざるを得なかった・ならずには生き延びられなかった人は、“ママのお人形”だった頃の痕跡を、人格や処世術に色濃く残しているのが常である。 こういった“ママのお人形”問題は今に始

    “あんた、ママのお人形で終わるぜ?” - シロクマの屑籠
    chanbara
    chanbara 2009/06/22
    「自発性の芽をさんざん摘み取りまくってレールの上を走らせてきた母親が、今度は掌を返したかのようにレールの無い世界で」 / 親が責任とれるならお人形でもいいかもねと思うけど、それができる親は滅多にいないわな
  • 自信をアウトソーシング出来た団塊世代と、それが出来ない氷河期世代 - シロクマの屑籠

    年寄りが語る戦後日 - raurublock on Hatena 以前何度か、仕事を引退したばかりの団塊世代の男性に「過去のあなたの経験を教えてください」と頼んでみたことがある。大抵の場合、こうした申し出に対し、彼らは苦労話を交えながら“武勇伝”や“成功体験”を語ってくれる。ドラマチックで情熱的な、臨場感溢れる昔話を語る時の彼らの表情は、殆どの場合、誇りに満ちている。個人の経験談を語る時だけではなく、“昭和”“高度成長”という時代を回想する時も、やはり自信が溢れている。 ところが、ついさっきまで自信に満ち溢れていた男性が、一転、自信のない姿をみせ驚くこともある。たとえば海外旅行の際、日人と一緒にいる時には自信に溢れた態度をとり、奥さんや添乗員に対しては居丈高ですらある男性が、自由時間になったとたんに萎縮し、奥さんに頼ってしまうような例などである。当に自信が内側に蓄積している男性なら、

    自信をアウトソーシング出来た団塊世代と、それが出来ない氷河期世代 - シロクマの屑籠
    chanbara
    chanbara 2008/06/30
  • “空気”に依存してませんか? - シロクマの屑籠

    あなたは“空気”に依存してませんか? もちろんここで言う“空気”は、「空気読め」「KY」などと言われる、アレである。複数の人間が集まった時に自然と作り出され、あたかも場にいる人達の総意のように振る舞い、逆らうことに一定の抵抗感を覚えるような、あの雰囲気のことだ。 「逆らい難い空気だった。」 「空気がそうだったんだから、従うしかなかった。」 自分にとって望ましくない選択を不承不承選ぶ時や、何かを我慢せざるを得ない時には、あなたは「空気」を悪し様に呪う。自分は悪くないが空気を読むしかなかった、と。しかし、誰かに望ましくない選択を押し付けるときや、何かを禁止する時には、こうも思うのだ。 「お前、空気読めよ。」 「あいつ、空気読めないやつだな。」 しかし、空気を呪う場合であれ、空気を押し付けるのであれ、空気ってのは便利だ。何でもかんでも空気のせいに出来るからだ。悪いのは常に空気で、責任があるのも常

    “空気”に依存してませんか? - シロクマの屑籠
  • fromdusktildawnさんが何故か触れなかった空白を想像して楽しむ - シロクマの屑籠

    石器時代から1万年ぶりに、この惑星上の富が人々に平等に行き渡る時代が来る - 分裂勘違い君劇場 貯金が貨幣価値の変動で消滅しないように、ポートフォリオを組んで各国の株や不動産や貨幣に分散させ、防衛的に資産運用すること。中国人やインド人に負けないくらいには、スキルアップし続けること。 少なくとも、これらを全てしっかりやれば、現在すでに、ある程度の稼ぎのある日人は、逃げ切れるのではないか。 人生は、それほど長くない。死ぬまでの期間、財政的に持ちこたえれば、それで十分なのだから。 年末、fromdusktildawnさんのネタマジ記事が飛ばしている。私も面白おかしく楽しませて頂いていて大変感謝だ。正月番組などよりよほど退屈しない。ネタですネタですネタネタネタという雰囲気と、わざと混入される幾つかの釣りポイントのお陰で、fromduskkildawnさんの記事に含まれるえげつなく惨たらしい内容も

    fromdusktildawnさんが何故か触れなかった空白を想像して楽しむ - シロクマの屑籠
  • シロクマの屑籠(汎適所属) - 「ゲーム脳」と類似の構造式の抗不安サプリメント達

    3/6に世田谷区民会館行われたという、森昭雄博士による「ゲーム脳」講演。これにまつわるエピソードはとても面白かった。特に、聴衆の熱狂的反応が非常に気になったので、それを色々と考えてみた。それが以下のテキストだが、 •sˆÀ‚⊋“¡‚ð‰ð�Á‚·‚éƒTƒvƒŠƒ�ƒ“ƒg‚Æ‚µ‚Ä‚Ì�A�gƒQ�[ƒ€”]�h‚Ì“K‰ž“IˆÓ‹`(”Ä“K�Š‘®) 書き終わってから、改めてはてなブックマークをチェックして回ってみると、森博士の詐欺師っぷり・似非科学者っぷり、信者達の異常性と「ゲーム脳脳」による悪影響を懸念するテキストが多いようである。それらは当然あって然るべきだし、森博士の害悪は計り知れないので、どんどん声をあげていただきたいと思う。 ところで、上のリンク先テキストにも紹介した通り、「ゲーム脳信仰」は精神疾患に伴うabnormalな症状ではない。防衛機制は、心的ホメオスタシ

    シロクマの屑籠(汎適所属) - 「ゲーム脳」と類似の構造式の抗不安サプリメント達
    chanbara
    chanbara 2006/03/10
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