浴室にて、おなぐっずが鰐を犯すという想像。 これを実存的に通訳するならば、おなぐっず自身が誰も見ていないところでひそかに消失してしまうという想像的生は、本質的なおなぐっずの痴態が生み出したものであることがわかった。これをそのまま言葉にしたのでは、その本質的な痴態はそのまま言葉に受け継がれてしまう。従って、言葉はそのひとつひとつに於いても、又全体を通しても私の痴態の積極的な誘い以外のものにはなり得ないのだ。それは、おなぐっずが目指しているおなぐっず自身を言葉にしてしまうということとは反対に、言葉の方がおなぐっず自身になってしまうということなのである。 その上、おなぐっずの想像的生は殆ど受け身である。従って言葉も又受け身のものとなって、他人に挑戦する、或いは他人の方へ伸びて行くという力がなくなってしまう。読む人は読むだろうが、かなり積極的にその言葉にかかわろうという姿勢を持っていない限り、どん