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ブックマーク / artscape.jp (14)

  • それでも美術館から遠くにいる人たち:キュレーターズノート|美術館・アート情報 artscape

    ICOM(国際博物館会議)の博物館の定義★1にも「アクセシブル」や「インクルーシブ」という言葉が含まれ、多様性への認識は業界のなかでもますます高まっているように感じられる。しかし、その「多様性」にどこまでの人たちが含まれているかは、その言葉を使う人、受け取る人の想像力にしばしば委ねられる。それによって、これまで周縁に置かれてきた人たちのなかでも、その多様性のなかに含まれやすい人と、そうでない人が分かれるという現実がある。アクセシビリティは情報保障と混同されることが多いが、情報保障はその一部に過ぎない。稿が、アクセシビリティが進むなかでも、現状の施策ではカバーされておらず、未だに美術館から遠くにいる人たちについて考えるきっかけになればと思う。 現在東京都現代美術館で開催中の「あ、共感とかじゃなくて。」展に出品されている渡辺篤(アイムヒア プロジェクト)《ここに居ない人の灯り(「同じ月を見た

    それでも美術館から遠くにいる人たち:キュレーターズノート|美術館・アート情報 artscape
  • 映画の聖地「国立映画アーカイブ」誕生──文化と経済を循環させる保存の力:デジタルアーカイブスタディ|美術館・アート情報 artscape

    今春、2018年4月1日、国立美術館の映画専門機関として「国立映画アーカイブ」(英語名称:National Film Archive of Japan[略称 NFAJ])が東京・京橋に誕生した。2年後に迫った東京オリンピック・パラリンピックを前に、その文化プログラムが全国各地で行なわれているほか、文化庁が東京・霞が関から京都市へ、2021年度中の格移転に象徴されるように、日文化政策は歴史的転換期を迎えている。「国立映画アーカイブ」は、東京国立近代美術館フィルムセンターを改組し、独立行政法人★1国立美術館の6館目の機関となる。わが国初の映画文化振興のナショナルセンターとして機能を強化させ、国立の施設では初めての「アーカイブ」という名をつけた映画アーカイブだ。1895年にフランスで生まれ、娯楽性と芸術性が共存する映画と、デジタルアーカイブはどのように連関していくのだろうか。初代館長の岡島

    映画の聖地「国立映画アーカイブ」誕生──文化と経済を循環させる保存の力:デジタルアーカイブスタディ|美術館・アート情報 artscape
  • ビル地下に出現した「原っぱ」──会田誠展「GROUND NO PLAN」:フォーカス|美術館・アート情報 artscape

    今年2月10日から2週間にわたって、東京・青山通りの特設会場で会田誠展「GROUND NO PLAN」が開催された。現代美術の分野のみならず、建築や都市論に関わる専門家の間でも大きな論議を呼び、最終日には入場のため、長蛇の列ができたという。この展覧会は大林財団が始めた新しい助成プログラム「都市のヴィジョン──Obayashi Foundation Research Program」で選ばれて実現したもの。推薦選考委員の5氏(住友文彦、飯田志保子、野村しのぶ、保坂健二朗、藪前知子)の全員一致で決定したという。 長年、東京を拠点にし、この都市の激しい変遷ぶりを目撃してきた村田真氏にこの展覧会について寄稿していただいた。 六木に暮らしてもう20年以上になるが、この間に街は劇的に変わった。テレビ朝日とその周辺の住宅地は大規模開発されて六木ヒルズに生まれ変わり、防衛庁の庁舎があった檜町地区は公園

    ビル地下に出現した「原っぱ」──会田誠展「GROUND NO PLAN」:フォーカス|美術館・アート情報 artscape
  • ようこそ、藤森王国へ──「藤森照信展 自然を生かした建築と路上観察」:フォーカス|美術館・アート情報 artscape

    ようこそ、藤森王国へ ──「藤森照信展 自然を生かした建築と路上観察」 岡啓輔(建築家)/井関悠(水戸芸術館現代美術センター学芸員) 2017年04月15日号 藤森照信は建築史家として日近代建築を研究するかたわら、80年代に赤瀬川原平らと路上観察学会★1、縄文建築団★2を結成し、自由な発想とユーモア、現場の行動力とで「建築」の間口を世にひろく開いた。建築家としてデビューしたのは44歳のとき。それから今日まで、奇想天外な風貌、なおかつ周囲の環境との調和、そして自然素材を斬新に取り入れる手法で、比類なき建築家として40余りの作品を生み出してきた。現在、水戸芸術館で卒業設計から近作《ラ コリーナ近江八幡》、路上観察学会の活動を網羅する展覧会が開催中だ。セルフビルドで鉄筋コンクリートの自邸《蟻鱒鳶ル》★3を10年以上かけてつくっている岡啓輔さんといっしょにこの展覧会に乗り込んだ。担当学芸員の井関

    ようこそ、藤森王国へ──「藤森照信展 自然を生かした建築と路上観察」:フォーカス|美術館・アート情報 artscape
  • 岡﨑乾二郎の認識 抽象の力―現実(concrete)展開する、抽象芸術の系譜:キュレーターズノート|美術館・アート情報 artscape

    展は、豊田市美術館のコレクションに、他館や個人所蔵家の作品もお借りして、19世紀末から第二次大戦後までの時期を中心に、美術だけでなく、建築、音楽、文学、ダンスにまで及んで相互に連関しあう「抽象の力」を、新たに汲み取ろうとするものである。キュレーションは、作家である岡﨑乾二郎氏。勤務館の展示は、どうしても客観性に欠けたり、自画自賛になったりする恐れがあるので、活動報告としてはよくても、レビューとしては取り上げにくい。けれど展は、岡﨑氏による企画(担当は千葉真智子学芸員)なので、ここでレビューとして扱わせてもらうことにする。なにより、美術の規範を形づくり、歴史の保存庫となるはずの美術館というものを、いま改めて考え直すためにも、この展覧会はとても重要なのである。 図1 会場風景[撮影:青木謙治] 1995年に開館した当館のコレクションは、良い意味でも悪い意味でも、通史的にはなりえていない。収

  • 使って知る水戸芸術館の建築:キュレーターズノート|美術館・アート情報 artscape

    金沢21世紀美術館で開催した「3.11以後の建築」展(ゲスト・キュレーター:五十嵐太郎、山崎亮)が昨年11月より水戸芸術館に巡回した。水戸芸術館は、これまで何度も展覧会を見に訪れてきた美術館だが、私も担当者として初めて展示する側として使ったことで、多くの発見があった。金沢21世紀美術館は、設計にあたり、水戸芸術館から大きな影響を受けている。そのことをあらためて確認することができた。 水戸芸術館は、日の美術館でよく採用されてきた可動壁を使っていない。可動壁とは、天井のレールからつり下げた壁を移動させることによって、空間の仕切り方を変えることのできるシステムである。安いコストで空間を変えられる反面、がっしりとした天井のレールの構造が目立ち、壁も薄くなってしまう。それに対して、水戸芸術館は、あらかじめ多様なサイズの展示室を用意することによってさまざまな展示に対応できるようにしている。水戸芸術館

  • (独)国立美術館理事長 馬渕明子氏に聞く:「法人・国立美術館の野望」──全国の美術館をリードする:デジタルアーカイブスタディ|美術館・アート情報 artscape

    (独)国立美術館理事長 馬渕明子氏に聞く: 「法人・国立美術館の野望」──全国の美術館をリードする 影山幸一 2015年10月15日号 日国内にある5つの国立美術館★1の運営・管理を効果的、効率的に行なうために設立された美術振興の中心的拠点組織をご存知だろうか。2001年に発足した独立行政法人国立美術館★2である。その国立5館をまとめる理事長として2013年8月に就任した馬渕明子氏は、2015年6月6日、国立西洋美術館で開催されたアート・ドキュメンテーション学会で「法人・国立美術館の野望」と題した基調講演を行なった。国立美術館の運営管理と情報化の指針を示す内容であり、全国の美術館にも関連する「日国内美術品デジタルアーカイブ」などに言及するなど、「デジタルアーカイブ」の具体的なビジョンを語った初めての出来事であった。美術情報の記録管理に対する基準を示し、全国の美術館を牽引していこうとする

  • [シリーズ6:“音”の現在形]聴くこと、見ること、知覚すること──音=楽=アートの現在形:トークシリーズ:「Artwords」で読み解く現在形|美術館・アート情報 artscape

    1. 2000年前後の状況──「音」の展示の変化、耳の変化 金子──今回は長年、音に関わる展示に携わってこられた畠中さんに、これまでの経緯を振りかえってお話いただく良い機会と考えています。ICC★1は2000年以降の日のサウンド・アートを主導する施設でした。話のスタートはICCで行われた「サウンド・アート──音というメディア」展(2000)★2にしましょう。ICCのアーカイブを見ると、定期的に音にまつわる展示が開催されていますが、その中でメルクマールになったのだと考えています。その経緯からお伺いできますか。 畠中──1998年に「ポスト・サンプリング音楽論」というタイトルのシンポジウムとミニ・コンサートを企画しました。企画協力には佐々木敦★3さん、クリストフ・シャルル★4さんや半野喜弘★5さん、久保田晃弘★6さんなどにも参加していただきました。そのきっかけは、当時オヴァル★7とクリストフ

  • 「美少女の美術史」/「成田亨 美術/特撮/怪獣」:キュレーターズノート|美術館・アート情報 artscape

    この号が出るころには、「成田亨 美術/特撮/怪獣」福岡展は終了して、4月からの青森県立美術館での開催を待つことになる。この展覧会については共同企画者の1人である工藤健志氏とで交互に(ちょっとしつこく)書いてきた。artscape読者は、たんなるサブカルチャー関係の展覧会のひとつだと思われたか。あるいは、この比類なき芸術家への知見を新たにしたか? さて成田展については、文後半で青森へのつなぎとするとして、この号が出るころには終幕となる「美少女の美術史」展のことに触れたい。この展覧会、まず「美少女」というタームがあまり「専門用語」的でなく(美人画、はあっても美少女画、はない?っていうか、なんか急にオタク的なにおいがし始めますね……)、さらに青幻舎から刊行された図録表紙および、石見美術館発行の展覧会チラシメのインビジュアルが、カイカイキキのMr.(ミスター)の作品ということもあって、かなりサブ

  • イメージの力──国立民族学博物館コレクションにさぐる:artscapeレビュー|美術館・アート情報 artscape

    会期:2014/02/19~2014/06/09 国立新美術館[東京都] 国立民族学博物館が所蔵する34万点の資料から選び出した約600点を見せる展覧会。博物館における「器物」や美術館における「作品」という制度的な分類を突き抜けた、人類による造形の力をまざまざと感じることができる。 会場に一歩踏み入れた瞬間、そこはまったくの異世界。壁一面に並べられた世界各国の仮面はすさまじい妖力を放っているし、垂直に高くそびえ立つ葬送のための柱「ビス」を見上げていると魂が吸い上げられるかのように錯覚する。いかにも漫画的なトコベイ人形やフーダ人形に笑い、観音開きの箱の内側に人形を凝縮させたリマの箱型祭壇におののく。文字どおり一つひとつの造形に「釘づけ」になるほど、それぞれの求心力が並外れているのだ。 けれども、その求心力とは、おそらく現代人の視線から見た異形に由来するだけではない。それらの造形の大半が宗教的

    イメージの力──国立民族学博物館コレクションにさぐる:artscapeレビュー|美術館・アート情報 artscape
  • 学芸員レポート 05年06月

    特定のテーマによって作品を集めた企画展は、作品鑑賞に特定の見方を強いることも多いのだが、学芸員がひとつの傾向を指し示すことで批評的なメッセージを発することもある。こういう仕事をしている以上はやはり見ておかないと、ということで、会期終了も間際に「サイト・グラフィックス――風景写真の変貌」展を見に行った。ちなみに、この展覧会については、すでにブログや雑誌記事などで、会場になっている川崎市民ミュージアムの運営に対しての厳しい評価や、同時開催されていた「CLAMP」展のようなマンガ制作集団の展覧会が多数の観客を集めていることを一緒に指摘するレヴューが多くでている。もちろん、同館の広報や立地条件などには問題点も多いが、美術館が果たすべき役割のうち「保存」という観点から考えれば、通常は消費されていくような複製芸術を収集する同館の設立意義は大きいし、一見関係ないもの(シリアスな企画展と大衆的な人気を持つ

  • 絵画的保守主義と結合の美学──「会田誠展:天才でごめんなさい」レビュー:フォーカス|美術館・アート情報 artscape

    おおよそ初期作品とは、その作家がのちに展開することになる方法論をあらかじめ開示するものである。会田誠の場合、実質的なデビュー作となった《巨大フジ隊員VSキングギドラ》(1993)がそれに相当するだろう。では、会田誠における「方法」とはなにか。 1991年に制作された《あぜ道》という作品がある。あぜ道と女子高生の頭部の髪の分け目が一につながり、画面を真ん中から分断する。あぜ道のモチーフになっているのは、東山魁夷の《道》(1950)であり、女子高生はのちに会田が執拗に描くことになる対象である。ここでデモンストレートされているのは、来出会うはずのない事象同士の、絵画的な結合の仕方だ。髪の分け目はあぜ道となり、近代日画と女子高生というかけ離れた対象を「結合」する。会田誠の絵画に一貫するのは、このような、けっして出会うはずのない複数の事象を、絵画的な空間表現を通じて接続するという主題系である。

  • 学芸員レポート 04年02月

    現代の写真表現に顕著に現れてきているひとつの重要な傾向に着目した写真展「サイト・グラフィックス」を計画している。日の現代写真の歴史において、柴田敏雄や畠山直哉など風景の概念をうちやぶる作家たちが登場したのが90年代前後。日の新たな風景写真として国際的にも注目された。その後、90年代末に、野口里佳、横澤典など、風景に対する異質なアプローチが登場し、新世紀に入ってからも進行中である。展は、その動向を取り上げ、その意味を社会的・美術的なコンテクストも含めて議論する場としたい。 「サイト・グラフィックス」という聞き慣れない言葉について説明しておこう。これは、風景における「場」の新たな側面を指し示そうという僕の造語である。ベルリンの壁崩壊以降の社会状況、そしてデジタルネットワークの進展は、現実において黙示録的な歴史性の概念を解消した。それにより、歴史性に結びついた「場所」の概念も大きく揺さぶら

    colic_ppp
    colic_ppp 2012/10/01
    場所
  • 岩渕貞太『雑木林』:artscapeレビュー|美術館・アート情報 artscape

    会期:2011/09/09~2011/09/10 アサヒ・アートスクエア[東京都] 1時間ほどのソロ作品。岩渕貞太は、中間状態を保ちながら舞台に居続けた。つねに肘や膝が曲げられ、手前にあった動作と次の動作の間に一貫して「待ち」の状態がキープされていた。なにかが起こりそうという「スリル」への期待が温存され、時が進む。動きの強弱大小の点でも中間状態は保たれた。微動でもなくダイナミックな旋回や跳躍でもなく、するするとかたちが変化しながら、ときに見る者をはっとさせるポーズや動きの流れに結晶する。ソロだからと言って一の「木」ではなく、かといって壮大な「森」へ向かうのでもなく「雑木林」を目指す岩渕の意図は、掴めた気がした。とはいえこの「雑木林」の見所がどこかがわからなかった。今月とりあげている山下残の『庭みたいなもの』もそうであるように、ダンスのタイトルに「環境」を意識させる言葉を当てるひとつの傾向

    岩渕貞太『雑木林』:artscapeレビュー|美術館・アート情報 artscape
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