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稲盛和夫氏、苦悩の末にたどり着いた「無私」の境地
セラミック部品ベンチャーを世界的な電子部品メーカーに育て上げた稲盛和夫氏。人々を魅了したのは、経... セラミック部品ベンチャーを世界的な電子部品メーカーに育て上げた稲盛和夫氏。人々を魅了したのは、経営者の枠にとどまらない、無私を貫いたその人間性にある。稲盛イズムはどう形成されたのか。日経ビジネスの記事を再構成して振り返る。 1973年7月9日号の日経ビジネスに京都セラミック(現京セラ)社長として登場した、当時41歳の稲盛和夫氏はこう語っていた。自信たっぷりのようにも見えるが、実際には、開発できなければ、生きていけないという悲壮感から生まれた「信念」だったはずだ。 1959年、スタッフを含めて28人でスタートした京セラ。いくら技術力があっても、名もないベンチャー企業に、すぐに顧客が飛びつくわけがない。「注文が出たら絶対断らない。技術的な裏付けがハッキリしていなくても、『やりましょう』と引き受けてくる。引き受ければやらざるを得ない。ダメでしたではもう相手にしてくれない。必死に技術開発をし、納品
2022/08/31 リンク