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日本人としての内省~三笠宮文書を読み直す(江川紹子) - エキスパート - Yahoo!ニュース
三笠宮崇仁さまが亡くなられた。昭和天皇の末弟で、お年は100歳。新聞各紙の評伝には、陸軍将校として支... 三笠宮崇仁さまが亡くなられた。昭和天皇の末弟で、お年は100歳。新聞各紙の評伝には、陸軍将校として支那派遣軍総司令部に勤務されていた戦時中、戦争や軍部を批判し、平和を願い続けていたことが書かれている。 いったいどのような批判をされていたのか。それを軍部はどう受け止めたのか。あるいは、戦後、ご自身の過去はどう振り返られていたのか……。これを機に、三笠宮さま自身が書かれたり語られたりした資料を読んでみた。(以下敬称は略す) 若杉参謀による講義録まずは、各紙が紹介している「支那事変に対する日本人としての内省」と題する文書。付属資料も含めて40ページあまりで、「若杉参謀」の名前で書かれている。三笠宮は「お印」が若杉であることから、このコードネームで呼ばれていた。 月刊誌「THIS IS 読売」1994年8月号掲載のインタビューで、三笠宮はこの文書は付録の資料も含めて「確かに私が書きました」と述べ、
2016/11/03 リンク