戦争って「棺桶がいくつ必要になるか」「何人犠牲が出たら支持を失うか」という事まで考えて行う「ロジックの塊」みたいなものなのに、「悲惨だ」だの「ひもじかった」みたいな感情論で立ち向かってどーすんの?と思う。防ぐのなら感情を排したロジックで対抗すべきじゃないかと思うんですけどね。
戦争って「棺桶がいくつ必要になるか」「何人犠牲が出たら支持を失うか」という事まで考えて行う「ロジックの塊」みたいなものなのに、「悲惨だ」だの「ひもじかった」みたいな感情論で立ち向かってどーすんの?と思う。防ぐのなら感情を排したロジックで対抗すべきじゃないかと思うんですけどね。
三笠宮崇仁さまが亡くなられた。昭和天皇の末弟で、お年は100歳。新聞各紙の評伝には、陸軍将校として支那派遣軍総司令部に勤務されていた戦時中、戦争や軍部を批判し、平和を願い続けていたことが書かれている。 いったいどのような批判をされていたのか。それを軍部はどう受け止めたのか。あるいは、戦後、ご自身の過去はどう振り返られていたのか……。これを機に、三笠宮さま自身が書かれたり語られたりした資料を読んでみた。(以下敬称は略す) 若杉参謀による講義録まずは、各紙が紹介している「支那事変に対する日本人としての内省」と題する文書。付属資料も含めて40ページあまりで、「若杉参謀」の名前で書かれている。三笠宮は「お印」が若杉であることから、このコードネームで呼ばれていた。 月刊誌「THIS IS 読売」1994年8月号掲載のインタビューで、三笠宮はこの文書は付録の資料も含めて「確かに私が書きました」と述べ、
新たな安全保障法制をめぐり、与党協議が進んでいる。自衛隊の海外派遣や集団的自衛権の行使などが議題に上っている。 この議論は、2014年7月に閣議決定された「国の存立を全うし、国民を守るための切れ目のない安全保障法制の整備について」に従い、5月の大型連休明けにも関連法案を国会に提出することをにらんでのものという。また、文民統制に関連して、防衛官僚(背広組)と自衛官(制服組)が対等の立場で防衛大臣を補佐できるようにする防衛省設置法改正案を、3月6日に閣議決定し、今通常国会に提出することとしている。 平時GDP比約230%の債務を抱える主要国家はない こうした安全保障法制をめぐる動きに対し、「わが国を取り巻く安全保障環境が厳しくなる中で必要な対応」との肯定的な意見もあれば、「憲法解釈を変えて専守防衛や平和主義を放棄することにつながり『戦争のできる国』になる」と否定的な意見もある。 ここでは、この
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