エントリーの編集
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
「見ることと考えることの歴史」プロローグ|棚橋弘季 Hiroki Tanahashi
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
「見ることと考えることの歴史」プロローグ|棚橋弘季 Hiroki Tanahashi
「見ることと考えることの歴史」についての本の執筆を数年前に企画し、断念した。断念はしたが、だいた... 「見ることと考えることの歴史」についての本の執筆を数年前に企画し、断念した。断念はしたが、だいたい8割くらいは書き上げていたのではないかと思う。その原稿はずっと眠ったままだった。なので、これから、すこしずつここで公開していこうと思う。 まずは、そのプロローグから。 プロローグヨーロッパの絵画の歴史的変遷を現代から遡ってみたとする。その際、13世紀から14世紀の前半あたりの時代で急に遠近法が稚拙になるのを見つけて面白く感じる。さらに時代を遡れば遠近法的構図はまったく消えてなくなる。つまり、絵画の歴史においては13世紀から14世紀の前半あたり、ちょうどルネサンス前夜にあたるゴシック期に遠近法的表現がはじまるということだ。 しかし、初期の頃の遠近法的描写は稚拙である。そのほとんどが歪んでいて違和感がある。代表的なのはイタリアのチマブーエやドゥッチョ・ディ・ブオニンセーニャらの作品。チマブーエが1