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台湾を変えた日本人シリーズ:台湾縦貫鉄道完成の最大の功労者・長谷川謹介
台湾の鉄道を利用すると、不思議な懐かしさに包まれる日本人は多い。それも当然で、日本人が台湾の鉄道... 台湾の鉄道を利用すると、不思議な懐かしさに包まれる日本人は多い。それも当然で、日本人が台湾の鉄道建設に大きく関わったからだ。日本統治下の台湾で、北の基隆から南の高雄に至る台湾縦貫鉄道の完成に心血を注いだ日本人の鉄道技術者、長谷川謹介について紹介する。 清朝時代の鉄道を大幅増設へ 「台湾鉄道の父」は誰かを巡って、台湾で昨年、小さな論争が起きた。そのとき、話題になったのは清朝の台湾初代巡撫(知事に相当)の劉銘伝か、本稿で紹介する日本人の鉄道技術者・長谷川謹介か、という点だった。劉が巡撫だった時代に台湾に初めて鉄道が造られたが、それを抜本的に改造し、大量輸送を可能とする南北縦貫鉄道を完成させたのは長谷川だった。 台湾が日本の領土となった1895年、すでに北部の基隆から中部の新竹間に99キロの軽便鉄道が敷かれていた。これは劉が建設させたものだったが、20メートルで1メートル上昇する急勾配の上、最小
2021/11/14 リンク