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生活と社会に関するgonaiのブックマーク (4)

  • 面倒な人の欲求を「察してあげる」と、増長してさらに扱いづらくなる

    先日タイムラインで、こんなツイートを見かけた。 1万に迫るいいねがついているあたり、いかに多くの人が共感したのかがわかる。 かくいうわたしも、そのひとりだ。 昔は不機嫌な人にあたると、「え?何かした?ごめんなさい!」と思ってたけど、最近は「え、その態度やと全然不満ポイントわからんから、進めますね〜」って感じになってきてしまった…わからないことを勝手に察しようとしない、先回りすることが逆にウザかったりもするからね… — りょかち (@ryokachii) 2021年7月6日 けんすうさんが指摘しているように、「まわりが察することで面倒な人が増長してさらに扱いづらくなる」というのは、結構あるあるだ。 「面倒な人とうまく付き合っていこう」とその人に合わせてしまうのは、長期的に見ると、実は『悪手』だったりする。 マネージャーに無視されるようになった理由 昔働いていた家具屋で、いままであまり関わりが

    面倒な人の欲求を「察してあげる」と、増長してさらに扱いづらくなる
    gonai
    gonai 2021/07/31
    本当にその通りだけど、みんな増長を促すのを止められない。その積み重ねが東京五輪の開会式などに現れている。
  • 現役医師が断言「緩い日本のコロナ対策はむしろ多くの命を救った」 日本のやり方こそが最適解だった

    のコロナ対策は失敗だったのか。医師の大和田潔氏は「海外では厳しい規制をかけても大きな被害が出た。日の対応はメディアに否定的に報道されているが、緩やかな規制と人々の協力で被害は小さく、最適解だったといえる」という――。 日人の気質 私たち日人は、謙遜と謙譲を美徳としてきました。つらくても努力し続け、その上で評価を待つ。自らを鍛え、成果をあげて人から評価されることを受動的に待つことを教えられて育ちます。 目的と手段が末転倒になり、最短で目的が達成するよりも努力し続ける非効率さが美徳とされることもよくあります。細かいところまで気を配り、「石橋をたたいて渡る」ことが日常茶飯事です。さらに武士道の文化もあわさり、自己研鑽けんさんの美徳と統合されています。 たとえうまくいっても「それほどでも」と謙遜し、決して「うまくいったでしょ! スゴイでしょ」なんて自慢しません。みんなで一緒に行動するこ

    現役医師が断言「緩い日本のコロナ対策はむしろ多くの命を救った」 日本のやり方こそが最適解だった
    gonai
    gonai 2021/02/07
    人口1億人超えていて、中国からの観光客が多い国の中では相当上手くいっているのは確か。対策は手洗いうがい消毒がメインなので、その習慣付けをする初等教育のおかげなんでしょう。
  • 女性「半年も自宅に戻れないとは」…札幌爆発 : 国内 : 読売新聞オンライン

    テナントに退去通知が出されたキャデラック会館(14日、札幌市豊平区で) 札幌市豊平区の不動産仲介店「アパマンショップ平岸駅前店」で起きた爆発事故は16日で、発生から半年を迎える。爆発の影響で傾斜した向かいのビルでは、アパマン側は修復を前提にビル所有者と賠償交渉を進めているが、ビル所有者はテナントに立ち退きを迫っており、営業を再開したテナントは困惑している。被害を受けた周辺のマンションなどでは修復工事が始まっているが、一部の住民たちは今も仮住まいを強いられている。(橋爪新拓) ■取り壊しか修復か 問題のビルは、事故があった平岸駅前店跡地の向かいの雑居ビル「キャデラック会館」と、同会館に隣接するビル「平岸3条マンション」の計2棟で、不動産仲介業者「ビッグ」(札幌市中央区)が所有し、居酒屋、美容室など計8店舗が入居している。 ビル関係者によると、ビッグは4月中旬、各テナントに対し、「建物各所に傾

    女性「半年も自宅に戻れないとは」…札幌爆発 : 国内 : 読売新聞オンライン
    gonai
    gonai 2019/06/18
    APAMANが金を出したくないということが伝わって来る。人災なのに、まるで天災の対応のようだ。
  • 福島で暮らすということ~小児科医として思うこと - ひまわりの種

    3・11から3ヶ月が過ぎようとしている。 もう何年も生きてきたような気持ちだ。 最初の数週間は、不安を押し殺しながら、夢中で過ごしたように思う。 水がない。 電気がない。 ガスもこない。 ガソリンもない。 料も少なくなった。 生活物資も滞ってきた。 でも、被災した方々に比べたらはるかにましだ。 わたしたちがおろおろして、ここでの生活を投げ出したらどうなる。 患者さんは、妊婦さんは、お母さんは、赤ちゃんは、どうなる。 毎日、そんな思いで過ごした。 日々、刻々と変わる放射線レベルに、不安になる親御さんがたくさんいた。 わたしたちなりに、必死に情報を集め、その時に正しいと思う情報を伝えてきた。 今もその考えは、同じだ。 4月になって、県内のほとんどの学校が再開した。 遅れて卒業式をやった学校もあった。 ・・・・・ここまでは、よかった。 4月中旬、文科省の「年間20mSv」という基準が発表されて

    福島で暮らすということ~小児科医として思うこと - ひまわりの種
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