1970年代初頭、在日韓国人であることを理由に採用を取り消されたものの、その後の裁判で勝訴し、入社に至った「日立就職差別裁判」。真っ正面から差別に立ち向かった元原告の朴鐘碩(パクチョンソク)さん=横浜市戸塚区=が昨年11月、60歳の定年退職を迎えた。6日には支援者ら約40人が朴さんを囲み、「退職を祝う会」が川崎市川崎区のコミュニティハウス「さくら」で開かれた。 つかの間の喜びは一瞬で消え、奈落の底に落とされたようだった」。朴さんは当時をそう振り返る。 日立製作所の採用試験に合格したのは18歳の時。履歴書には日本名と現住所を記入した。しかし合格後、韓国籍であることを告げると、「一般外国人は雇わない」「うそをついた」などとして、採用を取り消された。「こんなことが許されるのか」。1970年12月、横浜地裁に提訴した。 「高卒で大学に行っていない自分にとって、人生を大きく変えた、生きる原点と