村田プロがこのブログのタイトルを凝りに凝って付けている。 少々長いような気もするが、その分本文が短いので これもバランスが取れていると言うのだろうか。 サブタイトルに大切なことは、 毎回の統一感だと私は思うので、 そういう意味では統一感のある サブタイトルになっていると思う。 前にも書いたが、 私は連載作品のサブタイトルをつけるのが嫌いで 今までずっと編集者に付けてもらっていた。 多分、こういう人は多いと思う。 毎回のサブタイトルをチェックしている読者が どれくらいいるのか、という思いもある。 ただし、「リスキーエッジ」以降 「麻雀小僧」と「Let's Go なまけもの」については 私がつけている。 重視しているのは内容よりも 単行本になったとき、目次ページでの統一感だ。 「リスキーエッジ」については 漢字二文字の熟語にした。 「Let's Go なまけもの」については かなり長い、しかも
こちらではだいぶお久しぶりです。一迅社文庫のT澤です。実を言うと一迅社文庫はもうだめです。突然こんなこと言ってごめんね。でも本当です。しばらくしたら「千の魔剣と盾の乙女」が終わって、代わりに早矢塚かつやが魔剣ファンタジーとか書き始めます。それが終わりの合図です。 程なく大きめの日程崩壊が来るので気をつけて。それがやんだら、少しだけ間をおいて終わりがきます・・・という冗談を以前からときどき口走っていたのですが、気が付いたら本当にもう「千の魔剣と盾の乙女」の最終巻が間近で、早く次の新作作らないとと思い始めている昨今です。 なお、早矢塚さんの次回作は魔剣ファンタジーではなく学園ラブコメです。 そんな際どいブラックジョークを飛ばしながらご紹介するのは、魔王討伐の旅に出たロックたちの冒険もいよいよ残りわずかとなった川口士の「千の魔剣と盾の乙女14」です。 川口士さんといえば、MF文庫Jさんで書いてる
先日、Twitterを見ていたら、こんなまとめサイト記事がTLで流れてきました。 【クイズ】麻雀漫画の牌の描写で作品当てしようぜwwww http://onecall2ch.com/archives/7363897.html この記事を見て、思い出したことがいくつかあって。 * * * * * * * * 自分が編集部にいた頃、麻雀牌の描き方について、先輩編集に言われたアドバイスがありました。 「作家さんには、極力自分で麻雀牌を描いてもらうようにしろよ。麻雀牌も自分の作品のキャラクターだと思って描いてもらえ」 上記に挙げたような記事が話題になるのを見ると、改めてその時の上司のアドバイスって正しかったんだなぁ…と。 ただ、それから何年かした後に。 編集部に入ってきたばかりの後輩に、ドヤ顔で同じことをアドバイスしたら、 「は?別に本当の麻雀牌をコピーして加工すりゃいいんじゃね?」 とか言われち
本日。もう開けて昨日か。 『近代麻雀オリジナル』の最終号が発売されました。 来月号からは月刊『キスカ』という名に生まれ変わり、一般コミック誌として新たに出発することになります。 wikiを見ると、最初は1977年8月に増刊号として発売されたとあるので、それが事実ならば、37年余りの歴史に幕を閉じたことになります。 (何号かアカギ総集編になっていたこともありましたが) 浮き沈みの多い出版界全体で見ても、なかなか「長寿」だったと言えるのではないでしょうか。 自分が『近代麻雀オリジナル』の編集部に在籍していたのは、95年4月~05年末まででした。 年齢が25~36歳ということで、まさに自分の青春は「近代麻雀オリジナル」に捧げてきたんだなぁ…と思ってみたり。 10年以上やって、ほとんどロクな仕事ができなかったボンクラ編集ではありましたがw 今だからこそ、こんなエピソードを書いちゃっても…いいのかし
近代麻雀の担当編集者は 「リスキーエッジ」の連載が始まったときから 変わっていない。 本を作るために、外部に注文を出す以外のことを すべてやるのが編集者の仕事である。 仕事の種類、方向性が様々なため 色んなタイプの編集者が 色んなやり方で仕事をこなしている。 作家が必要な資料をなんでも集めてくる 几帳面なタイプ。 原作を作って、それを漫画家に描かそうとするところまで 自分のやりたいものを実現しようとするタイプ。 何もせず 「先生、それいいですね バンバン行きましょう」 と、作家をおだてることに徹底して出世する人もいる。 私の担当編集者は 東大の法学部を卒業していて、大学に入るまで クラスで10番以下の成績などとったことのない男である。 子どものころに、漫画など読んだことが無く 中学校で初めて 「雑誌に乗った漫画が単行本に再録される」 という仕組みを初めて知ったというほどである。 そんな男が
本日の『別冊漫画ゴラク』公式ブログです。 別冊漫画ゴラクの毎日をゆるゆるのブログにしました。ゆるい中に、実は強烈なメッセージがあったりなかったりです。愚痴も多いです。 ブログ画像一覧を見る 記事一覧 松前町、ウニの思い・・・ » 『天牌外伝』 2013-04-04 11:45:32NEW ! テーマ:作品 僕は麻雀が出来ない。 いや、正確には出来ないわけではないが、弱いし、あまりやりたくない。 前の会社の時、一時期『雀王』という麻雀漫画誌をやっていて、僕は麻雀を知らないからやりたくなかったのだが、当時の編集長に無理矢理覚えさせられた。その編集長は、僕らみたいな麻雀が出来ない編集部員を集めて麻雀をやり、マンションの頭金を貯めた。麻雀に罪はないが、そんなことがあったから、麻雀に良い思い出はない。まあ、その編集長は、いたたまれなくなって会社を辞め、いまは行方不明だけど。 他にも、あまりいい思い出
大崎大先生がツイッターでがんがん宣伝しておる! 偉いお! みんな、キンマ買いにいこうず! ‥‥‥ というわけで、本作の企画立案は、もはやキンマ編集部の看板、T橋氏によるもので、わたくし的には、次元大介の立場で。 原作の大崎さんのコラムは、叙情的な心象のスケッチであり、本作のお手本としてイメージされた『東大を出たけれど』(原作・須田良規/漫画・井田ヒロト)のような、巧みで強固なプロットに貫通されているわけではないので、それをそのまままとめても「画集」にはなっても、「漫画」にはならない。 プロットという「縦軸」の当てがないまま、大崎さんへの取材、麻雀教室への取材もこなしてネームにとりかかり、コラムのテキストを分解、最大限いかしつつ、五十嵐代表には色川武大の受け売りのいい話をしてもらい、うんうん唸ってなんとか第1稿をあげる。 われながらとりとめがないな‥‥‥と大いに納得しつつT橋さんに送信したと
404 NOT FOUND 指定されたページかファイルが見つかりません。 指定されたページかファイルは削除されたか、アドレスが変更された可能性があります。 MANTANWEBトップページへ戻る
「近代麻雀」でお馴染みの竹書房が運営するニコニコ動画チャンネル『バンブーちゃんねる』に関する取材報告や管理人のつぶやきなどを書き綴ります。
たまには弊社のコミックスの宣伝など。 明日、B6判コミックスで「麻雀夢限会社39ZANK」が発売されます。 (タイトルは「麻雀無敵道ザンク 千金の闘牌 」) この作品にまつわる思い出話を少々。 2001年某月某日。 本そういち先生、当時の新編集長として異動してきたWさん、私の3人でうんうん唸りながら打ち合わせをしていました。 ぶっちゃけ、僕自身はちょっぴり腐り気味。 なぜならこの打ち合わせが、「近オリに新たなエース作品を!」という新編集長の号令の下、私が担当していた当時連載中の本先生の作品を打ち切り、新連載を立ち上げる…というものだったからです。 しかし、あにはからんや。打ち合わせの前の段階で出ていたアイデアが、話していくうちに「なんか違うんじゃね…?」となり、なんとご破算ということに。 とっくに終電もなくなり、深夜に本先生宅の近くにあるファミレスにて、3人で頭を抱えていたという次第。 で
…てなわけで。 6月1日発売号の「近代麻雀」に掲載されている「バイヅケ」の対局に参戦いたしました。 ここでは、その辺の裏話を少し。 まず、この対局前の話。 私はこのまま葛西りいち先生にリスクを負わせる形だけで打ちたくなかったし、以前「かっぱがれ」などで慣れていたこともあり(?)、担当T橋にある提案をしました。 私「T橋、外ウマやろうぜ!俺が負けたらオマエに100Kやるから、勝ったら100Kくれ」 T橋「やですよ、そんなの!マンガに描けないじゃないですか」 …いや、描けないって、わしゃ散々描かれてきたんだが。 しょうがないんで、そばにいたイガリン(女性プロのブッキングなどを担当してるんで最初だけ現場に来ていた)に直談判。 私「じゃあ五十嵐さん!外ウマ受けてください!!相手の蔵さん用意したのは五十嵐さんなんだから!ね?ね?」 イガリン「わかったわかった、受けるから(でもちょっと嬉しそうw)」
いのけんさんの「近代麻雀漫画生活」で、アカギの墓碑背景に私のお墓のイラストがあるというお話がありましたんで、その関連話をば。 まあ、このお墓イラストが描かれた経緯は、福地さんの書いたブログとほぼ同様でして、現「アカギ」担当のWさんから9月上旬に打診がありました。 Wさんは、 「福本さんに縁がある人のお名前を背景のお墓に入れようと思うんだけど、お墓に名前を入れたら縁起が悪いっていう人もいるだろうから」 ということで、わざわざお断りを入れてくれたそうなんですが。 いや~、むしろありがたいお話です。 編集部からはずれてもこういったお話をしていただけるのは、むしろ光栄なことでありまして。 担当はしたことありませんが、編集部が長かったこともあり、福本先生にはいろいろお世話になりました。 94年の春にバイトとして入社してから1年くらいは、「別冊近代麻雀」編集部で、「アカギ」の写植貼りや原稿取りなども経
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