タグ

ブックマーク / shinichiroinaba.hatenablog.com (7)

  • 『1Q84』バブルをめぐって - shinichiroinaba's blog

    http://d.hatena.ne.jp/shinichiroinaba/20090613/p1 の続きなわけだが。 バカ売れしていることに別に含むところはない。しかし絶賛ばかりで少々鼻白んでいるところだったので、東浩紀の『週刊朝日』でのコメントに少しばかり溜飲が下がる。 以前U2のHow to dismantle an Atomic Bombがやけに評判がよいので買ってみて、一聴なんともいえない違和感を感じたので、加藤秀一大先生にご意見を伺ったら「あれはU2自身によるU2ベストだから」とのことで納得した覚えがある。 ここで終わってしまえばこの作品は、山形浩生がクッツェーを評して言った「できあいの「問題」を上品に優柔不断化して安心させる仕掛け」、あるいは花村萬月に投げつけた「結構なご身分で。「ハルヒ」とかラノベと同じですな。」といった批判がぴたりとはまってしまうんじゃないか。そこでは寓意

    『1Q84』バブルをめぐって - shinichiroinaba's blog
    inumash
    inumash 2009/06/19
    いや最後の部分はやっぱ“そのとき”に言わないとかっこ悪い気が。確かに言ってどうにかなる(理解される)とも思わないけれど。
  • 『オタクの遺伝子』続編のための覚書 - shinichiroinaba's blog

    方法論的メモ オタク系サブカルチャーの研究をポストモダン社会論として行うことにはそれなりの危険がある。近年のマンガ研究において浮上した「反映論」と「表現論」との対立という偽の構図に照らしていえば、もちろん「表現論」が正しい――というかその次元を踏まえずにはマンガとか映画とか文学を社会学の素材として用いることに意味はない。「反映論」はそれなりに根拠はあるにしても、必ずしも自明ではない前提――芸術作品だのエンターテインメントだのにおいて表現される物語その他の内容が、現実社会において生起している現象、問題を、デフォルメしつつ有意味な形で表現している――に乗っかっている。しかしもちろん、こういう「素朴リアリズムへの信頼」は必ずしも自明ではない。たとえば文学やマンガの中で多重人格が好んで素材として取り上げられているからといって、それが現実における多重人格現象を適切に反映しているとは限らない。 という

    『オタクの遺伝子』続編のための覚書 - shinichiroinaba's blog
    inumash
    inumash 2009/02/16
    今眠いので後でゆっくり読む。
  • なんだか大人げないことをしている人たちがいるようだが - shinichiroinaba's blog

    東さんは煽った。常野さんは乗った。実際に乗られてみて東さんは「煽りが軽率だった」と反省して小役人的対応をとった。東さんの対応には手続き的なレベルではさしたる問題はないが、度量の狭さを批判されてもおかしくはない。 しかしこんなことをしたところで常野さんの名が上がるわけではないし、もちろんこんなことはどちらにとっても「いらん苦労」で「勉強」「芸の肥やし」にはならないことは明らか。 何より常野さんはまず最初にやるべきこと、つまり東さんの議論とデリダの議論を突き合わせてきちんと検討する、ということを自分でしていない。「卑怯」とはいわない。その呼びかけに応じてそれっぽいことをやってくれてる人が少しは出てきたからだ。しかしせっかくそういうものが出てきたのであるから、自分でデリダと東をきちんと読みこまないまでも、援軍の人たちの議論をきちんと咀嚼して、自分なりに何かまとまったことを言うべきであった。 常野

    なんだか大人げないことをしている人たちがいるようだが - shinichiroinaba's blog
    inumash
    inumash 2008/12/14
    これはその通りだろうな。/何と言うか、「自分たちは100%正しいのだ!」ということにしないと納得できない人が世の中にはいるんだなぁ。
  • 「人権」についてポイントのみ - shinichiroinaba's blog

    ・法学的な意味での「人権」と政治思想上の、あるいは日常道徳的な用語としての「人権」とは意味が違う。 ・それどころか憲法(国家レベルの公法)と国際法(国際公法)とでは、また国内法レベルでも憲法(公法)と民法、刑法等々では「人権」の意味が異なる。(憲法上の「人権」と、国際法上の「国際人権」は違う、というのが憲法学者の間で有力な説[高橋和之(「国際人権の論理と国内人権の論理」ジュリスト1244号69頁(2003年)、等]。民法や刑法では法律用語としての「人権」自体不要かも? つまり政治的・道徳的な意味での「人権」の面倒を憲法(上の「人権」)がすべて見ることはできないし、見る必要もない。適宜他の法律あるいはその他の政策手段が動員されれば十分、ということか?) ・だから一部の憲法学者は「人権」の語に換えて時に「憲法が保障する権利」といった言い方をする? ・人権が何であれ、それはそこからすべての権利が

    「人権」についてポイントのみ - shinichiroinaba's blog
  • 「何故しぶとく生き延びるのか ゴキブリとマルクス」『諸君!』2005年8月号 - shinichiroinaba's blog

    松尾さんの新著をめぐって変に盛り上がっているのでお蔵出し。 何らかのネタの提供になるだろうか。 これと『教養』第7章を読んでいただければ、ぼくが疎外論的マルクス主義それ自体には割と批判的――正統派レーニン主義にもそれなりの事情があったし、その問題点が疎外論で克服できたわけでもない――と考えていることはお分かりになるでしょう。ただそれと今回の松尾さんのの評価とは、関係はあるが別の問題なわけだけど。(ていうかまだ読んでないし。) しかしこれを山形は全く知らないだろう70年代頃までの新左翼系の疎外論だの物象化論だのといったややこしい論争まで引っ張り起こしていじりまわすといったいどうなるのやら……(松尾さんには廣松渉批判の論文もあったな。廣松の「マルクス主義」がすでにマルクスから離れた別物であったというのは間違いじゃないだろうけど)。 ==============================

    「何故しぶとく生き延びるのか ゴキブリとマルクス」『諸君!』2005年8月号 - shinichiroinaba's blog
  • 戦後日本左翼運動の精神史 - shinichiroinaba's blog

    ブントを主題としながら、国際比較においてイギリス、CNDやフランスのアルジェリア独立のことまでふれてくれた大嶽秀夫『新左翼の遺産 ニューレフトからポストモダンへ』(東京大学出版会) http://www.bk1.co.jp/product/2762634?partnerid=p-inaba3302385 http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4130301438/interactivedn-22 がおもしろかった(全共闘や内ゲバを扱うであろう続編はあるのか)ので、手元にある積ん読の基的な文献だけメモっておく。 安東仁兵衛『戦後日共産党私記』(文春文庫) http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4167244039/interactivedn-22 旧『現代の理論』の「安仁」の手記の合版。60年安保の

    戦後日本左翼運動の精神史 - shinichiroinaba's blog
  • 左翼・右翼・保守主義(承前) - shinichiroinaba's blog

    http://d.hatena.ne.jp/shinichiroinaba/20060712/p1 - 果たして「深い亀裂」とは何であるのか? 当はありもしない「亀裂」「危機」について左翼は妄想を抱いているだけ、という可能性はあるのか? 左翼人士もまた公共社会の一員であるのだから、なによりもまず危機意識を抱く左翼の存在そのものが既にして「亀裂」「危機」の、単なる表現とか徴候の域を超えた実体的な一部をなしており、それ自体で「危機」「亀裂」の存在を証拠立てている、とは言えそうである。しかしそうだとしても問題は残る。仮にこの「亀裂」「危機」を感受する一部の「左翼」の存在が問題の「危機」「亀裂」の単なる一部ではなく、全部であるとしたらどうだろうか。そうだとすれば、危機意識を抱く左翼を何らかの仕方で社会から切り離せば、「危機」「亀裂」は解消する、ということにならないだろうか? ――これはまさしく田

    左翼・右翼・保守主義(承前) - shinichiroinaba's blog
  • 1