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Fateとエロゲに関するirinoiaのブックマーク (14)

  • はてなブログ

    なぜブログを始めるのか 自分の意見を言語化するのが苦手だと感じていて,ブログを書くことを通じてそれを解消したいと考えたためである. 言語化が苦手だと感じ始めたのは,ちょうど去年,研究室に配属されてからである.そのときまで正直勉強に困ったことはなかったので,研究生活も余裕だろ…

    はてなブログ
  • 奈須きのこさんからの意識的?無意識的?メッセージ - シロクマの屑籠

    Fate/hollow ataraxia、時間をみながらちょいちょい片付けていたがようやくエンディングらしきものに到達した。Fate/stay nightに比べると、個々のシーンは鮮やかでも全体の話の筋はそんなにワクワクするものではなかった。じゃああくまでファンディスクとして楽しめばいいじゃないかという話になるが、月姫の歌月十夜に比べると、諸々の完成度が高いのがかえって気になってリラックスできないというか、それともお値段がファンディスク臭くないからか、どうもファンディスクっぽく馴染まない。結局私は、どういう捉え方で作品とお付き合いすればよいのかわからないまま、最後まで行ってしまった感じがする。このゲームをきっちり消化したって人はどんな態度であたったのだろうか?私はどうも、構え方を間違えてしまったっぽい。残念だ。 あるいは、Fate/hollow ataraxiaの隠れたテーマになっている

    奈須きのこさんからの意識的?無意識的?メッセージ - シロクマの屑籠
  • Atahualpa :: TYPE-MOONは「セカイ系」の終わりを告げるのか?

    この夏、ろくに更新もせずに何をやっていたかといえば、TYPE-MOONの美少女ゲーム『月姫』と『Fate/stay night』にハマり狂っていたのですよ! こういった設定が山ほどある作品に僕はめっぽう弱くて、いまだにネットで「月姫研究室」を貪るように読んでいたりするのだが、それにしても、この一連のTYPE-MOON作品から、ノスタルジックな感慨ばかりわき起こってくるのは何故だろうか。雑誌や同人誌でゲリラ的に発表されるサイドストーリー、物語の背後に隠された裏設定とそれをまとめた用語集、登場人物と世界観を同じくするスターシステム……これはまるで『魑魅戦記MADARA』のようではないか。 80年代に大塚英志によって『物語消費論』の実践として展開されたMADARAシリーズ。一作目は当時の流行に乗っかっただけのファンタジー漫画だったのが、完結と同時に「MADARAプロジェクト」と銘打って108のサ

    Atahualpa :: TYPE-MOONは「セカイ系」の終わりを告げるのか?
  • NaokiTakahashiの日記 -スランプ脱したかな?

  • 物語的弱者に転落する主人公たち - 萌え理論ブログ

    月初めということで、基に戻って考察しよう。ふつう「主人公」は、「主」人公なのだから物語の中心にいるはずだ。ところが最近、ある種の物語ではドーナツ化現象が起こっている。そこではむしろ、主人公は活躍する機会を奪われているし、読者の感情移入もしづらい。 例えば、最近のアニメを見てみよう。『涼宮ハルヒの憂』の主人公キョンは、やたら語りがくどい。『Fate/stay night』の主人公衛宮士郎はやたら死にまくる。『ひぐらしのなく頃に』の主人公前原圭一も最初の鬼隠し編ですぐ死ぬし、物語と読者にとっては「存在自体がイカサマみたい」だろう。他にも『NHKへようこそ!』はひきこもりだし、『ゼロの使い魔』は「犬」だ。 ここで特徴なのは、主人公の弱体化に反比例してヒロインが強力になっていることだ。いわゆる「ツンデレ」型ヒロインが対置されていることが多い。涼宮ハルヒ、遠坂凛、北条沙都子、ルイズなどは非常に典

    物語的弱者に転落する主人公たち - 萌え理論ブログ
  • Diary/2006-06-13 - きゃっと・ふぃすと 『Fate/stay night』における主人公とヒロインの対立

    『Fate/stay night』における主人公とヒロインの対立 [エロゲー]『Fate/stay night』における主人公とヒロインの対立 相方向性と相互関係の時代 主人公の復権とエロス ネタバレ注意……必要かなあ。 エロゲーの主人公はヒロインのために戦う。 というのは、当然チャンバラやドンパチを意味するのではない。なにがしかの障害を乗り越えることを指す。 障害を乗り越えるとは、ゲームシステム上においてはフラグを立てることに他ならず、それはヒロインの物語における「変数」を動かすことを意味する。 つまり、主人公がヒロインにコミットする。 エロゲーのシナリオにおいて、主人公がヒロインにコミットすることは多いが、ヒロインが主人公にコミットすることは少ない。 コミットするとは、好意を向けることとは異なる。相手固有の物語の変数に対して影響を与えることである。エロゲーの主人公の多くは、固有の物語を

  • Fate/stay night - Marginal

    Fateのゲーム性、というよりゲームであることの意義というか、ゲームでしか表現できない特性というのは、ゲームは似たような状況の話を複数回読むことが当たり前とされているというあたりから考えられるのでは?とか個人的には思ってます。 この似たような話を複数回読むっていうのは、その話が最終的に一つの話に還元される一要素としてではなくて、あくまでそれぞれ独立した話ままであるってあたりがポイントです。東さんなんかはFateは小説を三つ用意しただけだというような趣旨のことを言っていたように思うんですが、そもそも、小説漫画で、リメイクだったり、別の作者が書くということではなく、同じ作者によって類似する複数の独立した物語を描くっていうこと自体があまりない、というかほとんどないように思います。 でも、ギャルゲーだと共通パートなんてものが当たり前にあって、同じテキストを読むことすら受け入れられてるくらいで、そ

    Fate/stay night - Marginal
  • somethingorange.net

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  • 冬みかんとこたつ猫

    ようこそゲストさん ブログトップ 記事一覧 ログイン無料ブログ開設 冬みかんとこたつ

  • 稲葉先生のFate読解は間違っているのではないか - 最終批評神話 / リサイクル

    村上 | 00:22 |  稲葉先生(id:shinichiroinaba)がFate論をお書きになっている。 [メモ]『オタクの遺伝子』続編のための覚書  http://d.hatena.ne.jp/shinichiroinaba/20090215/p1 [メモ]批評の方法としてのファンフィクション(続)  http://d.hatena.ne.jp/shinichiroinaba/20090218/p2 メモと仰いつつもかなり重厚な一編いや二編なのだが、読んでいてどうなのそれと思うところが出てきてしまったので、勝手な反論をしようと思った。■その一、Fateとひぐらしは似ているのか問題。 似ているともいえるし似ていないともいえるこの二作は、たとえば東さんの手引きに従えば、シナリオの展開の仕方が固定されており、選択肢の役割が事実上無化されている。この点では、確かに似ている。つまりひぐらしに

  • 『オタクの遺伝子』続編のための覚書 - shinichiroinaba's blog

    方法論的メモ オタク系サブカルチャーの研究をポストモダン社会論として行うことにはそれなりの危険がある。近年のマンガ研究において浮上した「反映論」と「表現論」との対立という偽の構図に照らしていえば、もちろん「表現論」が正しい――というかその次元を踏まえずにはマンガとか映画とか文学を社会学の素材として用いることに意味はない。「反映論」はそれなりに根拠はあるにしても、必ずしも自明ではない前提――芸術作品だのエンターテインメントだのにおいて表現される物語その他の内容が、現実社会において生起している現象、問題を、デフォルメしつつ有意味な形で表現している――に乗っかっている。しかしもちろん、こういう「素朴リアリズムへの信頼」は必ずしも自明ではない。たとえば文学やマンガの中で多重人格が好んで素材として取り上げられているからといって、それが現実における多重人格現象を適切に反映しているとは限らない。 という

    『オタクの遺伝子』続編のための覚書 - shinichiroinaba's blog
  • 衛宮士郎の破綻と再生――「Fate/stay night」におけるポストモダン的不安とその超克―― - BLUE ON BLUE(XPD SIDE)跡地

    「Fate/stay night」というゲームにおける主人公、衛宮士郎のあり方は、極めてポストモダン的状況に落ち込んだ人間の、複数のあり方を示していて興味深い。彼はその状況に対して立ち向かい、敗北し、そしてそれを超克するプロセスは、極めて典型的に「ゼロ年代的」であった、といえる。ゆえに「ゼロ年代の想像力」という概念が失効しようとしている今、あえて回顧的に振り返ってみたい。 衛宮士郎は世界喪失者である。これは、彼と世界との間にある「大きな物語」が失効することに拠っている。彼は10年前の聖杯戦争がもたらした大災害において、当たり前のはずの安寧があっという間に焼け落ち、多くの人々が全く無意味に死んでいくという「大量死」を見せ付けられ、自らが生きる意味すらも「確率性」に還元されてしまうという体験をした。多くの人々が全く無意味に死んだように、彼もまたあそこで死んでいたかもしれない。養父である衛宮切嗣

    衛宮士郎の破綻と再生――「Fate/stay night」におけるポストモダン的不安とその超克―― - BLUE ON BLUE(XPD SIDE)跡地
  • はてなグループの終了日を2020年1月31日(金)に決定しました - はてなの告知

    はてなグループの終了日を2020年1月31日(金)に決定しました 以下のエントリの通り、今年末を目処にはてなグループを終了予定である旨をお知らせしておりました。 2019年末を目処に、はてなグループの提供を終了する予定です - はてなグループ日記 このたび、正式に終了日を決定いたしましたので、以下の通りご確認ください。 終了日: 2020年1月31日(金) エクスポート希望申請期限:2020年1月31日(金) 終了日以降は、はてなグループの閲覧および投稿は行えません。日記のエクスポートが必要な方は以下の記事にしたがって手続きをしてください。 はてなグループに投稿された日記データのエクスポートについて - はてなグループ日記 ご利用のみなさまにはご迷惑をおかけいたしますが、どうぞよろしくお願いいたします。 2020-06-25 追記 はてなグループ日記のエクスポートデータは2020年2月28

    はてなグループの終了日を2020年1月31日(金)に決定しました - はてなの告知
  • 『Fate』にみるヘタレエゴイズムと、それに苛立つ私達 - シロクマの屑籠

    フェイト/ステイナイト[レアルタ・ヌア] (通常版) 出版社/メーカー: 角川書店発売日: 2007/04/19メディア: Video Game クリック: 28回この商品を含むブログ (105件) を見る 衛宮士郎の破綻と再生――「Fate/stay night」におけるポストモダン的不安とその超克―― - BLUE ON BLUE(XPD SIDE)跡地 『Fate/stay night』かぁ。懐かしい名前をみかけて色々と思い出した。 『Fate』に出てくるキャラクター達には、「単なる萌えキャラ」として完成しているだけでなく、従来型の物語でも通用するような“奥行き”を感じさせる好人物がかなり含まれていたと思う。だから『Fate』に出てくるキャラクター達が、私は今でも大好きだ。 そんななかで、例外的に嫌いだったキャラクターがいる。 それは、主人公の衛宮士郎だ。 彼は、全てを救おうと願う。

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