自分はミスターワイルドって呼ばれてた その頃はまだスギちゃんとか無かったけれども 床に落ちた牛乳とか飲んでたらワイルドって事になってた
冬十月、改平望觀曰聽訟觀。 帝常言「獄者、天下之性命也」、毎斷大獄、常幸觀臨聽之。 (『三国志』巻三、明帝紀、太和三年) 魏の明帝曹叡こと烈祖様は、重要な裁判については自らも聞いていた、という話がある。 魏略曰、(秦)朗游遨諸侯間、暦武・文之世而無尤也。及明帝即位、授以内官、為驍騎將軍・給事中、毎車駕出入、朗常隨從。時明帝喜發舉、數有以輕微而致大辟者、朗終不能有所諫止、又未嘗進一善人、帝亦以是親愛。 (『三国志』巻三、明帝紀、青龍元年十月、注引『魏略』) その烈祖様は、犯罪の摘発を喜び、軽い罪であっても極刑とすることがしばしばあった、との証言がある。 取り調べや断罪そのものは役人たちの仕事だろうが、烈祖様じきじきに裁判を見ていた中でこういった評価がされていたということは、担当の役人も烈祖様の意を汲んだ摘発、意を汲んだ裁判を行う傾向が強かったことだろう。 烈祖様の時代は死刑の多い時代であり、
かつてやった「三国志打線シリーズ」最新版を作った。 今回はあの魏の明帝曹叡こと烈祖様について、である。 1 中堅 烈祖様、魏王朝の三祖を定める。 2 二塁 烈祖様、病気の臣下をいたわる。 3 三塁 烈祖様、幅広い年齢層に開かれた後宮を目指す。 4 DH 烈祖様、嫁不足解消を図る。 5 一塁 烈祖様、仕事の遅れを叱責。 6 左翼 烈祖様、可愛い小鳥を飼育する。 7 右翼 烈祖様、魏のインフラ整備に尽力。 8 捕手 烈祖様、時間を支配する。 9 遊撃 烈祖様、母の怨みを晴らす。 あ、念のため言っておきますが私は烈祖様が大好きですよ!ネタたくさん提供してくれてるし!
先日の打線は個人的にはそこそこ自信作だったくらいなのだが、どうも反応が薄いように思えた。 なので、今度は三国志一愛すべき皇帝陛下であるところの魏の烈祖明皇帝様こと曹叡様の「ゴシップ打線」も組んでみた。 あくまでもゴシップであり、真実であると保証しない事柄ばかりであることにくれぐれもご留意ください。 1 右翼 烈祖様、王から降格していた・・・? 2 二塁 烈祖様、実は兄がいた・・・? 3 左翼 烈祖様、即位当初はあまり評価されず・・・? 4 一塁 烈祖様、本当の血統は・・・? 5 三塁 烈祖様、実子はどうして・・・? 6 中堅 烈祖様、鳥に殺された・・・? 7 DH 烈祖様、本当は戦死していた・・・? 8 捕手 烈祖様、宝石に目がくらんだ・・・? 9 遊撃 烈祖様、予言の改竄疑惑・・・?
【1】 養子(曹)嵩嗣、官至太尉、莫能審其生出本末。 (『三国志』巻一、武帝紀) 【2】 評曰、夏侯・曹氏、世為婚姻、故惇・淵・仁・洪・休・尚・真等並以親舊肺腑、貴重于時、左右勳業、咸有效勞。 (『三国志』巻九、諸夏侯曹伝) 【3】 呉人作曹瞞傳及郭頒世語並云、(曹)嵩、夏侯氏之子、夏侯惇之叔父。太祖於惇為從父兄弟。 (『三国志』巻一、武帝紀注) 【4】 魏氏春秋載紹檄州郡文曰・・・(中略)・・・父嵩、乞匄攜養、因贓假位、輿金輦璧、輸貨權門、竊盜鼎司、傾覆重器。・・・(中略)・・・此陳琳之辭。 (『三国志』巻六、袁紹伝注引『魏氏春秋』) 曹操(曹嵩)の出自に関しては、『三国志』と注において上記のような証言がある。 【1】によれば曹嵩の出自は審らかにできないという。 これが陳寿の調査能力の限界なのか、とんでもないタブーに触れてしまうために「言いたくても言えないんだよね」っていうことなのか、こ
1番 中 曹操 2番 二 曹叡 3番 三 曹丕 4番 一 鍾繇 5番 DH 鍾会 6番 左 費禕 7番 右 虞翻 8番 捕 孫皓 9番 遊 荀紣 1番 中 曹操 言うまでもない畜生キング。畜生界の5ツールプレイヤー。 有名な畜生エピソード、大体史書に出典ありますからね。 2番 二 曹叡 幼女を後宮に入れたロリータ系畜生。 臣下から諫言の集中砲火を浴びるだけのことはある。 3番 三 曹丕 ご存じ畜生エンペラー。 父の側室を自分のモノにして母に絶縁され、弟を毒殺するといったシャレにならない話だけでなく、王忠とドクロとか剣術の天才とかの「スポイルされたお坊ちゃま系畜生エピソード」にも事欠かないところがポイント高い。 4番を打ってもいいくらいの強打者である。 4番 一 鍾繇 言うまでもない畜生界のレジェンド。 彼に関してはこのブログを見ていた人にとってはこれ以上の説明は不要であろう。 5番 DH
【 サイトコンセプト 】 このサイトは三国時代の呉の人物を独自の視点で考察していくことをコンセプトとしています。 陳寿「三国志」(正史)を基準としておりますが、三国志の記述を独自の視点で再検討する事もあります。よって場合によっては、正史通りの解釈を取らない事があります。 明らかな誤認・勘違い等については、ご指摘頂けると嬉しいのですが、上記の理由による解釈の相違については、ページコンセプト上の自由裁量と見なして下さい。 あと、文の整合性については、気にしない事にしました(爆)。例えば、孫権伝を書いた時と周瑜伝を書いた時では、解釈が全然違う所があります。ですが、書いている時期が違い、考え方が変化している以上、無理に整合性を付けようとせず、違った解釈をそのまま書きました。よって、「言っている事が違うじゃね-か?」という事については、「違っていて何が悪い。」と開き直ります。 文中の(注)は、後から
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