出発 1984年3月3日。起きたのは午前2時15分。雪国の大学受験に向かうのだ。計画は自分で立てた。3:30発の大阪行きフェリーから地下鉄に乗り継ぎ、新大阪7:40発の雷鳥3号に乗って目的地を目指す。港まで父の車で送ってもらったが、その後は長い一人旅。新大阪では電車の着くホームを間違えるハプニングもあったが無事切り抜けた。 「受験に行くときは学生服が望ましい。」学校で言われた通りにした。この受験には歌唱のテストもあって、学校の特別な計らいで指導もしてもらった。小論文の添削もしてくれた。共通一次テストの成績から言えば、合格は運が良くても難しく、奇跡に期待するしかなかったが、学校には精一杯のことをしてもらったと思う。高1の時に国公立大学の合格は無理だと言われたことを思うと感慨深かった。 初めての雪国に、多少の雪や水なら弾いてくれるジャンバーも用意した。旅行カバンも防水加工されているものを貯めた