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兵庫と考古に関するkanototoriのブックマーク (23)

  • AIが地図から古墳を「発掘」 地形解析、新規34カ所確認 奈文研 | 毎日新聞

    AIによる解析結果を基に実施した兵庫県たつの市の現地調査で見つかった円墳の「中垣内平見古墳」。覆土が流れ、石室が露出していた=高田主任研究員提供 古墳の形状を学ばせたAI人工知能)に自治体が公開している立体地図上を「探検」させ、未発見の古墳を突き止める手法を奈良文化財研究所(奈文研、奈良市)の高田祐一・主任研究員らのグループが開発した。グループはこの手法を「デジタル探査」と命名。奈文研のサイトで22日、研究成果の報告書を公開した。【稲生陽】

    AIが地図から古墳を「発掘」 地形解析、新規34カ所確認 奈文研 | 毎日新聞
  • 神戸にひらかれた幻の都「福原京」 遺物や遺構から解き明かす 神戸市埋蔵文化財センターで企画展(ラジトピ ラジオ関西トピックス) - Yahoo!ニュース

    平安時代末期に神戸の地にひらかれた幻の都「福原京」にスポットライトを当てた企画展、“「福原京」の考古学”が、神戸市西区にある神戸市埋蔵文化財センターで開催されている。期間は11月28日(日)まで。 【写真】発掘された「福原京」に関する遺物や遺構 1991(平成3)年にオープンし、今年で30周年を迎えている神戸市埋蔵文化財センターは、発掘調査で確認された「福原京」に関する考古資料などを保管し、その解明とともに歩んできた。企画展では、平清盛没後840年にあたる今年、発掘された遺物と遺構により明らかになった「福原京」について紹介している。 平安時代末期、今の神戸市中央区楠町、兵庫区の平野や荒田一帯にあったと考えられる福原荘は、平氏一門が屋敷を構え、1180(治承4)年には、平清盛が福原への遷都を敢行。半年後に平安京へ還都されるまでの間、幻の都として存在した。 当時の建造物などが見つかっていなかっ

    神戸にひらかれた幻の都「福原京」 遺物や遺構から解き明かす 神戸市埋蔵文化財センターで企画展(ラジトピ ラジオ関西トピックス) - Yahoo!ニュース
  • 中国の貨泉3枚、淡路島で出土 弥生時代に交易で渡来か - 日本経済新聞

    兵庫県南あわじ市(淡路島)にある入田稲荷前遺跡から、中国で紀元14~40年に鋳造され、弥生時代にもたらされた青銅製の貨幣「貨泉」3枚が出土し、同市教育委員会が18日に発表した。市教委によると、貨泉は今回を含め国内で179枚見つかっているが、複数枚が重なった状態で発見されるのは珍しいという。市教委の担当者は「古代中国の貨幣が伝わったのは、弥生時代後期に淡路島が海上交易の要衝だったことを示す貴重な

    中国の貨泉3枚、淡路島で出土 弥生時代に交易で渡来か - 日本経済新聞
  • Amazon.co.jp: 見果てぬ夢「明石原人」―考古学者直良信夫の生涯 (角川文庫ソフィア): 直良三樹子: 本

    kanototori
    kanototori 2012/07/31
    お父さんは心配症
  • さらに強まる大和朝廷とのつながり 兵庫・朝来の池田古墳 - MSN産経ニュース

    水鳥形埴輪が計23体となり、全国最多の出土数になった古墳時代中期(5世紀前半)の王墓とされる「池田古墳」(兵庫県朝来市)。埴輪の形状などから、大和朝廷との深いつながりが一層強まった。 水鳥形埴輪は、墳丘東側のくぼみ部分にある「造り出し」と呼ばれる祭祀(さいし)場から東西約14メートルにわたって出土。8体のうち、脚台つきの1体(高さ48センチ、幅21センチ、長さ44センチ)はほぼ完全な形でみつかった。他の7体は壊れ、破片状態の頭部のみで判断。埋葬者の魂を、あの世へ運ぶ意味を込めておかれたらしい。 当時、大和朝廷の支配下だった「旦波(たにわ)王国」があったとされ、但馬など3地域を治めていた。水鳥形埴輪は大和朝廷でつくられていたものと同様のもので、朝廷が因幡(鳥取県)へと勢力を広げていく際、この地域を重要視していたことを示すものとみられる。 これまでに応神天皇陵ともされる誉田御廟山(こんだごびょ

  • 国史跡で「鋳所」を全国初確認 出土済の木簡に記された工房名と一致 兵庫・豊岡の但馬国分寺跡 - MSN産経ニュース

    国史跡「但馬国分寺跡」で確認された炉跡(ろあと)。坩堝(るつぼ)もみつかり、「鋳所」であることが判明した=兵庫県豊岡市 奈良時代後期(8世紀後半)の国史跡「但馬国分寺跡」(兵庫県豊岡市日高町)から、鋳造工房「鋳所(いものどころ)」とみられる遺構が新たに見つかり、豊岡市教委が30日、発表した。この史跡からは「鋳所」の文字がある木簡が出土しており、実際に「鋳所」の存在が確認できた全国初のケースで、市教委は「国分寺の造営過程などを解明するうえで貴重な発見」としている。 市教委によると、調査は史跡東端の約250平方メートルで実施。見つかった鋳造遺構内には石を敷き詰めた1.1メートル四方の区画があった。中心部に高温で熱した跡があり、銅を溶かしていた「炉跡(ろあと)」とみられる。また、金属を溶かす「坩堝(るつぼ)」(直径約15センチ、高さ約10センチ)と呼ばれる土器が2個見つかっており、この遺構を鋳所

  • 豆腐町遺跡:漆紙文書や貨幣など公開 あす現地説明会 /兵庫 - 毎日jp(毎日新聞)

    姫路市埋蔵文化財センターは28日、JR姫路駅構内にある「豆腐町遺跡」の発掘結果を紹介する現地説明会を開催する。説明会は01年度の調査開始以降初めてで、これまで出土した奈良時代の漆紙文書や貨幣類、墨書土器なども公開する。 豆腐町遺跡は弥生から明治時代の複合遺跡。駅周辺の区画整理に伴い市が調査している。奈良時代には播磨国府か飾磨郡家に関連する漆工房があったと推定されている。 発見された漆紙文書(直径約14センチの円形)には人名や年齢が記されていた。税に関する書類を漆つぼのふたに再利用したため、漆が付着して腐を免れたとみられている。また、和同開珎(市内2例目)や萬年通宝(市内2例目)などの貨幣や、墨で文字を書いた墨書土器も出土している。 このほか、幅が最大5・8メートル、長さ約45メートルの通路跡も確認されている。通路脇に掘っ立て柱跡が規則的に並んでおり、工房が計画的に配置されたことがうかがえ

  • 水鳥形の子持ちの鳥形埴輪出土 兵庫・朝来の池田古墳 - MSN産経ニュース

    古墳時代中期(5世紀前半)の王墓とされる「池田古墳」(兵庫県朝来市和田山町)で、最古の水鳥形をした子持ちの鳥形埴輪(はにわ)が全国で初めて出土し、県立考古博物館が20日、発表した。周濠そばの墳丘のすそ部で見つかり、同博物館は「水を使った『導水祭祀』の道具として置かれたらしい」としている。 池田古墳は全長約141メートルで、但馬地方最大の前方後円墳。出土した水鳥形の埴輪はガンやカモをかたどっており、子鳥の大きさは長さ約10センチ、高さ約6センチ。鳥形埴輪のそばで4個出土した。出土状況から、親鳥の周りを囲むように置かれた可能性が高いという。 鳥形埴輪はほかに6個が見つかり、墳丘と外部を結ぶ道路の役割を果たしていた「渡土堤(わたりどて)」の斜面に施された葺石付近でも等間隔で出土した。 花園大学文学部の高橋克壽・准教授(考古学)の話「古墳のすそに水を用意して、墳丘をこの世と異なる他界とみなし、そこ

  • 「王朝国家」展:平安後期の宮廷文化探る--県立考古博物館であすから /兵庫 - 毎日jp(毎日新聞)

    ◇陶磁器など400点を展示 平安時代後期(12世紀)に絶頂期を迎えた宮廷文化を多彩な出土品から探る特別展「王朝国家の光芒(こうぼう)--各地に花開く宮廷文化」が25日から、県立考古博物館(播磨町)で開かれる。 平安時代後期は都の周辺に鳥羽離宮をはじめとする邸宅や庭園が次々と造営された。一方で、経済の発展により力を蓄えた貴族が宮廷文化を地方に波及させ、奥州藤原氏は絢爛(けんらん)たる平泉文化を開花させた。県内でも、大輪田泊(おおわだのとまり)を拠点に、播磨国に勢力を伸ばした平家一門の館や庭園の遺構が多数見つかっている。 特別展で展示されるのは土器、陶磁器、瓦など計約400点。▽鳥羽離宮跡から出土した、オシドリのつがいを毛彫りした「金銅製鴛鴦文金具(えんおうもんかなぐ)」▽藤原頼通の娘が建てた白川金色院跡(京都府宇治市)出土の「青白磁(せいはくじ)刻花牡丹文子持合子(こくかぼたんもんこもちごう

  • 尼崎で弥生時代のタコつぼ 全国初、シカの絵が刻まれる - MSN産経ニュース

    東園田遺跡から出土した、シカの絵が刻まれたイイダコつぼ=27日午後3時、兵庫県尼崎市の市役所(塚健一撮影) 兵庫県尼崎市の東園田遺跡で、シカの絵が刻まれた弥生時代中期後半(1世紀ごろ)のイイダコつぼが見つかり、27日、市教委が発表した。 瓶(かめ)などに絵が描かれていた例はあるが、タコつぼでは初めて。当時の人間が豊漁を祈念したとみられる。絵画土器の研究の貴重な資料という。 つぼは高さ8・7センチ、口径が最大4・4センチの楕円(だえん)型。シカは表面にヘラのようなもので描かれていた。胴部に斑点をつけ、鹿毛を表現するなど他の土器では見られない写実的な技法が特徴という。 同遺跡では、519個のタコつぼが見つかったが、絵があったのは、この1つだけだった。 市教委によると、「日書紀」や「風土記」にはシカにまつわる説話が多く残されており、弥生時代もシカは神聖な動物と考えられていた可能性が高い。鹿毛

  • asahi.com(朝日新聞社):3世紀、最古の板壁つき竪穴住居 窓で中も明るく 姫路 - 社会

    兵庫県姫路市の飯田遺跡で、3世紀(弥生時代末期〜古墳時代初頭)の竪穴住居跡から建築部材の壁板が出土した。同県立考古博物館が12日、発表した。初期の竪穴住居は屋根を地面までふき下ろすのが一般的で、家形埴輪(はにわ)などから古墳時代(3〜7世紀)までに板壁が登場したと想像されてきたが、実際に竪穴住居の板壁が見つかったのは今回が初めてという。  見つかったのは縦1.2メートル、幅8〜15センチ、厚さ0.5〜4センチの薄い板材。15枚ほどが重なるように並び、高さ約1.2メートル、幅約70センチの壁のように固まった状態で出土した。同遺跡からは一辺5メートル程度の四角形の床を持つ竪穴住居が14棟確認されており、板材はそのうちの1棟の縁付近から出土した。この竪穴住居は、高さ1.2メートル以上の板壁で囲まれ、壁の上に屋根がふかれていたらしい。  竪穴住居は、多角形や円形に掘った床面に柱を立て、かやなどの屋

  • 奈良時代の石板に「秦氏」「飾磨」、元は河川改修作業用? : 文化 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

  • 神戸新聞|社会|死生観探る一級史料 朝来・池田古墳鳥形埴輪

    鳥形埴輪の幼鳥部分(上)。親鳥の台座部に置かれていたとみられる=朝来市和田山町平野(撮影・大山伸一郎) 池田古墳(朝来市和田山町平野)で「渡土堤(わたりどて)」とともに見つかった鳥形埴輪(はにわ)は水鳥をかたどっていた。風土記などにはヤマトタケルが白鳥になったとの伝説が記されており、祭事に使われたとみられる埴輪は死者の霊を運ぶ象徴だったとも考えられる。 今回の発見は、古代人の死生観解明につながると考える専門家もいる。 鳥形埴輪は、墳丘を囲む堀「周濠(しゅうごう)」から七体が出土。渡土堤から墳丘の裾にかけてほぼ等間隔に並べられていたが、周濠に転落したとみられる。 兵庫県立考古博物館(播磨町)によると、鳥形埴輪は高さ三十五-四十五センチ、幅三十-三十五センチ。損傷が少ない良好な状態で、ほぼ完全に復元できる見通し。これは極めて珍しいという。 七体のうち一体がひなのいる子持ち鳥形埴輪。親鳥部分が高

  • 龍子三ツ塚古墳群:3世紀後半、最古級の首長墓を確認 大手前大が発掘調査 /兵庫 - 毎日jp(毎日新聞)

    ◇たつの・揖保川流域で4例目--2号墳 たつの市揖西町と同市揖保川町にまたがる「龍子三ツ塚(りゅうこみつづか)古墳群」の発掘調査を行っている大手前大は11日、2号墳が3世紀後半の円墳で、古墳時代で最古級の首長墓だと発表した。発掘調査で確認された同時期の古墳は揖保川流域で4例目。当時この地域に、小さな領域を治める有力者が多数いたことがうかがえるという。 龍子三ツ塚古墳群は山の頂上付近の約2000平方メートルに前方後円墳の1号墳と円墳の2号墳がある。1931年に三角縁神獣鏡(さんかくぶちしんじゅうきょう)や浮彫式獣帯鏡(うきぼりしきじゅうたいきょう)などの副葬品が出土したが、古墳の構造など不明な点も多かった。07年度から大手前大が発掘調査しており、今年度の調査結果を発表した。 2号墳は直径約17メートルの円墳で、墳丘の周囲にテラス状の段差を設けた「2段築成」だったと分かった。長さ約3・9メート

  • http://mainichi.jp/select/today/news/20080621k0000m040124000c.html

    kanototori
    kanototori 2008/06/21
    「三九廿四」
  • <端谷城跡>鎧発見 16世紀後半、衣笠氏の居城跡―26日、現地説明会

    ◇鉄と皮で10領分―神戸市教委 神戸市教委は23日、同市西区櫨谷町寺谷の16世紀後半の在地領主、衣笠氏の居城跡とされる端谷城跡で鉄と皮で作られたとみられる10領分の鎧を発見したと発表した。市教委によると、発掘調査によって、この時代の鎧がまとまって出土するのは全国的にも珍しいという。 城跡北側の土蔵跡(縦約9・5m、横約6m)から見つかった。幅約2�p、長さ約6�pの鉄板「札(さね)」などで、鎧の装着に必要な「押付板」の数から計10領になるという。鎧は土蔵に保管されていたもので、兜や刀は発見できず、別々に保管されていたと推測される。 衣笠氏は、天正6年(1578)以降の羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)の三木城攻略で滅びたとされる。城は同8年(1580)の秀吉の「城割り」(城の破却)で倒され、今回発見された土蔵跡は「城割り」で倒されたままの状態と見られる。 村田修三・大阪大学名誉教授は「鎧の

  • 丹波竜の腰骨と肋骨発見 兵庫・丹波 国内最大級の草食恐竜 - MSN産経ニュース

    兵庫県丹波市山南町で見つかった国内最大級の草恐竜「丹波竜」の第2次発掘調査で、新たに腰骨の一部と肋骨(ろっこつ)などが見つかり、県立人と自然の博物館(同県三田市)が7日発表した。肋骨が完全な形で、まとまって発見されたのは国内では初めて。すでに発掘された頭骨や尾骨などに続く発掘で、世界的にも貴重な全身骨格が発見される可能性がさらに高まった。 また丹波竜はこれまでティタノサウルス類とみられていたが、尾骨の形状が同類と異なることが分かり、同館は、「ティタノサウルス形類」とみられることを明らかにした。新種の可能性もあるという。 見つかったのは、長方形の坐骨とみられる骨盤の一部(幅約15センチ、長さ約50センチ)と肋骨9(最大幅約8センチ、長さ約1・3メートル)。肋骨と坐骨は約1メートル離れた個所に埋まっていた。このほか背骨や部位不明の骨の破片約1600点も発見され、すべて約2・5メートル四方の

  • http://www.kobe-np.co.jp/kobenews/sg/0000677911.shtml

  • 肉球マニア必見 1400-1500年前の猫の足跡つき須恵器出土 - 天漢日乗

    あらま、確かにの足跡が。 http://osaka.yomiuri.co.jp/inishie/news/img/is70901a.jpg 読売関西版より。 兵庫・見野古墳群 の足跡が付いた須恵器発見 兵庫県姫路市の市埋蔵文化財センターは31日、同市四郷町の見野(みの)古墳群(6世紀末〜7世紀中ごろ)の横穴式石室から、のものとみられる足跡が付いた須恵器=写真=が見つかったと発表した。副葬品に動物の足跡が残るのは極めて珍しい。 共同調査する立命館大の学生が杯身(つきみ)と呼ばれる器(直径15センチ)の内側に、白く丸い肉球らしき跡が五つ並んでいるのを発見した。 センターの担当者は「器を焼く直前に偶然、動物の足が付いたと思われる。埋葬当時は気付かなかったのでは」と指摘。地元の同古墳群保存会メンバーからは「好きの権力者のために作ったのかも」との声も。 (2009年09月01日 読売新聞)

    肉球マニア必見 1400-1500年前の猫の足跡つき須恵器出土 - 天漢日乗
  • 埋蔵文化財調査部

    ようこそ兵庫県立考古博物館埋蔵文化財調査部のHPへ、当事務所が行う発掘調査や展示会などの情報をいちはやくお届けします。 【ご案内】平成19年7月1日より、当事務所を兵庫県立考古博物館へ移転し、荒田事務所での業務は6月30日をもちまして終了いたしました。永らくご愛読いただき、ありがとうございました。 考古博物館埋蔵文化財調査部のホームページを今後ともよろしくお願いします。