「みみより!解説」のこれまでのエピソード一覧です
「乞活」とは、素直に解釈すると「活きるを乞う」、つまりは「生存を願いもとめる」ということになる。しかし罪人が命乞いをするというようなニュアンスではほとんど使われず、飢饉などで食い詰めた人々が食糧のある土地に移動する行為を指すことが多い。あるいは食を求める流民集団そのものを指す。今回はこの「乞活」の語が『晋書』にやたらと出てくるというお話。中国史上でも混乱した時代には流民集団が登場することは珍しくなく、とくに晋代に流民が多かったというわけでもないだろう。「乞活」という言葉が、「流民」に代わる晋代の流行語だったものと思われる。漢籍電子文献の二十四史で「流民」の語を検索すると、『晋書』だけ綺麗に抜けているのが面白い。 以下の引用はすべて『晋書』からである。 巻5帝紀第5 「(永嘉3年冬11月)乞活の帥の李惲・薄盛らが衆を率いて京師を救援すると、劉聡は敗走した。李惲らはまた王弥を新汲で破った。」
始めに(「『後漢書』国訳」に関する諸作業) 1、作者について 2、制作意図について 3、構成について 4、内容について 付記 始めに(「『後漢書』国訳」に関する諸作業) 本研究は、すでに9年ほど前から共同研究者である渡邉義浩氏(現、北海道教育大学助教授)と着手したものである。中国の歴史資料である正史の内でも、特に人々に親しまれた前四史中『史記』・『漢書』・『三国志』はすでに国訳が行われており、唯一残されていたのが『後漢書』であった。そこで30年を目途に無謀とも思える『後漢書』全130巻の国訳を気長に細々と続けようではないかとの意見が渡邉氏と一致し、次の如き長期計画が二人の問で策定された。 1、『後漢書』の成立は、後漢時代を下る事ほぼ220年後の劉宋の時代であり、その間に多数の後漢時代にかかわる資料(『後漢紀』・『華陽国志』・その他の散逸した『後漢書』など)が、先行資料として
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く