山口県周防大島町久賀の「八幡生涯学習のむら」で、昭和30〜40年代の旧東和町の景観や暮らしを当時の写真を通じて考える企画展が開かれている。町出身の民俗学者宮本常一たちが撮影した写真を使ったパネル約30枚が並ぶ。3月27日まで。入場無料。
山口県周防大島町久賀の「八幡生涯学習のむら」で、昭和30〜40年代の旧東和町の景観や暮らしを当時の写真を通じて考える企画展が開かれている。町出身の民俗学者宮本常一たちが撮影した写真を使ったパネル約30枚が並ぶ。3月27日まで。入場無料。
大草の州浜家の集落から,矢上へは国道をさけて,ちょうどいこいの村の宿舎の下になる一本木峠をぬけた。峠といっても道はトラバースするように山肌をたどって,急坂はツヅラになっている。走りやすい。 矢上盆地といわれる,旧石見町は東にむかって下る斜面になっている。中央に小山になる場所に諏訪神社がある。この東からが中野,西が矢上という二つの地名がある。 矢上は中野の人たちが,川上から,矢が流れてきて,この上流に人がいると気付いてつけた名だという。桃太郎や一寸法師の民話のようだ。 香木の森公園と入浴施設のあるあたりを鹿子原とよぶ。鹿はロクで,これはロクロをつかっていた木地師とよばれる人たちのなごりだといって,中国山地にはこの鹿のつく山中の地名が多い。森がしげっていた時代を感じさせる。そこに香木と呼ぶ公園があることと,なにか関係あるのかもしれない。 州浜一族が建立したという安楽寺はすぐに見つけられた。この
宮本常一の日記*1に出てくる戦後の図書館を見てみる。 昭和21年4月15日 それより西宮に行き田岡氏とはなす。田岡氏図書館長となる。 「田岡氏」は田岡香逸、「図書館」は西宮市立図書館と思われる。 昭和22年4月21日 バスで鳥取へ出て更に若桜行のバスにのり八東に行く。(略)坂尾正巳氏をとう。(略)坂尾氏は乃木、東郷の信者で、図書館など経営している。考はいいのだが視野は必ずしも広くないようである。(略)坂尾氏は山林経営家、出来ることなら更に高い理想を以て進んでいたゞきたいものである。 4月22日 朝、図書館を見る。下は山林組合になっている。(略)併し二階の書棚はあまりにも雑然としている。もっと整理出来ないものか。 「図書館」は不詳。戦後まもない頃の地方の私立図書館は、誰ぞでも調査は難しいかしら。 昭和23年2月7日 鳳−西宮。(略)清文堂へ寄って中江君にあい、郷里の図書館へ送る本を18冊注文
みずのわ出版 本拠地 ・ 山口県周防大島の出版社、です ―詳 細― 宮本常一写真図録 第2集 ――日本人の暮らし 昭和37~39年 宮本常一写真図録 第2集 ――日本人の暮らし 昭和37~39年 周防大島文化交流センター・ 東京写真月間実行委員会 ((社)日本写真協会 ・東京都写真美術館)編著 宮本常一 写真 森本孝・高橋延明 監修 2009年2月刊 A5判並製172頁 本体2300円+税 ISBN978-4-944173-59-4 C0336 装幀 林哲夫 [帯 推薦文より] 足に目がある。目は日本を見続けている―― 民俗学者・宮本常一は、日本全国を旅して9万カット以上という膨大な量の写真を撮影した。歩くこと、撮り続けることからしか何も見えてこない。彼の写真からはそんな強い意志が伝わってくる。 飯沢耕太郎(写真評論家) [内容] 東京写真月間2008(同実行委員会=(社)日本写真協会、東
土曜日(2007/Feb/03)ETV特集で宮本常一生誕百年の特集。 宮本常一の功績を振り返る番組だと思っていたがちょっと違った。 彼のかかわった離島振興法制定や山古志村での村おこしの当時の状況に触れ、それがどのような経過をたどったのかを丹念に取材した番組でした。 宮本常一は「実践の人、実学の人」と言われますが、彼の実践の過程と成果を見ることができ、宮本常一の業績を振り返るのにふさわしい構成だと思えました。 ○離島振興法 対馬での宮本常一の足跡をたどりつつ対馬の現状が紹介される。 宮本常一は「島を良くしようとするときに、離島振興法が生きてくる」と語っていたという。 当初は離島振興法により、農業や漁業を支援するための公共工事が行われていた。これにより島の多くの人が公共工事にたずさわり、逆に公共工事に頼るようになってしまった。 しかし近年の公共工事の縮小により対馬での仕事が少なくなってしまった
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