岡山市北区の国史跡、千足(せんぞく)古墳(5世紀前半)で10日午前、全国的にも珍しい幾何学文様のレリーフ「直弧文(ちょっこもん)」の施された石室内の区切り石「石障(せきしょう)」の取り外し作業が行われた。劣化による石室装飾の取り外しは、飛鳥美人の描かれた高松塚古墳(奈良県明日香村)やキトラ古墳(同村)に次いで国内3例目。11日に石室から搬出され、レリーフ部分の剥落(はくらく)止めなどの修復作業が行われる。 この日は午前9時すぎ、市教委の担当者らが、明治45年の盗掘時に空けられた穴から石室(長さ3・1メートル、幅2・5メートル、高さ2・7メートル)に入り作業を開始。地元の石材業者らが、重さ約300キロの石障(高さ53センチ、長さ162センチ、厚さ13センチ)をエアジャッキで少しずつ持ち上げる作業を行った。 石障は、保護材を敷いたステンレス製フレームに収められた後、レリーフ部分が剥落しないよう
印刷 【動画】「庚寅」大刀 文字を立体的に再現/福岡元岡古墳群から出土した鉄製大刀(中央)のレプリカ(右)=8日午後、福岡市役所、福岡亜純撮影 これが大刀(たち)の素顔――。8月に国内で初めて見つかった年と月日を組みあわせて記した鉄製大刀のレプリカと文字の3D画像が、できあがった。福岡市教委が8日発表した。現物はさびや土に覆われ、取り出すのに2年ほどかかるが、CTスキャンで立体的にとらえ、埋もれた実像に近づいた。 大刀には、彫った文字に金や銀を埋め込む象眼という技法で「庚寅(こういん)」「正月六日」などの日付が記されている。市教委によると、全国で九州国立博物館と九州歴史資料館にしかない文化財用CTスキャンを使い、文字を立体的に見ることで、彫った字にどの順番で金属を流し込んだかが分かり、作者が文字を読めたかや、大刀をどこで作ったかなどを推測できる。 大刀の長さは73センチで、刃と柄の形
25日、紙の特産地として知られる浙江省杭州市郊外の富陽市で、1000年以上前の製紙工房跡が発掘された。これまでで最古、最大だという。写真は07年に北京の国家図書館で開催された昔ながらの製紙、印刷技術を見せる展覧会。 2009年2月25日、紙の特産地として知られる浙江省杭州市郊外の富陽市で、1000年以上前の製紙工房跡が発掘された。これまでで最も古く規模が大きいものだという。中国新聞網が伝えた。 【その他の写真】 中国国家文物局によると、遺跡の総面積は約2万2000平方メートル。東西155m、南北145mにわたる。発掘された3万点のうち復元可能なものは300点近く。レンガに「大中祥符二年九月二日記」という字が刻まれていたことから、遅くとも北宋(960年―1127年)の3代皇帝、真宗(在位997年―1022年)の時代のものであることが確認された。「大中祥符二年」は西暦1009年にあたる。これま
◇日中調査グループ 中国・浙江省にある約8000年前と約7000年前の集落遺跡(新石器時代)で出土した木器が中国最古級の漆製品だったことが、日中共同研究グループの調査で分かった。従来より約2000~1000年さかのぼり、黒漆の世界最古例も確認された。 日本では約9000年前の遺跡から漆塗り糸が見つかっており、調査に参加した金沢大の中村慎一教授(中国考古学)は「大陸と日本を比較し、漆文化の起源を解明したい」としている。 中村教授によると、跨湖橋(ここきょう)遺跡(約8000年前)と田螺山(でんらさん)遺跡(約7000年前)。 跨湖橋遺跡では01年、棒状の木製品(長さ121センチ、太さ3センチ)が出土し、今回、クワで作った弓で、表面に透明の漆が塗られていることが判明した。補強目的などだったらしい。田螺山遺跡で04年からの調査で出土した円筒木器(長さ39センチ、長径11センチ)には植物油を燃やし
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く