600万人ものユダヤ人の命を奪ったホロコーストの現場と言うと、多くの人は「アウシュヴィッツ強制収容所」を思い浮かべる。現ポーランド南部クラクフ近郊にナチス・ドイツが設けたこの施設は、ナチスの残虐行為を象徴するモニュメントとして位置づけられている。100万人以上という最大の犠牲者を出したこと、一部の建造物が破壊されずに残されたこと、絶滅施設と同時に強制労働施設を伴っていたため10万人以上の収容者が生き延びて実態を伝えたこと、などからである。 ただ、アウシュヴィッツで虐殺が本格化したのは1943年から44年にかけてで、41年に始まったホロコーストの歴史の中では後半に過ぎない。ホロコーストの犠牲者は約半分が銃殺で、約半分が収容所での虐殺だが、前半の収容所犠牲者は、現ポーランドの辺境にナチスが設けた三大絶滅収容所に集中する。ベウジェツ、ソビブル(映画では「ソビボル」と表記)、トレブリンカの3カ所で