幕政と維新政治 幕末期の徳川幕府は、将軍以下愚人の集合体であり、彼らには判断というものができず、決定事項はすべてが祖法遵守の現状維持で、問題点はといえば、責任発生と切腹を恐れて先送りを繰り返し、その一方で天皇を狭い京の御所に不当に封じ込めて不敬の年月を重ね、民には切り捨て御免の威圧を働いた上にことごとく国政を誤り、日本に禍をもたらし、ついには朝廷の叱責を受けて滅亡した、というふうに一般に理解されている。 しかしこうした捉らえ方もまた一方的であり、明治維新を肯定にとらえようとするあまり、多くの事実を見ていない。幕府から政権を引き継いだ薩長主導型の新政府は、もはや切腹の恐怖がないので旧幕臣の閣老たちよりは判断に実があり、部分的には治績もあげたが、黒船の威圧に無思慮に怯えすぎ、彼らの来航の理由を分析しようとせず、天皇を必要以上に持ちあげすぎ、富国強兵に発狂邁進して、兵鍛練時の暴行によって日本人の
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