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語彙とg文政に関するkanototoriのブックマーク (3)

  • 本地村の石室 - 環藝録

    『猿の国郡志』での項目名は「石室」と書いて「イハヤ」のフリガナ。石見の「志都か岩屋」などを傍証に挙げているところを見ると、この施設(実際は横穴式石室)のあるべき呼称として「イハヤ」を選択したのであって、「里俗」で一般的に使われていたとされる「石風呂」「石塚」という単語では来の用途を正しく表していないという判断が働いている。 『藝藩通志』の「石窟」(上入江村)は「イハヤ」の漢語表現のようなものか。 石室 里俗は石風呂または石塚といふ、これは当村に限らす外村他郡にもいと多きものなり、山中に大石を集めて穴を構ふ、奥に入こと五六間、高さ六七尺、広一間、天井には大なる平石を覆ひ何れも南の方に少しの入口あり、上には土をかけ、其造りさま中古の人の及ふかきりにあらす、又この石室のある少し脇に同形の小なるあり、これも南の方に入口ありて、奥行三四間、広さ二三尺に過す、(略) 村内の具体例として、奥行5〜6間

    本地村の石室 - 環藝録
  • 揺会 - 言葉を“面白狩る”:楽天ブログ

    2010/11/03 揺会 カテゴリ:カテゴリ未分類 「四日市尾道屋嘉兵衛揺会初坐、使塾生僧岳順臨其席」(「鶴亭日記」文政六年(1823)十月二十六日) 四日市尾道屋嘉兵衛の揺会初坐に、塾生僧岳順をして其の席に臨ましむ。 「菅田原儀兵衛之使至、乞加揺会不答」(「鶴亭日記」文政七年(1824)二月十九日) 菅田原儀兵衛の使至り、揺会に加はらんことを乞ふも答へず。 「揺会」という見慣れない言葉が使ってあります。辞書や『広島県史』やその他市町村史の資料中では見つかりませんが、「鶴亭日記」ではお馴染みの用語のようです。「揺会初坐」(?会の初回)、「加揺会」(?会に加入)のと使ってあるので、何かの「会」に違いありません。 インターネットで捜すと……、ありました! 「無尽(寺院の質金融)はインドから発生し、中国、朝鮮を経て、日に渡来した。これに対して、日には民間で古くから庶民金融組織の頼母子講が存

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    kanototori
    kanototori 2011/03/30
    「(陳玉雄(麗澤大学)『中国経営管理研究』第 4 号)」
  • 金五円 - 言葉を“面白狩る”:楽天ブログ

    2010/07/21 金五円 カテゴリ:カテゴリ未分類 「イツゾヤ(紀州)南遊同道候同郷漢、此節滞坂、金をつかひ、其禍逮及寒儒襄、コマリ居申候(自注-ウソを言テ、僕に金五円を借、而五覇之信義と相成居候)。為御心得申上置候」(文政9年、篠崎小竹宛頼山陽書翰) 以前、紀州旅行の際に同道した同郷の男が、この程大坂に滞在して金を使い果し、そのため被害が寒儒の私(襄)にまで及び、困っております。その男、嘘を言って私から金五円を借り受けて「五覇之信義」となっています。御心得のため申上げます。 貸した金額「五円」とは何のことか、「円」は明治4年に制定された通貨単位のはずなのに、頼山陽はすでに文政9年に使っている……。 「古事類苑」にその答がありました。 「又一両ヲ一圓ト云ヒ、一分ヲ一方ト云フガ如キハ、徳川時代、漢学書生間ノ通語ナリキ」(「古事類苑」泉貨部) 「五円」とは「五両」のことでした。「漢学書生」

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    kanototori 2010/09/06
    「漢学書生間ノ通語」
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