李王朝最後の皇太子・英親王一家の貴重な資料公開 結婚を控えた李方子さんの日記、手紙、夫妻の写真など 李垠 | 李方子 「未婚で過ごす最後の新年だ。なぜか分からないけれど楽しい気もするし、また寂しい気もする」。1919年1月1日に李方子(イ・パンジャ)=旧名:梨本宮方子(なしもとのみや まさこ)=さん(1901-89、日本の皇室から朝鮮王朝最後の皇太子に嫁いだ)は、婚約者である英親王・李垠(イ・ウン、1897-1970)との結婚を前に、揺れる気持ちを日記にしたためた。しかし同月21日、李方子さんの日記は次のように始まる。「午後1時悲報、思ってもみなかった悲報がわたしの耳に響いた。それは、京城にいらっしゃる李太王(高宗)殿下が午前1時35分に脳出血を発病、午前7時50分に重態に陥られたという報告だった。ああ、今までのうれしい気持ちはすぐ悲しみに変わった」。結局、結婚式は翌1920年4月に延期と