18世紀の末、朝鮮で作った「携帯用の星時計」であるアストロラーベが日本で発見されて、最近、国内に戻された。科学史学者のチョン・サンウン文化財委員は、「1787年に製作されたが日本による植民地支配時代、日本人によって持ち去られたアストロラーベを購入して、先日、韓国に再び持ち帰った」と6日話した。 アストロラーベは星の位置と時間、経度と緯度を観測する携帯用の天文道具のことを言う。朝鮮前期に製作された巨大な「渾天儀(ホンチョンウィ)」が固定用天文観測道具だとすると、アストロラーベは持ち歩ける天文道具だと言える。古代以後、アラビアで主に製作され、東アジアで製作されたものとしては初めてだというのがチョン委員の説明だ。 チョン委員が取り戻したアストロラーベは、昨年末、日本で発見されて学会に報告された。この遺物を調査した日本の同志社大学の宮島和彦教授は、「1930年代、大邱(テグ)で暮らしていた日本人が
朝鮮王朝時代の実学者、朴趾源(パク・チウォン)が1780年、北京に向かう途上の瀋陽で部下に「便所に行ったことにしておけ」と命じ、宿を抜け出したことがあった。そして、あらかじめ見定めておいた店で、中国の商人らと夜通し筆談を交わした。そしてそこで聞いた骨董書画の鑑識法、清朝の制度と社会の雰囲気、商業文化礼賛論などを余すところなく著書の『熱河日記』に記した。中国語を知らなかった朴趾源は、道行く農夫から漢族の役人まで幅広い階層の人々と筆談でコミュニケーションを取った。 朴趾源が現代の中国を旅行したならば、『熱河日記』のような力作は残せなかっただろう。漢字を書いても中国人が理解できないためだ。中国は1958年に文字改革を断行し、字画を簡略化した「簡体字」を2000字以上制定し使用している。非識字率80%という状況を改善するため、共産党は魯迅が小説『阿Q正伝』の序文で主張したローマ字表記も検討したが
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