弓裔(きゅうえい)は、後三国時代の群雄のひとりで、後高句麗の建国者。姓は金、僧号は善宗。隻眼であったことから一目大王との別称もある。 専制的な暴政、もしくは豪族たちとの対立が先鋭化し、918年の「易姓革命」で侍中であり有力な部下であった王建に追放されることとなったため、諡号はない。 生涯[編集] 三国史記に記される出生[編集] 『三国史記』によると新羅の第47代国王憲安王あるいは第48代国王景文王の庶子として生まれ、日官は王に「赤ん坊は重午日に生まれただけではなく、出生時の空がおぼろだったことや、生まれたばかりなのに歯が生えているところが不吉である」といい、王は弓裔を殺すように命令したという[1]。 しかし兵は赤ん坊の弓裔を殺せず、宮殿の下に投げ捨ててしまった。宮殿の下で乳母が転落する弓裔を助けたが、弓裔は助けられた際に乳母の指が目に刺さり、それがもとで隻眼になった[2]。乳母は弓裔と都か
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