切手というモノを、ちょっと違った角度から眺めてみると、あなたの知的好奇心をくすぐる新たな発見がイロイロあるのです。そんな切手の面白さを綴っていこうと思っています。 プロ野球のセントラル・リーグは、広島東洋カープが25年ぶりに優勝しました。というわけで、カープにちなんでこの切手です。(画像はクリックで拡大されます) これは、1897年8月16日に清朝国家郵政が発行した3角(30分)切手で、跳ねる鯉が描かれています。 1897年の国家郵政発足以前の中国大陸の郵便事情は、非常に複雑で、実質的な清朝郵政として機能していた海関にくわえ、政府の公用便を運ぶ駅站、地方の官公署の文書を運ぶ文報局、民間の飛脚に相当する民信(日本の飛脚よりも相当に規模が大きく、シンガポール、マレー、ジャワにまで及ぶ通信網を完備していた業者もあった)、開港地に置かれた列強の郵便局、在住外国人の通信組織である書信館などが、それぞ
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明治13年、駐日大使・何如璋の招きで来日した楊守敬(1839-1915)は、日本に多くの貴重書が残っていることに驚いた。森立之(1807-1885)らの協力によってそれらをことごとく購入した。4年間にわたる日本滞在の成果は、のちに「日本訪書志」「留真譜」「古逸叢書」として公刊された。楊守敬の来日は日本の書道界にも、巌谷一六(1834-1905)、日下部鳴鶴(1838-1922)らの書家に大きな影響を与えた。しかしながら、漢籍の収集については、主に東京府書籍館(東京図書館)の職員がなんらかの関与をしていたと思われるが、詳しい実態は不明である。 この明治13年という年は、東京府書籍館が再び文部省所管となり、明治13年7月に「東京図書館」と改称されている。岡千仭は明治12年ころは東京府書籍館幹事として漢籍に詳しい館長であった。楊守敬と岡千仭とが筆談をまじえて日中の漢籍の収集方法を話し合っていたと
○斎藤希史『漢文脈の近代:清末=明治の文学圏』 名古屋大学出版会 2005.2 いや~面白かった! 語りたいことが、たくさんある。何から行こう? 本書は、今年の2月に出版されたものだが、私が書店で発見したのは先月のことだ。サントリー学芸賞の発表とともに、目立つ棚に移動したものと思われる。 サントリー学芸賞! 私は、どんな文学賞よりも、毎年、この賞の受賞作が気になる。とにかく、読んで間違いがない。私が読書に求めるものと、ピタリ照準が一致するのである。公式ホームページには、「従来、評論・研究活動を幅広く顕彰する賞は少なく、既存の枠組にとらわれない自由な評論・研究活動に光を当てることは、本賞の重要な役割」とうたっている。よくぞ、そこに気づいてくれました!と喝采を送りたい。 ■サントリー学芸賞(サントリー文化財団) http://www.suntory.co.jp/sfnd/gakugei/ind
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