三国志の時代、西暦200年に曹操と袁紹は官渡(かんと)の地で決戦を行い、曹操が勝利を収めました。 この時の兵力は曹操が4万で、袁紹が10万であり、圧倒的に袁紹が有利な情勢でした。 しかし袁紹の陣営は人材が多いもののまとまりを欠いており、袁紹自身の優柔不断さと、戦略眼の乏しさが不安材料となっていました。 これに対し、曹操の陣営は結束が固く、荀彧や荀攸といった優れた軍師たちが曹操をよく補佐し、数の不利を補っていきます。 この文章では、曹操はどうして強者であった袁紹に勝利できたのか、について書いてみます。 【官渡の戦いに勝利した曹操の肖像画】 群雄同士の争いに勝利した曹操と袁紹黄巾の乱に続いて董卓の暴政が行われた結果、後漢の王朝の権威はすっかりと凋落し、中国大陸を統制するための実力を失ってしまいました。 このため、大陸の各地で群雄たちが割拠するようになり、北東部では曹操、袁紹、呂布、劉備、公孫瓚