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こころと水玉模様に関するkirakkingのブックマーク (1)

  • 自分の顔を認識する

    自分の顔を認識するのには、長い時間が必要だった。 これはきっと、誰しもに共感してもらえるような感覚ではないかと思う。 自分は美術畑の人間で、自画像というものを、割と何かの折りにふれ描く機会があった。 最初は、高校の夏休みの宿題。 思春期まっただ中の高校生達にとって、「自分の顔を描く」というのは自意識との戦いという点において、非常に厳しいもので、教室は阿鼻叫喚の渦だった。 大学入試にむけて、同じ課題が何度もくりかえされる中で、段々と皆の中の抵抗心は薄れていった。 自分の顔を、まるで記号のように、単なる一つのモチーフとして捉えられるようになってきた。 最初は、画用紙の中に似ても似つかない人物が産まれた。 誰だこれ、はじめまして、といった風貌だった。 右目が左目より少し小さい。右側の眉の流れが左と違う。唇の色が悪い。耳が小さい……化粧をするから、そういう細かいところは分かるのだ。 なのに、輪郭が

    自分の顔を認識する
    kirakking
    kirakking 2016/03/06
    思春期はもう通り過ぎたけど、まだ内面と外界が一致していないなあ。/自分の姿が自分にとって最も身近というのは違うように思う。だって鏡を見ないと認識できないし。
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